次期車両運搬具調達(4)
ようやくお盆休みという日本ローカルなバカンスシーズンとなりました。
極めてローカルな事情ではあるもののサプライチェーンのことを考えると、一斉に止まった方が色々と効率的(特に自動車産業なんかはそれが顕著)ということもあり、会社によっては一週間まるごと休みになるなんてケースもあるようで。
当然交通機関なんかも繁忙期に入りコスト的には割高になるわけではありますが、ギリギリの要員で繰り回している昨今じゃあこの時期以外にどこかに長期間出かけるってのも厳しいのは事実であります。
ってなわけで、休みを満喫しつつタリーズコーヒーにてこの原稿を書いているところであります。
タリーズコーヒーにて原稿書き
無線LAN環境的にはデニーズやスタバに劣るがタバコが吸えるだけマシかな、、、 pic.twitter.com/WARIivI7NT
— Yohichi Date (@Yohichi_Date) 2015, 8月 13
Wi-Fi環境がスタバやデニーズに劣る一方でタバコが(席数こそ少ないものの)それなりに確保されているあたり、使い道に困るところではありますな。
もっとも編集者からすれば作家やライターがサボってウェブをウロウロして遊ぶのを防ぐという意味では有難い仕様とも……
相変わらずヘタクソなヨタ話はさておき、本題に入りたいと思います。
いよいよ、本題であり悩みのタネである"fun" , "interesting" , "joy"の核心に迫らざるを得ない状況に追い込まれつつあります。
What's "fun", "interesting" and "joy" ?
結局のところ、クルマを選ぶにあたって求める要素である見出しの言葉が持つ意味を考えねばならない。そんな状況に陥ったわけです。はっきり言ってしまえばこれらの要素は多分に感覚的なものであって、明確な答えがあるわけではないということをexcuseしておく必要があります。
ましてや、クルマについてドシロート(結局、そんなにクルマの愛好家か? と言われるとかなり怪しいところがあるわけでして……)の私が語れる範囲というのもかなり限定される次第で。
ただ、そんなドシロートであるアタクシが"fun"であり"interesting"であり、そして"joy"な瞬間は当然あるわけです。その集合体とクルマのコンセプトがどのくらい合致するか? そこに尽きると思うわけです。
具体的に語るならば。
例えば、九州の山道を手頃な速度で流していると「Message-生ギターVer-」(Senses Circuit)がiPodから流れてきた瞬間。
このシーンを具体的に解説すると、当時岡山に住んでいて九州最南端まで下道で行くとかいうアホなことを考えて走っている最中だったわけです。前日の昼間に関門海峡を越えて市街地を越えたところで仮眠を取って、一路鹿児島を目指して走り続けているなか山道でこの曲が流れたとき、長旅の疲れも全て吹っ飛びました。
例えば、そこそこの速度で地元のワインディングを流しているときに感じるGと景色。
岡山には実のところ結構ワインディング(所謂「峠道」ですな)があって、その手の走り屋連中が転がしているわけですが、年がら年中居るわけじゃなくて地元民のフツーのドライブコースとしても成立しているわけです。
ドシロートのアタクシとしてもそういったワインディングを流すなんてのはよくよくやってました。動体視力も運動神経も水準以下なので、もちろんかなり安全域に寄せた走りではありましたが、当然それなりのGを感じながら走るわけです。そんな瞬間、アタマのなかで何か普通にしていたのでは繋がらない線が繋がるような感覚を経験したわけです。
まだまだあります。神社好きの友人と山梨の山道を窓を開けて走っていたときです。秋と言ってもまだまだ蒸し暑かった東京とは違い、古今にて藤原敏行が詠む「風の音にぞおどろかれぬる」ってのはこういうことをいうのか…… と納得したその瞬間。
色々とエピソードを語っていけばキリが無いんですが、共通するのは「ヒトがクルマをツールとして操っている」という瞬間なんですね。多分こういった瞬間は(エピソードになるような)「旅」のワンシーンだけじゃなくて、日常にも沢山ありました。
今だからはっきり書きますけど、決してカローラⅡというクルマは「旅」向きのクルマじゃありません。言ってしまえば軽自動車をストレッチしたようなハッチバックのシャーシに1300ccのエンジンを積んだ街乗りのクルマです。ワインディングを攻めるようなクルマでも無ければ、長距離を旅するようなクルマでもない。何の変哲も無い、実にトヨタらしい無難なクルマです(でもボーイズレーサーにはスターレットのターボエンジン積んだ改造車がゲフンゲフンだったりするんだけどね)。
それでも、まだまだバブルの残滓があった時代。そして、今となっては幻想入りしてしまったような枯れ切った技術が主流だった時代です(色々と批判されることの多い「電動パワーステアリングはまだまだ先進的過ぎるテクノロジーだった)。ある意味旧世代の技術の集大成、その一つであったと言えるでしょう。
「car as a fun, interesting and joy」の一つの答え。それは「ヒトがクルマをツールとして操っている」ということと結論づけました。そこに至ったのが今年のアタマくらいでしょうか。