伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

現場主義の知的生産法(関満博/ちくま新書)


ぼく自身の話になるけど、コンサルタントというものが大嫌いなのだ。この大嫌いにはツンデレ的成分が多分に含まれているような気もするのだが、どうにも性に合わない。というのも、コンサルタントと称する連中の成果物が基本的に糞だからだ。「お前の身の回りのコンサルが糞なだけだろう」と言われればそれまでの話なのだけども、とはいえ、まともなコンサルの成果物ってなんなんだろうか? 調査報告書? サーベイ? そんなものどうだっていいのだ。コンサルを依頼する側は、まず(コンサル屋が大好きなアンケートやら仮説の前に)自分たちの話を聞いて欲しいのだ。ところが世間のコンサル屋はまずアンケートだという。自分たちの仮説に基づく検証だという。ふざけんじゃねぇ、ばかやろう! ってのが本書の主題だ。といっても、ぼくみたいに柄が悪い書き方じゃないからご安心を。最初に述べたように、中小企業の研究で知られた著者の「現場」体験のエッセンスが詰まった一冊だ。
さんざコンサルをくさしてきて何だけども、ぼく自身コンサルの手先みたいなことをやっていて、コンサルを称する連中にいつも「逝ってよし」とか思っている。思っているけど共犯者の類ではあるという忸怩たる思いがいつもある。そんななか、本書を読むとまるで座禅中に竹箆でバシンとやられたような気持ちになる。糞な成果物を売りつけている身からすれと生きててゴメンナサイという気分になってしまう。だけどそんな重たいものを受け止めて仕事ってのはしてかなきゃならないんだ、ということを身に沁みこませるという意味で(またそれだけでも)読む価値はある。筆者の「『現場』は刈り取るものではなく、共有しともに育っていくものなのである」という言葉をかみしめつつ、自省していきたい今日この頃だ。
学生さんはとにかく必読(所詮新書なんだから、買ってでも読むべし)。社会人で他人の相談事に乗るような仕事の人は必読以前の問題だ。基本的にはアカデミックの人の本だけども、本書のパースペクティブは必ず役立つ。

「エコタウン」が地域ブランドになる時代(関満博編/新評論)

「人の姿が見える地域」による循環型・持続可能型まちづくりについての報告と提言をまとめた一冊。
ぼく自身、「エコ」という言葉が大嫌いで物凄く胡散臭く考えている一人である。エコをうたい文句にしたペットボトル回収だとか発泡スチロールトレー回収だとか正直勘弁してほしいと思っている。こんなことを言うと、このご時世市民権をはく奪されかねない勢いでアレなのだが、もちろん理由はある。どうやったってコストが嵩んで結局弱い所ーー原料屋や生産会社にしわ寄せがいくことになるからだ。そして、そこに働く労働者とその地域の周辺産業の経済規模をシュリンクさせていく。喜ぶのはせいぜいそのことを手柄顔にする小売や自己満足に浸れる消費者だけだ。
とまあ、正直なところ「関さんともあろう人がなんでこんなうさんくさい領域に」と思いつつ読んだわけなのだが、やっぱり相変わらずこの領域はうさんくさいという思いを否定するには至っていない。例えば山形県長井市の生ごみから堆肥のサイクルは、堆肥そのものの販売があんまり考慮されておらず結果として有効な取り組みが活かしきれてないということになっている。加えて施設の老朽化の問題もおきているそうだ。これなんかは典型的な「エコビジネス」の落とし穴で「生ごみを堆肥にしましょう」という市民的意識の高まりが、別のところで社会に問題をつくっていることになっているんじゃないだろうか。
また、本書で取り上げられている事例自体「市民の意識を高める」系の案件が多いのが問題。最終的に利益が出て関係者みんながハッピーになる案件じゃないのだ。ぼくが「エコ」という言葉を嫌うのはここにある。結局一部の人間のしょっぱい利益や自己満足で終わって、外部不経済を引き起こすケースが後を絶たないのだ。
とはいえ、注目すべきケースが無いわけではない。北九州市や川崎市、岐阜県の「エコタウン事業」(一発屋政策官庁でおなじみ経済産業省の事業だ)なんかは「産業」として成立していて、これなんかは見るべき価値があると思う。なんで「産業」として成立していることに価値があるか? それは、そこに利益を生み出し雇用を創出して結果地域全体を富ましていくことにつながるからだ。そしてこれはぼくが「エコ」を嫌う理由ともつながっていく。「エコビジネス」や「エコタウン」なんてものには微塵も価値は無いだろう。ただし、「産業」につながるエコ、そこに誘導していく地域産業政策は大歓迎だ。 そしてそれに対する多少の労力の増加だって許容範囲だ。
残念ながら本書に出てきた事例で評価に値するのは先ほどの三市のケース(あとは直島……というか三菱マテリアルだな)くらいで、ほかはあまり見るべきものは無いと思われる。
ただ、日本の「エコタウン」の程度を知るという意味では意義深い報告ではあると思う。ぼくらが今後評価すべき「エコ」を創出していくために。

「B級グルメ」の地域ブランド戦略(関満博・古川一郎編/新評論)

B-1グランプリでも脚光を浴びている「B級グルメ」を比較的小規模な地域産業として分析した一冊。本書が刊行されたのが2008年1月と一般的にはちょっと前だったこともあり、ここで取り上げられているものは全般的にある程度定着したものが中心になる。その為、現在進行形のB級グルメは取り上げられていない。

ネガティブな話から入って恐縮だが、そもそもB級グルメには色々問題がある。元来、地元民の日常食という側面が強いものは別地域で提供が難しいなどだ。例えば岡山県は日生の「カキオコ」なんかが代表例だ。同様の問題はホルモンなどいわゆるバラエティミートを使ったメニューなどにも発生しうる。食中毒でも起こそうものなら、ブランド以前の問題になってしまう。

また「新しい」B級グルメが雨後の筍のように勃興しているのも色々と突っ込みたい所がある。正直、「なぜその地域でその食べ物が?」という疑問符がついてまわるシロモノも多いのだ

本書がそういったB級グルメの負の側面に焦点をあてられているかというと、極めて限られた範囲にとどまっている。正直に言えば、「戦略」を名乗るには若干不満が残る内容である、と言わざるを得ない。

さらに言えば、B級グルメの成功例として列挙されている対象も若干疑問符がつく。川崎の焼肉街は「集積」という観点では重要なのかもしれないが(それでも本文中に触れられている通り、軒を連ねるという具合では無いそうな)それであれば、香川県のさぬきうどんの事例の方が成功例としてはわかりやすいし、ブランド戦略という観点では明確になったのではないかと愚考する次第。

ただ、「B級グルメ」の先行事例としては大変読むべき価値があると思う。特に盛岡のジャジャ麺については必読だ。B級グルメを展開する上での問題点について、比較的真摯に記述しており、これからB級グルメで町おこしを…と考える向きにも勉強になる記述だ。先に述べた「新しい」B級グルメに対する警鐘として、一読に値するものだと言えよう。

地域産業政策というお堅い側面ではなく勝手連的に動いていきたい、そんな人たちに本書を参考に新たな取り組みを進めてほしい、そう思える一冊だ。