伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

妖怪Walker(角川書店/村上健司)


東方Project」というシューティングゲームをご存じだろうか? ZUNこと太田順也氏率いる「上海アリス幻樂団」という同人サークルが手掛けたインディーズゲームだ。これがシューティングゲーム界隈はおろか音楽・文芸その他色んなジャンルにわたって二次創作が作られ大変な盛り上がりを見せている。ぼく自身一連のゲームを一通り遊んでいて、ゲームそのものの楽しさ(いわゆる「弾幕シューティング」というゲームの中では比較的とっつきやすいし、何回もプレーして楽しめる)もそうだけど、その世界観やキャラクターたちの魅力にあふれているということがその理由なのかな、と思う。
この作品に登場するキャラクターのモティーフというのが、様々な伝承に記された妖怪たちだ。例えば、東方紅魔郷という作品であれば「レミリア・スカーレット」という吸血鬼だったり、東方永夜抄であれば「蓬莱山輝夜」という名前でかぐや姫が取り上げられている。直近の作品である「東方神霊廟」では、なんと聖徳太子をモティーフにしたキャラクターまで登場しているのだ。聖徳太子は近年架空の人物という説が濃厚になったことで取り上げたとのことだが、いやはやこういったジャンルの意欲というかそういったものは、とことんまで面白いと思う。
さて、そんな妖怪たちは各地に存在する伝承がもとになっているわけだが、そんな地方の伝承をコンパクトにまとめたのが本書だ。「××Walker」というタイトルでわかる通り、体裁としては観光ガイドの形をとっている。若干安直にも感じるが、そういった原典にあたろうとするニューカマーにとっては大変にわかりやすいし便も良いものだろう。
先ほど述べた「東方Project」で取り上げられた妖怪たちの伝承も沢山掲載されている。例えば、河童の「河城にとり」であれば河童の巻という形で一章まるごと取り上げられているし、鬼の「伊吹萃香」「星熊勇儀」について言えば、その原点となる「大江山酒呑童子」の伝承について一項目まるごと使って取り上げている。
比較的コンパクトで読み易い本だし「東方Project」からその原点である伝承に興味を抱いた読者にはうってつけだと思う。だいぶ古い本だが幸いなことにこの手の伝承についてはさほど古びるということは無いので、もし見かけたら是非手に取って欲しい。
ここまでは真面目なお話であとは多少ヨタ話でも。
本書を読んでいて、今まで「東方Project」に取り上げられていないジャンルに「石」があると思ったわけだ。新作がいつごろ出るのかどうかはわからないものの、次回作のキャラクターに化け物石をモティーフにしたキャラクターが登場するんじゃないかと、ぼくはにらんでいる。しかし石となるとどうやってキャラクター付けするのか、正直まったくイメージが湧かない。それもあって今まで取り上げられてないのだろうけども、そろそろネタも尽きそうなところではあるし、いい加減取り上げられてもおかしくないのかな、などと。

はじめに

鬼の巻
狸の巻
鵺の巻
河童の巻
石の巻
怪獣の巻
天狗の巻
猫の巻
狐の巻
猿神退治の巻
温泉の巻
妖怪探訪おすすめ十コース

あとがき
索引

時刻表昭和史(宮脇俊三/角川文庫)


