伊達要一の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

アフリカを食べる/アフリカで寝る(松本仁一/朝日文庫)

衣食住という言葉がある。服を纏い、飯を喰らい、そして寝る。そんな人間の有様を巧い具合に言い表した言葉だと思う。本書はアフリカの「飯」と「寝る」を綴った一冊だ。以前読んだ「カラシニコフ」(こちらの書評も書いている(カラシニコフカラシニコフII。ご参考まで。)から著者の本を読んでみたくなり衝動的に手に取ったが、これは本当にアタリだった。もしかすると銃という日本人にはどうしてもとっつきづらいテーマからアフリカを読み解いた前述書よりも、もっと身近な「飯」や「寝る」というテーマを扱った本書の方が読み易いかもしれない。

筆者が本書のもととなった記事を書いたのが1994年から1996年、そして実際に現地に居たのはそれよりも前のこと。アフリカという地では今も昔もドンパチやっている。実際、先日アルジェリアではプラント関係でテロがあり日本のプラント技師が犠牲になっている。ぼく自身も意外と他人事じゃない世界なのだ。そしてそのドンパチの種類も権力闘争(これは「フンタ」というゲームをやればよくわかるだろう)から民族紛争、ゲリラに反政府運動、それに先述のテロひとそろいあるわけだ。

当然ワリを喰うのは市井のひとびとなわけで、実際本書の中でもルワンダの難民キャンプや干ばつ被害による飢餓など深刻な話題にも触れられている。だが、そんな頭の痛いテーマを真っ正直に書いたものを読んだところで(知識はつくのかもしれないが)読み手も頭が痛くなるだけだ。だが、本書は違う。

何しろ「飯」の出だしが「ヤギの骨」に「牛の生き血」である。もう、これは読むしかないではないか。無論、ただのゲテモノ食いの話に終わってないのが筆者の凄いところだ。マサイのひとびととヤギの骨をかじり牛の生き血を飲む中で、その蓋然性を感じとり文化を見出す(そして筆者一流のバイタリティでそれを体験する)。そして、その感性のもとにドンパチの派手さに隠れて見えない市井のひとびとのワリを喰う具合を活写する。これは読み手を惹きつけないわけないではないか。

正直、著者のバイタリティと「飯」に対する情熱には脱帽だ。なにしろ、自らウナギをさばき、丸のままのアヒルを買って「カイロダック」としゃれ込む。インパラの生肉を刺身にするわ、羽アリを「ハチの子の佃煮」よろしく砂糖醤油で炒めて食べてしまう。これだけ見るとゲテモノ食いにしか見えないかもしれない。違うのだ。これは一度読んでみて欲しい。

後編の「寝る」編もなかなか仰天のエピソードが満載だ。前篇の圧倒的なバイタリティが取材にも活かされたということがよくわかる。マサイのひとびとの長老夫人宅(彼らの場合妻帯者は「長老」ということになるそうな。一夫多妻制でダンナは奥さんのテント(これは奥さんの持ち物だそうだ)に泊まり歩くとのこと。)に泊めてもらったり、宿場にある安宿で売春婦に付きまとわれたり、「飯」の話に負けず劣らずの迫力だ。

読み手によっては、著者の記述に反発を覚えたり鼻白む向きもあるかもしれない。ただ、この皮膚感覚で著述されたアフリカという空間における「飯」と「寝る」については、否定することは出来ないだろう。

正直に言おう。アフリカの深刻な問題に興味が無くとも是非読んでほしい。それだけの力が本書にはある。特にTRPGをやっていたり、小説を書きたいという人は必見。本書で得た何かが、シナリオ作りやロールプレイ、物語の奥行に説得力を持たせてくれるだろう。もちろん、もっと真面目な観点から読むのも大歓迎だ。筆者の描くアフリカを切り口にさらに読み進めればより深い理解を得られることは間違いない。

繰り返しになるが、是非一度読んでみてほしい。それだけ大絶賛せざるを得ない魅力が本書には詰まっているのだから。