伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

今日のはてブ(2015/08/17-18)

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発熱もなんとか一段落してやれやれというところです。
正直、こんなに体調を簡単に崩してしまうようになったのってここ数年なんですよね。何なんでしょうね、まったく。
このまま死ぬんでしょうかね? いやはや。

Massive explosion in Tianjin, up-to-date(2).

以下のまとめのさらに続きの位置付けです。

yohichidate.hatenablog.com
yohichidate.hatenablog.com
yohichidate.hatenablog.com


本件、色々なところの余波が出ているんですが、本質的な話(事故原因や通報における情報伝達、法規制における消火体制の構築がどうだったのか、など)が全くもって報じられておらずそこが個人的には大変に不満だったりします。実態として中国共産党当局関係者が当該ヤード会社の役員の親戚筋だったりするって話題も飛び交ってますが、まずはそれじゃねぇだろ、と。

[化学][中国][天津][爆発][事故][労働災害][火災]

天津大爆発のその後 - 化学業界の話題

「何故建築許可が?」よりも「何故発生する状況に至ったか?」にフォーカスを置くべきだとは思うのだが…… 政争の種として扱うにはあまりに重大な事故でしょうに。

2015/08/19 19:53

ようやく爆発原因及び物質(禁水物質である金属ナトリウムへの放水)という話が出てきました。初期段階で炭酸カルシウムって話も出てきてましたがようやくここへ来て根本原因の話に近づいてきた感がありますね。
地図の元ネタがGoogleマップらしきものを使っているのが結構微妙(これ、規約上NGじゃなかったっけ?)ですが、この地図はかなり参考になりますね。モロにトヨタPanasonicが巻き込まれているのがよくわかる。これ、当面操業は厳しそうな感じです。

写真に関してはいわゆる「まとめサイト」で人口に膾炙しているものと同じなんですが、つくづく「何故ここに危険物質のヤードが?」の感が否めません。ましてや時系列的には後からということのようですし。

で、管理面に関しても色々な話がようやく出てきています。

www3.nhk.or.jp
www3.nhk.or.jp

現時点(及び色々な推測を含めてですけど)でわかる範疇においては当局サイドの規制に反した管理が行われていたということで、東京スポーツ紙(こういった話題に関しては何故か一般紙よりもフットワークが軽かったりする。関係する業界紙含めた連中がネタを回しているんじゃねぇのか?)が指摘するように東京都品川区における倉庫火災による有機過酸化物の爆発事故品川勝島倉庫爆発火災、寶組の勝島倉庫火災と言った方が通りが良いかもしれない)を想起させるものになります。
詳しくはリンク先(失敗事例データベースとWikipediaの両方を挙げたのでお好きな方をどうぞ)を見て頂ければということなんですが、法規制に反した形で危険物質を大量に保管していたという点、何らかの要因(天津事故については不明、品川事故に関しては保管状態に起因した自然発火)で発火した点、そして情報伝達が不十分なことにより消防当局に犠牲者が発生した点など確かに類似点は非常に多いと言えます。
恐らく(政争の種としても、ですが)この管理に纏わる話に関して、通関当局側の記録やなんかとの突合をもとに細かく追求はされるんでしょうけども、より「戦訓」として有益な形で結論がどこまで出るのかはかなり怪しいところではあるでしょうね。

各種企業の操業や物流周りは化学工業日報が非常に詳しいです。基本的にリード文のみWebに掲載なんですがこれだけでも十分に情報が取れる内容になっています。

上に述べた通りトヨタPanasonicなんかはモロに影響を受けている反面、物流は徐々に回復しつつあるみたいですね。

これを書いている19日現在でJETROも特設サイトを出しています。

www.jetro.go.jp

これによれば、通関業務自体は8月17日から復旧しているみたいですね(処理速度は落ちている模様ですが)。港湾施設なんかも以前書いたけども全部が全部止まっているわけでもなくてバルク貨物(鉄鉱石や石炭)を扱うヤードなんかは影響を受けてないなど、積出する貨物や港によって濃淡があるみたいですね。いずれにせよ継続してウォッチせざるを得ないでしょう。

