日本人のためのアフリカ入門(白戸圭一/ちくま新書)
アフリカといえばどのようなものを連想するだろうか。紛争? 飢餓? 貧困? 部族対立? 汚職や不正? たしかにこれらはアフリカという地域の一つの側面である。一時期コピペネタとして「ヨハネスブルグのガイドライン」なるものが流行った時期がある。今ではある意味ジャーゴンとして消化されているが、そこで述べられているヨハネスブルグというのは、それはそれは酷い街のように印象を受ける。ここにそれを引用してみよう。
・軍人上がりの8人なら大丈夫だろうと思っていたら同じような体格の
20人に襲われた
・ユースから徒歩1分の路上で白人が頭から血を流して倒れていた
・足元がぐにゃりとしたのでござをめくってみると死体が転がっていた
・腕時計をした旅行者が襲撃され、目が覚めたら手首が切り落とされていた
・車で旅行者に突っ込んで倒れた、というか轢いた後から荷物とかを強奪する
・宿が強盗に襲撃され、女も「男も」全員レイプされた
・タクシーからショッピングセンターまでの10mの間に強盗に襲われた。
・バスに乗れば安全だろうと思ったら、バスの乗客が全員強盗だった
・女性の1/3がレイプ経験者。しかも処女交配がHIVを治すという都市伝説から
「赤子ほど危ない」
・「そんな危険なわけがない」といって出て行った旅行者が5分後血まみれで
戻ってきた
・「何も持たなければ襲われるわけがない」と手ぶらで出て行った旅行者が靴と
服を盗まれ下着で戻ってきた
・最近流行っている犯罪は「石強盗」 石を手に持って旅行者に殴りかかるから
・中心駅から半径200mは強盗にあう確率が150%。一度襲われてまた襲われる確率が
50%の意味
・ヨハネスブルグにおける殺人事件による死亡者は1日平均120人、
うち約20人が外国人旅行者。
また、これもある種ジャーゴン的に消化されているが、一時期ジンバブエのハイパーインフレもネタになった。これがネタになる言論空間のなかでは、ジンバブエの愚かな政策を揶揄し嘲笑することをみな前提として、それぞれの持論を展開するという、ある種頭の痛くなるような構図が存在していた。
このようにアフリカというのは、日本人からすれば極度にネガティブなとらえ方をされている地域である。
一方で近年では資源をめぐって中国が活発に活動をしていることから、日本もバスに乗り遅れるなとばかりに外交を展開すべき、という意見もある。
本書はそんなアフリカという地域に対するネガティブな見方や一面的な見方を諌める一冊だ。
日本から見たアフリカというのは実の所「遠い国」であり、毎日新聞で特派員をやっていた著者も新聞紙面に記事を載せるべく悪戦苦闘していた。結果、そこで起きることは欧米で大々的に取り上げられた段階で記事になるという「後追い報道」である。本書を読んでいて特派員としての筆者の苦悩がよく伝わってくる。また「あいのり」のヤラセ疑惑について触れているところについては、日本サイドの上から目線に釈然としない筆者の心情に自然と感情移入してしまう。
実際の所、アフリカという地域全般を一言で切ってしまおうとすることは傲慢極まりないし、松本仁一のアフリカに関する著作を読んでいてもあまり適切ではないことは自明である。だが、現実的に(物理的にも、政治的にも)遠いことは事実であって、もどかしさを抱えながらも一括りにせざるを得ない部分がある。
じゃあ、どうすればいいのか? ここで一言で言えるほど簡単な問題じゃない。理想論を言えば、ひとりひとりが知識を備えるということなのだろうけども、世の中を見渡してみてもそれはあまり現実的ではないと思う。ただ、知識を得ようとする、実態を知ろうとする努力は必要なことは当然のことだ。ましてや、先述したコピペやネタをもって、ただただ嘲笑するような態度は賢明ではない……というかむしろ愚かだとぼくは思う。
本書がアフリカの現実を余すところなく紹介した一冊だとは言えない。残念ながら新書本らしい軽さがあることは否定できない。ただ、本書のような本、そして本書で紹介されているような本を読んで知識を得ることで、より懸命になろうとする態度こそが今のぼくたちにできる最大限の努力だし、知性というもののあらわれなのではないだろうか。
やや長めの「まえがき」
第1章 アフリカへの「まなざし」
1 現代日本人の「アフリカ観」
2 バラエティ番組の中のアフリカ
3 食い違う番組と現地
4 悪意なき「保護者」として第2章 アフリカを伝える
1 アフリカ報道への「不満」
2 小国の内政がニュースになる時
3 「部族対立」という罠第3章 「新しいアフリカ」と日本
1 「飢餓と貧困」の大陸?
2 「新しいアフリカ」の出現
3 国連安保理改革をめぐる思惑
4 転機の対アフリカ外交終章 「鏡」としてのアフリカ
1 アフリカから学ぶことはあるか?
