伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

ルポ貧困大国アメリカII(堤未果/岩波新書)


前作でジャーナリストとして一躍有名になった著者の続編。アメリカにおける教育や社会保障、医療制度、治安問題について述べた一冊だ。
前作でも述べたが本作の論調は比較的左派的な見解が中心になるし、アメリカにおいてもメジャーな意見としては扱われていないというのが正直なところだ。ただ、ここで述べられていることは紛れもなく真実であるのは確かである。
学資ローンの問題は実の所本書が刊行された2010年当時よりも、もっと悪くなっているのが現状だし、社会保障や医療制度が事実上クソみたいなものになっているのも間違いない話だ。治安問題については、日本から見て単純比較できないところもあるので難しい所ではあるけど、事実のある一面をとらえているとは思う。
社会保障や医療制度の問題については、メジアン(=中流層……と呼べるひとたちもアメリカでは減っているのだが)ですら無保険状態で、ちょっとした病気で莫大な費用を支払わねばならないのは意外に思うかもしれない。だけどこいつは間違いなく事実なのだ。実際、ウォールストリートで働く連中(ヘタしたら上流層に含むべきじゃないかってレベルね)ですら、ちょっとした病気のためにバカらしくなるほどのお金を費やしている。そして子どもが居たら、もっとだ。本書で書かれているように、子どもに「まともな」教育を受けさせるために、こちらもアホほど金を払う必要がある。
言ってみれば、本来ナショナル・ミニマムとして負うべき部分が毀損しぼろぼろになってしまっているというわけだ。ただし、それをもたらしたのは本書で述べるような資本家たちの陰謀……だけではないのが厄介なところなのだ。これはティー・パーティのような頭痛が痛くなるような(これで何が言いたいか察してね)連中が、グラス・ルーツで形成されていることからもわかる。これらは一面としては陰謀論的ロビイング活動の結果でもあるけども、別個には構造的な問題でもあるし、有権者たちの問題でもあるのだ。
こういった点において本書は突っ込みが足りないと言わざるを得ない。事実を切り取るという点では本書は成功しているし非常に有益ではあるんだけど、その背景にあるものに対する視野が残念だけど狭すぎる。そういう意味では「左巻き」という悪評を甘んじて受けないといけないというところはある。
ただ、どうだろう。大部分の「左巻き」と批判する連中はここで描かれている「事実」を知っているんだろうか? おそらくそうではない。ヘタをしたら半径5メートルで人生が完結しているような人(これもお察しください、ね)だって居るわけだ。そういう狭い知識で狭い視野を批判するのは、愚者のゲームとしか形容できないと思う。
批判は批判としてすべき本だとは思う。ただ、ここで描かれている「事実の一面」を知ることはそれとして必要なことだとぼくは思うし、そのためだけに読む価値は充分ある本だと言っておこう。

プロローグ

第1章 公教育が借金地獄に変わる
 爆発した教師と学生たち/猛スピードで大学費用が膨れ上がる/広がる大学間格差/縮んでゆく奨学金、拡大する学資ローン/学資ローン制度の誕生とサリーメイ/数十億ドルの巨大市場と破綻する学生たち/消費者保護法から除外された学資ローン制度/ナイーブな学生たち/学資ローン業界に君臨するサリーメイ/子どもたちをねらう教育ビジネス/

第2章 崩壊する社会保障が高齢者と若者を襲う
 父親と息子が同時に転落する/企業年金の拡大/これがアメリカを蝕む深刻な病なのです/退職生活者からウォールマートの店員へ/増大する退職生活費、貯金できない高齢者たち/拡大する高齢者のカード破産/問題は選挙より先を見ない政治なのです/一番割を食っているのは自分たち若者だ/市場の自由と政治的自由

第3章 医療改革 vs. 医産複合体
 魔法の医療王国/オバマ・ケアへの期待/排除される単一支払皆保険制度派の声/公的保険を攻撃するハリー&ルイーズのCM/製薬業界のオバマ・ケア支持と広告費/医療保険業界と共和党による反オバマ・ケア・キャンペーン/無保険者に保険証を渡すだけでは医療現場がパンクする/プライマリケア医師の不足/You Sick, We Quick(病気の貴方に最速のサービスを)/これは金融業界救済に続く、税金を使った医療業界救済案だ/この国には二種類の奴隷がいる

第4章 刑務所という名の巨大労働市場
 借金づけの囚人たち/グローバル市場の一つとして花開く刑務所ビジネス/第三世界並みの低価格で国内アウトソーシングを!/ローリスク・ハイリターン――刑務所は夢の投資先/魔法の投資信託REIT/ホームレスが違法になる/アメリカの国民は恐怖にコントロールされている