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学問と「世間」(阿部謹也/岩波新書)


「学問」が不当に扱われる世の中である。いきなり何を言うのかと思うかもしれないが、実際問題として大学で学問を修めるにあたり実質的には3年余りしか時間が与えられない(いわゆる「シューカツ」というやつのせいだ)状況は「学問」をなおざりにしていると言っても過言ではない。個人名は挙げないが「大学での「学問」は社会に出てからは関係ない」式のことを言い漏らす経営者がいるような時点で、色々お察しというようなものである。
でも、実際「学問」ってそんなに不必要なものなんだろうか? それでは大学というものが何故存在するのだろうか? それこそ、かつての毛沢東やポル=ポトのように、インテリゲンチャをみんな下放して原始共産制のようにしてしまった方がいいのではなかろうか? この疑問に対しまともに答えを持つものは、多分居ないが居るだろう。この矛盾した答えの謎は極めて単純なものである。本音の部分としては「学問」なぞ余裕のある話だ、そんなことをする前に働けというものだ。そして建前としては、西欧にならって国家制度を成り立たせてきた日本という国において「学問」をおろそかにすることはできない。この本音と建前の矛盾こそが、このように「学問」が不当に扱われるようになった遠因ではないだろうか。余談だが、そういった意味では先述の財界人の発言は二重の意味で失言と云える。一つはもちろん学問というものを軽んじた、あまりに迂闊で知性の無い発言であること、そしてもう一つは、経営者というある種建前の世界に生きる人が公の場で本音を漏らしたということである。むろん、この経営者が表だって咎める者は居ないだろうが、知性の欠如した人物であることは否定できないだろう。
さて、本書はこの本音と建前を形成する「世間」と学問について、欧州の〈生活世界〉と学問との関係性と比較しながら論じた一冊だ。本論としてはそこから「生涯学習」についても述べられているが、そこにあまり価値は無い。むしろ「世間」というものと欧州の〈生活世界〉との比較――そしてそれらとの学問の関係性が中心に述べられており、そこに著者の専門である欧州中世の社会史のパースペクティブが効いている。
本書は新書で、比較的平易かつ手軽な本であるがそこで述べられている内容は決して「新書的」なものではない。どちらかといえば、もっと本質的な――いわば学問的な内容である。万人が読んで何か良いものを手に入れられるかと言われれば、それはNoだ。おそらく世の中の大部分の人が本書を読んでも小難しいことを書いているだけと思うだろう。
ただ、ここで述べられている世間というものと学問の関係性は決して古びるものではないし、教養として持っていることはとても大事なことだと思う。特に、日本人が「学問」として認識しているものが〈生活世界〉に対して本来は延長線上にあるということ、そして知ったかぶっていることを真に考えるということの重要性は、こと今日ウェブという空間で飛び交う空虚な言葉を切り払うためにも重要だ。
個人的には同志社大の三輪教授のエピソードが、明星大の関教授の調査手法と重なり非常に印象的であった。このエピソードを読んだだけでも本書を読んだ価値はあったと思っているし(若干口はばったいけども)世の中に紹介するに値する一冊だと確信している。

まえがき

第一章 日本と西欧における人文科学の形成――世間と個人――
 第一節 日本の人文社会科学者たちはどのようにして養成されてきたか
 第二節 西欧における個人の起源と人文諸科学の展開

第二章 日本の学問の現在
 第一節 日本の学問の形と教養概念
 第二節 人文諸科学は他の学問とどのような関係をもっているか
 第三節 大学や大学院でもは何が行われているか
 第四節 研究と教育はどのようにして支えられているか

第三章 フッサールの学問論と日本の「世間」――〈生活世界〉の発見――
 第一節 フッサール現象学における〈生活世界〉とは何か
 第二節 〈生活世界〉の刑法学
 第三節 〈生活世界〉としての「世間」

第四章 日本の学問の課題――〈生活世界〉の探求――
 第一節 家政学の現在
 第二節 〈生活世界〉の中の教養
 第三節 合理的な近代化のシステムと歴史的・伝統的システム(「世間」)の狭間で
 第四節 学問の再編成に向けて――大学の役割

あとがき
参考文献