2 「いじめ自殺」とアフリカ
3 アフリカの「毒」アフリカについて勉強したい人のための一〇冊
あとがき
シビリアンの戦争(三浦瑠麗/岩波書店)
いきなりで恐縮だが、ぼくはドイツ参謀本部のような歪んだプロフェッショナリズムというものが大嫌いだ。ドイツがあんなグチャグチャになったのも、極論を言えば彼らの歪んだプロフェッショナリズムがドイツという国家を自爆に導いたと思っている。同様に日本における旧陸海軍も同じ穴のムジナだ。そういう意味では文民統制(シビリアン・コントロール)というものは重要だし、議会や民主的に選ばれた政権によって軍事行動は制御されるべきだと思っている。
しかし、本書はその考えに対して驚くべき指摘をしている。戦争はむしろ当事者意識の無い文民によって引き起こされるものだ、と。所謂通論で言えば、これは荒唐無稽なものと言ってしまっても過言ではない。先述したように、軍というものは文民による制御が無ければ勝手に戦争を引き起こして国民に迷惑をかける、というのが世間一般の共通認識だからだ。だが、本書の丹念な研究はそういった通論を打ち砕く。民主的に選ばれたはずの政権が戦争についての当事者意識もコスト意識も無く、戦争を引き起こし多大な犠牲とコストをもたらすのだ、と。事実、本書で指摘されたような戦争――クリミア戦争やレバノン戦争、それにフォークランド紛争、イラク戦争――が遂行される過程において、文民の方がイケイケドンドン(これは政権や議会だけではなく国民もだ!)で軍や官僚たちプロフェッショナルどもの方が抑制的だったのだ。
実際、レバノン紛争の当事者であるイスラエルでは、軍人たちによる平和団体「ピース・ナウ」というものがあったりするし、イラク戦争では退役した軍人たちによる批判も数多く出ている。本書で述べられている中でも、クリミア戦争では戦争そのものに批判的だった軍人が戦後責任を押し付けられて更迭されたりなんぞしている。
ぼくらが認識していた文民統制というものは、実は間違った考えなんだろうか? 実は軍のことは軍に任せるという方がよっぽどいいんじゃないだろうか?
ぼくはそうは思わない。プロフェッショナルはもちろんその分野ではとても有用なものだし、本書で記述されているような戦争に対する批判という点においてその能力を発揮した見解だと思う。だけど、それに任せるということが果たして本当に良いことなんだろうか? にわかにはこの疑問についての解答は導き出せないけども、プロフェッショナル任せということが国民にとって良いこととはぼくは思わない。
むしろ批判されるべきは、当事者意識を持たないぼくらの方にあるんじゃなかろうか? 若干身内批判になるので言いたくはないけども、威勢のいい意見に引っ張られる向きが結構見受けられるのだが、それによって払う犠牲(これは人命もそうだしコストだってそうだ)についてどれだけ考えているんだろうか? むしろ「なんとなく」で威勢のいいことを言って、反戦団体(彼らにも批判されるべき側面があるのは事実だけど)叩きをすればいいというある種の自己満足にひたってないだろうか?
本書はそういうことを考えるきっかけとしては適切なものだと思う。無論、本書が完璧なものだとは言えない。山形浩生さんの書評でも触れているけども「軍人のほうが反戦的という主張は、ひょっとしたら成り立たないかもしれない」という問題はあるし、シビリアンによる戦争ということを研究するにおいて、もっと触れるべき戦争(たとえばわかりやすい所ではベトナム戦争だ)があるはずだ。ただ、あくまでも考えるべき当事者はぼくたち国民ひとりひとりなわけで、そうそうたやすく「プロフェッショナル」に任せきりというわけにもいかないと思う。だからこそ、本書を一読して考えてみるべきではないかと、ぼくはそう思う。
余談
先に触れた山形浩生さんの書評の中で中国について触れていたけども、どちらかといえば中国の場合中南海のエリート層と軍である種の当事者意識の齟齬があるんじゃないかと思う。特に人民解放軍がらみの話題というのは、本当に表に出てこないので見えない部分があるのだけども、実際に指揮を執る側からしたら政権の当事者意識の無さに色々ともどかしさを感じている連中はいるのではないかと勝手に思っている。むしろ、こういった研究で言うならば北朝鮮とかで考えてみた方がしっくりくるんじゃないかと思う(あそこも必ずしも政権と軍の関係がガッチリというわけじゃないけど)。
略語表
序
第I部 軍、シビリアン、政治体制と戦争
第一章 軍とシビリアニズムに対する誤解
第二章 シビリアンの戦争の歴史的位置付け
第三章 デモクラシーによる戦争の比較分析第II部 シビリアンの戦争の四つの事例
第四章 イギリスのクリミア戦争