エピローグ
あとがき

ユダヤ人とパレスチナ人(松本仁一/朝日新聞社)


朝日新聞で海外特派員を経験し、現在はフリージャーナリストとなっている著者による、中東における対立を纏めた一冊。
カラシニコフ」や「アフリカを食べる/アフリカで寝る」と同様に、現地に住むひとびとへの徹底した取材に基づくものとなっており、非常に読ませる内容だ。これが書かれた当時、イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長による暫定自治への合意があり、中東和平への希望に満ち溢れていたということもあって、和平についてとても楽観的な書きぶりとなっている。だが、現状はご存じのとおり。いまだに泥沼のような状況である。
そういう点は確かに減点せざるを得ないのだが、それでもここで書かれている内容もまた真実の一つではあろうと思う。というか、実際に暮らしているひとたちからすれば、ドンパチなんてただの迷惑でしかないのだ。
個人的に興味深かったのがイスラエルの反戦運動団体「ピースナウ」だ。なんと、この団体の構成員はみんな予備役軍人や現役軍人なのだ。もっともこれにはカラクリがあって、イスラエルでは国民皆兵を制度としているから、当然こういう団体の構成員も自動的に軍人ということになる。ただ、現役士官も所属しているし、そもそもの設立経緯が現役の士官たちが連名で当時の首相に「大イスラエル構想」に対して問いただしたものだというのだから、ちょっと面白いではないか。どこかのクビになった某空軍士官は一度読んでみてもいいんじゃないかと思う。
ヨタはともかく、通り一遍の中東について知るのではなく、そこに住むひとたちについて知りたいのであれば一度読んでみることをおすすめする。

アメリカ下層教育現場(林壮一/光文社新書)


ボクシングのプロテストに合格したのち、週刊誌の記者を経てノンフィクションライターになった著者による、アメリカの底辺校での教育とカウンセリングを行った経験を綴った一冊。制度問題や提言というよりも、ありのままの体験談として捉えた方が良いと思う。筆者が教鞭をとったチャータースクールというのは似たような制度が日本にないので説明がややこしいのだが、公設民営の学校というのが一番ピンとくると思う。特定の目標を掲げて政府から認可を受けた民間の団体が学校を運営する感じ。といっても、実の所公立学校を単純にコストダウンで民営化するために使われたりするケースがあったりするらしいので一概には言えない。
本書に描かれているアメリカの底辺校の事情は、日本のそれとは比較にならない。簡単に言ってしまえば、クロマティ高校がまだまともに見えてくる。ちょっと誇張が過ぎる気もするが、そんなレベルだ。さらに言えばそんな状況で日本の大学のような授業履修スタイルだもんだから、そりゃ、もう凄まじい。一般的な日本人が知るアメリカの高校像・・・オギョーギの良い坊ちゃん嬢ちゃんたちのキャッキャウフフな世界・・・とはとてもとてもかけ離れた世界だ(ちなみにアメリカの学校全般が、物凄く仲良しグループ単位で動いているので、日本の学校以上にスクールカーストが酷かったりする。海外物ドラマで描かれる世界は一応絵空ごとと知っておいた方がいいだろう)。
これを読んで、アメリカの底辺校の実体を知るなんてことは考えない方がいい。あくまでも底辺校の一つの姿だし、実際もっとうまくいっている(まあ、そういう所は往々にして学費が高いんだけどさ)ケースだってある。それでも、一般的に思い浮かべるアメリカの学校というものが、どれだけ特殊なものかということを知るサンプルにはなると思う。

ルポ貧困大国アメリカ(堤未果/岩波新書)


ジャーナリストとして活躍する著者による――というか本作が出世作だな――アメリカの貧困層を現場からとらえた一冊。
こと、ウェブ界隈では左巻きな論調をバカにしてかかる風潮があるし、恐らく本書で書かれているような内容はその範疇に入ってしまうだろう。実際、中南米からの不法移民なんかはとってもグレーな位置づけだし、貧困層の実体は結構自業自得と切り捨てられてもそうそう反論できない状態だったりするからだ。
ただ、本書が著者の出世作になっただけあって、そこに描かれている貧困層の現場を活写しているところはお見事。特にアメリカにおける医療費や教育周りの酷さは、実際向こうに住んで仕事をしている高給取りでもげんなりしているという話があるほどで、貧困層だけの問題と矮小化するのはあまり賢くは無い。
本書を読んでぞっとするのが、アメリカで起きている教育や医療、それに安全保障の分野がアフリカの失敗国家と相似しつつあるということだ。カラシニコフ松本仁一朝日文庫)で述べられている、国民の教育や安全保障にカネを使わず、権力闘争に終始する国家と世界の超大国に同じような姿が見えてしまうところは、正直恐怖を覚える。そして、それは日本にも部分的に当てはまりつつあるところだ。幸いにして、日本医師会・国民健康保険・厚生労働省というある種強烈極まりない鉄のトライアングルが形成されているが故に、医療問題はそうではないかな。安全保障の分野も防警察官僚それに内務系官僚の鉄の結束がとっても強いので、まだそれほどでもない。ただ、教育はいわゆる「底辺校」の問題があるし「生活保護バッシング」などを見ると、決して他人事とは言えない。
確かに書かれている内容は一部のひとたちからすれば、決して愉快なことではない。ぼく自身も若干鼻白むところがある。だけど、それだけで読むのをスルーするのは勿体ない。こんな風潮の中だからこそ、読むべき本質はあるしそこから得るべきものは沢山あるはずだ。

