伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

どくとるマンボウ航海記(北杜夫/新潮文庫)


この本を最初に読んだのは忘れもしないいつだったか。確か中学一年の読書感想文だったように記憶している。 当時、読書感想文の本を買うのが面倒で実家に転がっていた本書を読んだのがきっかけであった。その当時は読みやすい本だと流し読みをしてチョチョイと感想文を書いてお茶を濁したのだが、その後牧神の午後(だったか?)でちょいとエローイ描写にコーフンしたり、著者が躁病期に書いたエッセイでゲラゲラ笑ったりと、まあありていに言えばハマってしまったわけですね。
その後、転がり落ちる石のごとく本を読みふける活字中毒者人生を歩むわけなのだが、私のそんなヨタなんざどうでもいいわけでございまして、いいかげん本題にはいりませう。
著者の航海記は1958年から1959年にかけて、と言ってみれば日本が坂の上に再び駆け上がる時代、簡単に言ってしまえば円が弱かった、そう簡単に海外へ行けなかった時代だ。当然、見るもの聞くものすべてが珍しく、その情景が……と思うとさにあらず。ユーモラスでナンセンスなと評されるが、なんてことはない、今時のTwitterやBlogで書かれているようなグダグダとした話が書き綴られている。
むろん、これはバカにした話ではなくて物凄く重要なことなのだ。その頃のブンガクってのはとにかく重苦しくて面倒くさくてとてつもなくツマンナイ、行ってみればヘンな人たちによるヘンな世界だった。それが、言わば「今様」の語り口でグダグダと述べられるってのはそれだけで重要なのであって、むしろ今の我々が書いているものが著者の影響を受けているという表現の方が至当なのだと私は思う。
そして、これが本当に重要なことなのだが、ところどころにグダグダと語られているだけじゃない教養のエッセンスがちりばめられている。この時代のインテリゲンチャがどれだけ凄いか、正直無教養なぼくには圧倒されずにはいられない。
もちろん、ちょっと頭がオジサンオバサンになってしまうと、若書きだのカルイだのツマラナイことを言ってしまうだろう。それでも、だからこそ読まねばならないんだろう。ぼくらが、本当の教養というものを背景に軽妙洒脱な日常を送るために。

アフリカを食べる/アフリカで寝る(松本仁一/朝日文庫)

衣食住という言葉がある。服を纏い、飯を喰らい、そして寝る。そんな人間の有様を巧い具合に言い表した言葉だと思う。本書はアフリカの「飯」と「寝る」を綴った一冊だ。以前読んだ「カラシニコフ」(こちらの書評も書いている(カラシニコフカラシニコフII。ご参考まで。)から著者の本を読んでみたくなり衝動的に手に取ったが、これは本当にアタリだった。もしかすると銃という日本人にはどうしてもとっつきづらいテーマからアフリカを読み解いた前述書よりも、もっと身近な「飯」や「寝る」というテーマを扱った本書の方が読み易いかもしれない。

筆者が本書のもととなった記事を書いたのが1994年から1996年、そして実際に現地に居たのはそれよりも前のこと。アフリカという地では今も昔もドンパチやっている。実際、先日アルジェリアではプラント関係でテロがあり日本のプラント技師が犠牲になっている。ぼく自身も意外と他人事じゃない世界なのだ。そしてそのドンパチの種類も権力闘争(これは「フンタ」というゲームをやればよくわかるだろう)から民族紛争、ゲリラに反政府運動、それに先述のテロひとそろいあるわけだ。

当然ワリを喰うのは市井のひとびとなわけで、実際本書の中でもルワンダの難民キャンプや干ばつ被害による飢餓など深刻な話題にも触れられている。だが、そんな頭の痛いテーマを真っ正直に書いたものを読んだところで(知識はつくのかもしれないが)読み手も頭が痛くなるだけだ。だが、本書は違う。

何しろ「飯」の出だしが「ヤギの骨」に「牛の生き血」である。もう、これは読むしかないではないか。無論、ただのゲテモノ食いの話に終わってないのが筆者の凄いところだ。マサイのひとびととヤギの骨をかじり牛の生き血を飲む中で、その蓋然性を感じとり文化を見出す(そして筆者一流のバイタリティでそれを体験する)。そして、その感性のもとにドンパチの派手さに隠れて見えない市井のひとびとのワリを喰う具合を活写する。これは読み手を惹きつけないわけないではないか。

正直、著者のバイタリティと「飯」に対する情熱には脱帽だ。なにしろ、自らウナギをさばき、丸のままのアヒルを買って「カイロダック」としゃれ込む。インパラの生肉を刺身にするわ、羽アリを「ハチの子の佃煮」よろしく砂糖醤油で炒めて食べてしまう。これだけ見るとゲテモノ食いにしか見えないかもしれない。違うのだ。これは一度読んでみて欲しい。

後編の「寝る」編もなかなか仰天のエピソードが満載だ。前篇の圧倒的なバイタリティが取材にも活かされたということがよくわかる。マサイのひとびとの長老夫人宅(彼らの場合妻帯者は「長老」ということになるそうな。一夫多妻制でダンナは奥さんのテント(これは奥さんの持ち物だそうだ)に泊まり歩くとのこと。)に泊めてもらったり、宿場にある安宿で売春婦に付きまとわれたり、「飯」の話に負けず劣らずの迫力だ。