存外、個人の人生というものは鉄道の動きに合わせたものなのかもしれない。最近ふとそんなことを思うようになってきた。
なんとなれば、ぼく自身も小学校に上がるまでは「電車」に乗ることが特別な出来事であった。それは実家のマイカーで移動することが多かったというのもあるが、わざわざ幼少の者が鉄道で移動するという機会があまりに少なかったということがある。小学校に上がり塾に通いだすと、最寄駅と塾のある駅まで小田急線を使うようになった。ほんの数駅ではあったが、とりわけ帰宅ラッシュと重なる帰路は今まで見たことのない世界を垣間見ることとなった。ただ、ぼくにとっての日常としての鉄道――小田急線から離れてJRや他社線に乗ることは滅多に無かった(実の所、塾の講座の関係上当時としては超長距離を移動していたときもあったが)。ただ、今でも覚えているのが、地下鉄千代田線に乗ったときのことである。今でもそうだが地下鉄には何というか特有の重苦しさがあって、それに辟易したのを覚えている。
そして、中学・高校と越境通学をしていたころになると、今度はその辟易した地下鉄千代田線に毎日のように乗ることになった。朝の通学時間は通勤ラッシュの少し前であったが、複々線化事業がようやく始まろうとしている当時の小田急線は地獄のようなラッシュでありよくもまあ通えたものだと今でも思っているが、当時もそれなりに体格が良く通学にあたってもそれほど支障が無かったというのが実情だったのかもしれない。このころから、鉄道は日常と非・日常の境界の曖昧模糊としたものになっていった。親からの小遣いでそうそう遊び歩くわけにもいかず繁華街をうろつくことは無かったものの、友人の住む家に遊びに行ったりするのに定期券を乗り越して些少の金を小遣いから出していた。日常の範囲を飛び越え非・日常の世界をぶらついていたのである。
大学になるとその曖昧模糊としたものがさらに広がる。鉄道会社でアルバイト駅員をやっていたからだ。さらに、鉄道趣味にややのめりこんでいたこともあり、この時期のぼくにとっての鉄道は、日常でもあり非・日常でもありとまさに鵺のような存在であった。
長じて社会人になると、今度は出張で非日常の頂点であった長距離列車を使うことが日常茶飯事となり、ますますよくわからない存在になっていった。
このように、ごくごくつまらないぼくのような存在であっても、鉄道と人生がなんとなれば切っても切れない関係にある。況や鉄道紀行作家として名高い宮脇さんにおいてをや、である。本書は、その宮脇俊三さんの幼少期から青年期にかけての人生と鉄道をクロスオーバーさせた紀行文であり個人史である。
鉄道についての話というのはどうしても業界――いわゆる鉄道趣味者か鉄道会社勤務者の内輪的な話に終始してしまうことが多いのだが、宮脇さんの鉄道紀行文はそのいずれかのものではない。いや、宮脇さん自身が鉄道趣味者であるしある面では趣味者に向けたものではあるのだが、その名文はそれ以外の一般人に取っても読む価値がある格調高いものである。どうしても趣味者が手に取ることが多いこともあり、その中で今の鉄道旅行の話ではない本作は比較的売上が振るわなかったそうであるが、ぼくは宮脇さんの本の中で一番読むべき一冊だと思っている。
幼少期の鉄道についての思い出――列車を眺めたり家族旅行の中で利用するという非日常としての鉄道、青年期の鉄道についての思い出――見たいものを見るために様々な手段を用いて戦中のあの時代に利用した鉄道。どの話を見ても、その時代の空気がありありと伝わってくる。
おそらく色々な書評で取り上げられているであろう、第13章の米坂線の描写は必読である。日本の時が止まったとき――すなわち1945年8月15日正午、玉音放送。時は止まっていたが汽車は走っていた。列車は時刻表通りに走っていた。このくだりは是非読んでほしい。歴史上の出来事という点は実は無限の時の平面の中の一点であり、鉄道という時と空間をまたがり二点間をつなぐ乗り物は、その制約を乗り越え何事も無かったかのように――日常を維持するために動いていたのである。
歴史好き、ミリタリ好きにとどまらず、いろんな人に読んでほしい一冊。幸い角川から絶版されたという話も聞かないし、それほど入手は困難ではないだろう。是非一度手に取ってほしい。

第1章 山手線――昭和8年
第2章 特急「燕」「富士」「櫻」――昭和9年
第3章 急行5列車下関行――昭和10年
第4章 不定期231列車横浜港行――昭和12年
第5章 急行701列車新潟行――昭和12年
第6章 御殿場線907列車――昭和14年
第7章 急行601列車信越本線経由大阪行――昭和16年
第8章 急行1列車稚内桟橋行――昭和17年
第9章 第1種急行1列車博多行――昭和19年
第10章 上越線701列車――昭和19年
第11章 809列車熱海行――昭和20年
第12章 上越線723列車――昭和20年
第13章 米坂線109列車――昭和20年

略年表
参考図書
あとがき
解説 奥野健男

面白南極料理人(西村淳/新潮文庫)


