伊達要一の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

どくとるマンボウ航海記(北杜夫/新潮文庫)


この本を最初に読んだのは忘れもしないいつだったか。確か中学一年の読書感想文だったように記憶している。 当時、読書感想文の本を買うのが面倒で実家に転がっていた本書を読んだのがきっかけであった。その当時は読みやすい本だと流し読みをしてチョチョイと感想文を書いてお茶を濁したのだが、その後牧神の午後(だったか?)でちょいとエローイ描写にコーフンしたり、著者が躁病期に書いたエッセイでゲラゲラ笑ったりと、まあありていに言えばハマってしまったわけですね。
その後、転がり落ちる石のごとく本を読みふける活字中毒者人生を歩むわけなのだが、私のそんなヨタなんざどうでもいいわけでございまして、いいかげん本題にはいりませう。
著者の航海記は1958年から1959年にかけて、と言ってみれば日本が坂の上に再び駆け上がる時代、簡単に言ってしまえば円が弱かった、そう簡単に海外へ行けなかった時代だ。当然、見るもの聞くものすべてが珍しく、その情景が……と思うとさにあらず。ユーモラスでナンセンスなと評されるが、なんてことはない、今時のTwitterやBlogで書かれているようなグダグダとした話が書き綴られている。
むろん、これはバカにした話ではなくて物凄く重要なことなのだ。その頃のブンガクってのはとにかく重苦しくて面倒くさくてとてつもなくツマンナイ、行ってみればヘンな人たちによるヘンな世界だった。それが、言わば「今様」の語り口でグダグダと述べられるってのはそれだけで重要なのであって、むしろ今の我々が書いているものが著者の影響を受けているという表現の方が至当なのだと私は思う。
そして、これが本当に重要なことなのだが、ところどころにグダグダと語られているだけじゃない教養のエッセンスがちりばめられている。この時代のインテリゲンチャがどれだけ凄いか、正直無教養なぼくには圧倒されずにはいられない。
もちろん、ちょっと頭がオジサンオバサンになってしまうと、若書きだのカルイだのツマラナイことを言ってしまうだろう。それでも、だからこそ読まねばならないんだろう。ぼくらが、本当の教養というものを背景に軽妙洒脱な日常を送るために。