アフリカを食べる/アフリカで寝る(松本仁一/朝日文庫)

衣食住という言葉がある。服を纏い、飯を喰らい、そして寝る。そんな人間の有様を巧い具合に言い表した言葉だと思う。本書はアフリカの「飯」と「寝る」を綴った一冊だ。以前読んだ「カラシニコフ」(こちらの書評も書いている(カラシニコフカラシニコフII。ご参考まで。)から著者の本を読んでみたくなり衝動的に手に取ったが、これは本当にアタリだった。もしかすると銃という日本人にはどうしてもとっつきづらいテーマからアフリカを読み解いた前述書よりも、もっと身近な「飯」や「寝る」というテーマを扱った本書の方が読み易いかもしれない。

筆者が本書のもととなった記事を書いたのが1994年から1996年、そして実際に現地に居たのはそれよりも前のこと。アフリカという地では今も昔もドンパチやっている。実際、先日アルジェリアではプラント関係でテロがあり日本のプラント技師が犠牲になっている。ぼく自身も意外と他人事じゃない世界なのだ。そしてそのドンパチの種類も権力闘争(これは「フンタ」というゲームをやればよくわかるだろう)から民族紛争、ゲリラに反政府運動、それに先述のテロひとそろいあるわけだ。

当然ワリを喰うのは市井のひとびとなわけで、実際本書の中でもルワンダの難民キャンプや干ばつ被害による飢餓など深刻な話題にも触れられている。だが、そんな頭の痛いテーマを真っ正直に書いたものを読んだところで(知識はつくのかもしれないが)読み手も頭が痛くなるだけだ。だが、本書は違う。

何しろ「飯」の出だしが「ヤギの骨」に「牛の生き血」である。もう、これは読むしかないではないか。無論、ただのゲテモノ食いの話に終わってないのが筆者の凄いところだ。マサイのひとびととヤギの骨をかじり牛の生き血を飲む中で、その蓋然性を感じとり文化を見出す(そして筆者一流のバイタリティでそれを体験する)。そして、その感性のもとにドンパチの派手さに隠れて見えない市井のひとびとのワリを喰う具合を活写する。これは読み手を惹きつけないわけないではないか。

正直、著者のバイタリティと「飯」に対する情熱には脱帽だ。なにしろ、自らウナギをさばき、丸のままのアヒルを買って「カイロダック」としゃれ込む。インパラの生肉を刺身にするわ、羽アリを「ハチの子の佃煮」よろしく砂糖醤油で炒めて食べてしまう。これだけ見るとゲテモノ食いにしか見えないかもしれない。違うのだ。これは一度読んでみて欲しい。

後編の「寝る」編もなかなか仰天のエピソードが満載だ。前篇の圧倒的なバイタリティが取材にも活かされたということがよくわかる。マサイのひとびとの長老夫人宅(彼らの場合妻帯者は「長老」ということになるそうな。一夫多妻制でダンナは奥さんのテント(これは奥さんの持ち物だそうだ)に泊まり歩くとのこと。)に泊めてもらったり、宿場にある安宿で売春婦に付きまとわれたり、「飯」の話に負けず劣らずの迫力だ。

読み手によっては、著者の記述に反発を覚えたり鼻白む向きもあるかもしれない。ただ、この皮膚感覚で著述されたアフリカという空間における「飯」と「寝る」については、否定することは出来ないだろう。

正直に言おう。アフリカの深刻な問題に興味が無くとも是非読んでほしい。それだけの力が本書にはある。特にTRPGをやっていたり、小説を書きたいという人は必見。本書で得た何かが、シナリオ作りやロールプレイ、物語の奥行に説得力を持たせてくれるだろう。もちろん、もっと真面目な観点から読むのも大歓迎だ。筆者の描くアフリカを切り口にさらに読み進めればより深い理解を得られることは間違いない。

繰り返しになるが、是非一度読んでみてほしい。それだけ大絶賛せざるを得ない魅力が本書には詰まっているのだから。