読み手によっては、著者の記述に反発を覚えたり鼻白む向きもあるかもしれない。ただ、この皮膚感覚で著述されたアフリカという空間における「飯」と「寝る」については、否定することは出来ないだろう。

正直に言おう。アフリカの深刻な問題に興味が無くとも是非読んでほしい。それだけの力が本書にはある。特にTRPGをやっていたり、小説を書きたいという人は必見。本書で得た何かが、シナリオ作りやロールプレイ、物語の奥行に説得力を持たせてくれるだろう。もちろん、もっと真面目な観点から読むのも大歓迎だ。筆者の描くアフリカを切り口にさらに読み進めればより深い理解を得られることは間違いない。

繰り返しになるが、是非一度読んでみてほしい。それだけ大絶賛せざるを得ない魅力が本書には詰まっているのだから。

カラシニコフ(松本仁一/朝日新聞社)

2004年7月上梓の、今となってはだいぶ古い本だがそれでも読む価値は十分にある。幸い、朝日文庫に「文庫落ち」しているので比較的お手軽に入手できるはずだ。是非、老若男女問わず「朝日だから」などと言わずに読んでみてもらいたい。

とはいうものの、前半の少年/少女兵の話は些か不謹慎かもしれないが「よくある話」という印象を覚えると思う。カラシニコフへのインタビューも当時としてはソ連クラスタには生唾もんだったかもしれないが、今となってはそう珍しくもない。なにせ、ホビージャパンの「ぴくせる☆まりたん」にコメントを寄越したなんて話もあるし、本人の口述本も出てる。ソ連クラスタの向きにはそちらをおすすめした方がよさそうだ(や、ぴくせる☆まりたんではなくてね。あれもおもろいけど)

本書の眼目は四章の「失敗した国家」から。フォーサイスへのインタビューで語られたこの言葉が本書をただの「銃ヲタ向け本」や「観念平和本」と一線を画すものにしている。フォーサイスの言う「失敗した国家」とは。彼は「国づくりができていない国、政府に国家建設の意思がなく、統治の機能が働いていない国」であると言う。 また、このようにも語っている。「失敗した国家はわずかな武力でかんたんに崩壊する」。なにせ赤道ギニアの政府転覆疑惑(本人は本書で否定しているが)があるフォーサイスの発言。これは重い。というか赤道ギニアがそういう「失敗した国家」だと言っているようなものである(「戦争の犬たち」のモデルは同国なのだ)。

また、国連などの仕事で紛争地での医療に携わる喜多悦子が語る「失敗した国家」を見分ける方法は先進国である我々にも重たい言葉だ。 「警官・兵士の給料をきちんと払えているか」「教師の給料をきちんと払っているか」。これも不謹慎で無責任かもしれないが、本来遠いアフリカのドンパチ話がどうにも既視感を覚えてならないのは気のせいだろうか? と、まあ重たいことを長々と語ってみたところで軍ヲタども向けの話に移ろう。

我々系の歪んだ歴史ヲタクは、同時代と比較して「アリエナイ」ほど先進的な道具・技術・知識その他を「オーパーツ」と呼んでいる。 まあ、半径3m程度のジャーゴンではございますが、ニュアンスは解ってもらえると思う。で、このカラシニコフもそんな「オーパーツ」の一つに挙げられる。 しかし、本文中に語られる突撃銃として、ではない。 「機械は単純であれば壊れない」という設計思想がオーパーツなのだ。何しろ機械というものは、エンジニアという細かいことが大好きな人種によって開発されるが故に、どうも精緻なものになりがちだ。 別に偏見ではなくて、これは実体験の話だ。こと、日本人だのドイツ人が作るものはその傾向が酷くて……という話は本筋から外れるのでやめておく。 ここでカラシニコフの設計思想の話になる。「機械は単純であれば壊れない」これは物凄く重要でそれでいて忘れられがちな価値観なのだ。

多分、これを読んでいる大多数の人は「何を当たり前のことを」と思うだろう。そうだ。当たり前のことなのだ。 しかし、当たり前のことを実現することのなんと難しいことか! そしてそれをカラシニコフは実現してしまったのだ。それもソ連という(当時は準戦時体制だったとはいえ)官僚主義に満ち溢れた国で実現してしまったこと、そしてこの設計思想が後の工業デザインで「モジュール化」という形でようやく実現したことを思うと「オーパーツ」と評さずにはいられない。

私の場合、ミリタリと言っても銃そのものには興味が無くて、それを支える生産やロジスティクスといったニッチ極まりない分野が大好きな歪んだヲタクだ。そんな歪んだヲタクにとって、こんな時代を超えた設計思想というのはまさにご馳走なのだ。

さて、そんなヲタクヨタ話はこの位にして。 まずはAmazon(別にセブンネットでも楽天でもいいけどさ)でポチって読んでみることをおすすめする。 銃が嫌いでも、戦争を知らなくても、知っておくべきことは沢山あるのだ。