「読むと腹が減る」本というものが世の中にはある。料理好きであれば料理のレシピ本なんてのが典型的なものだろうし、紀行文なんかもその典型だ。というか読者を置き去りにして松葉ガニをむさぼり食うだとかもはや拷問の域に達していると思う。
この南極面白料理人も、食欲があまりない筈なのに何故か「読むと腹が減る」不思議な本の一つだ。南極の極寒の地で繰り広げられるご馳走に、もう生唾もんでございますことよ。おまけに筆者は海上保安庁所属の主計担当でレストランのシェフとかではない為、日常的な料理が日常的ではない素晴らしい食材を用いて豪快に調理される様に食欲を刺激することしきり、というわけだ。
南極の観測というと観測船の〈しらせ〉がボロくなって色々問題になってたり、搭載ヘリをどうするんだという問題があったりと、軍事クラスタ的にはネガティブな話題が多かったりするんだが、本書で描かれている南極観測の「日常」はそんなネガティブな空気を吹き飛ばすようなお気楽さと真面目さが入り混じっている。そういう意味でただの「読むと腹が減る」本とは一線を画していると云える。
あとそういえば、不肖・宮嶋氏が地味にdisられていたり。宮嶋氏も週刊文春に掲載されたルポをまとめた南極体験記を出しているが、あれに書かれている内容について現地からは色々と突っ込まれていたりする。宮嶋氏の方を読んでいる方は是非ともこちらも一読して欲しい。色々と笑いが込み上げ、腹が減ることうけあいだ。

旅は自由席(宮脇俊三/新潮文庫)

学生時代は無闇矢鱈と本を読んでいて、図書館で借りては読み、古書店で買い漁っては読み、新刊本を買っては読みと若干正気を疑うような読み方であった。 まあ、この乱読がいまの自分を形成していると思えば、そういう時代もあるのだろうと思うのだが。

本書はエッセイに若干の紀行が混ざった内容で、まさに「肩ひじ張らず読める本」といった趣向。とはいえ、この年この経験この乱読をしているからこそ、ハッとするものもあったりするから面白い。

例えば「白と黒の世界」という一編の中で触れられている「黒」すなわち「闇」については、岡山に赴任して初めて身近に接したもので、たぶん生まれてずっと東京に住んでいた学生時代にはあまり深く理解できないものだったに違いない。また、著者の両親、とりわけ父親とのエピソードを書いた数編も、一度親元を離れて暮らした我が身にとって何とも感じ入るところがあるものになっている。

年を重ねることで失うものが沢山あり気が滅入ること頻りではあるが、それでも年月を重ねこのように改めて新たな感慨をもつという体験に、つくづく読書という趣味をもっていることに僅かながら幸せを感じる瞬間である。筆者のように旅行することもなかなかままならないし、移動も自動車ばかりになってしまったが、それでもたまには列車に乗って旅をしたいという気分にひたらせてくれる、そんな一冊だ。

中国火車旅行(宮脇俊三/角川文庫)

80年代のまだまだ改革開放が道半ばだった時代の鉄道紀行。当然まだまだ共産圏らしさが色濃く残っている時代で、国営旅行社のガイドが付きまとうなど時代を感じさせる一冊だ。中国の鉄道というと、2011年にあった温州市の衝突事故もあってあまり良いイメージが無かったのだが、80年代の中国国鉄で保線が良かったという描写が頻繁に出てくるあたりがちょっと意外であった。

ところで、中国国鉄に東方紅3型なるディーゼル機関車があって、もう今では地方や専用線にしか走っていないそうな。名前がいろんな意味でいいのぉ(謎)。さらに東風4型なるディーゼル機関車は今でも現役だそうな。その筋の人にはたまらんですのお(さらに謎)。

それにしても、全日空の成田―大連―北京線の第一便(それもトライスター!)に乗るとかとかく時代を感じさせる。そのうち「ジャンボ機」という表現もそういうことになるのかもしれない(737はいまだに現役だけど。ただ、ここで書かれている737は今飛んでいるやつよりもひと世代昔のやつだろう)。

あと宮脇さんの紀行文はとかく食い物の描写が簡潔なのだけども、物凄く食欲を刺激させるというのが凄い。夕食を摂った後で腹いっぱいの筈なのに食欲を刺激させるとか。 特に北京ダックの描写は「チクショー」と叫びたくなるほど。

鉄道に興味のある人以外にも、共産圏の「空気」を感じたい人にも是非。 列車に乗ってどこか旅に出たくなる一冊だ。