第五章 イスラエルの第一次・第二次レバノン戦争
第六章 イギリスのフォークランド紛争第III部 アメリカのイラク戦争
第七章 イラク戦争開戦に至る過程
第八章 占領政策の失敗と泥沼
第九章 戦争推進・反対勢力のそれぞれの動機終部 シビリアンの正義と打算
第一〇章 浮かび上がる政府と軍の動機
終章 デモクラシーにおける痛みの不均衡用語解説
あとがき
引用・参照文献
注
登場人物一覧
空港の大問題がよくわかる(上村敏之・平井小百合/光文社新書)
同人サークルであるイオシスの追っかけをやりながら、フライトシミュなんぞやっていると自然と航空業界に親しむことになる。なんとなれば、イオシスは北海道は札幌を拠点にした(いや、東京組はいるけども)同人サークルであるし、フライトシミュは読んで字の如くだ。ぼくがやっているのはMicrosoft FlightSimulator Xなのだが、素のソフトにはそっけない架空のエアラインしか入っていないものの、有志のアドオンを入れることで、たちまち実在するエアラインの航空機を操ることが出来る。最初は自分勝手気ままに空を飛ぶことをしているものの、だんだんと実在のダイヤに基づき空を飛ぶようになる。
とまあ、もともと交通関係は興味があったものの、自然と最近は航空関係のトピックスに関わるようになってきた。本書のような、どちらかといえば重箱の隅をつつくような本を読み始めたのもそういう事情がある。
本書は、日本の「赤字空港」を切り口に海外の空港と比較しいかに日本の空港が立ち遅れているかということを論じた一冊である。まあ、新書本らしい企画ではある。
実際、日本の空港――それも羽田だの成田だのはヘヴィな利用者からはとかく評判が悪い。その評判の悪さの大半はぼく自身は真の意味で24時間営業じゃない――空港アクセスも含めて24時間営業をしていない――ところのような気もするけども、叩く人は中に入っている店のセンスの無さまで叩く。もっとも、これは空港問題の本質ではないので今回は立ち入らないでおこう。本当は、つまらん空港の施設をマスコミが取り上げてさも素晴らしいように語る風潮についても述べておきたいのだが、これも本質ではないので省こう。
さて、正直に言えば本書の中身はそんじょそこらの新書本らしい「浅さ」に満ち溢れていると言わざるを得ない。それは欧州との比較論ではなく国内分析についての「浅さ」だ。そもそも本論において、国内の赤字空港の見積もりの甘さについて論難しておいた上で、静岡空港のフジドリームエアラインや北九州空港のスターフライヤーの肩を持つような論調というのは、ダブル・スタンダードもいいところだ。実際、スターフライヤーについてはその中身について厳しく論難している人もいるわけで、そういう向きに対して申し開きができるような本なのかと言われれば、はっきり言って論外のレベルだと思う。
関西3空港問題や中部国際空港についてもそうだ。空港の本質というものに対して前提とするものがあまりに無く、無定見に過ぎる筆者たちの議論はこれらの本来しっかり議論すべき問題を単純化してより分かりにくくするだけだと思う。極論すれば有害無益とまで言えるかもしれない。
本書はタイトルに偽りありの典型的ダメ本の一冊。正直買ってまで読む価値はあんまり無い。
はじめに
第1章 赤字空港の実態
空港の赤字をどう思うか/赤字空港を報じる新聞記事/ベールに包まれる地方管理空港の収支/唯一の例外が神戸空港/赤字空港の新聞記事の内容/会計検査院による地方空港の検査報告/『日経グローカル』による地方管理空港の調査/国管理空港と地方管理空港の違い/国管理空港の「どんぶり勘定」/「空港整備の特別会計」の仕組み/国管理空港の収支をめぐる政治的な動き/航空政策研究会による空港別収支/ついに公開された国管理空港の収支の「試算」/空港が過剰に建設された背景/空港建設を促進する地方財政の仕組み/再考:空港の赤字をどう思うか第2章 世界の空港の動き
変貌する世界の空港/国際線旅客数で見た空港ランキング/旅客数で見た空港ランキング/国際貨物の空港ランキング/イギリスにおける地方分権化と民営化/イギリスの地方空港と赤字空港/ドイツとフランスの空港/アメリカの空港/空港経営のビジネス・センス/民営化による経営意識の変革/その後のBAA/民営化が進まないアメリカ/国家戦略としてのハブ空港/顧客満足度を追及するシンガポール/シンガポールの狙い/北東アジアのナンバー・ワンを目指す仁川国際空港/飛躍が期待される上海浦東国際空港/なぜハブ空港が必要なのか第3章 空港の運命を左右する航空の動向
空港経営を左右する航空自由化/第1から第9の自由/「1つの空」を目指す航空自由化/航空自由化がもたらす熾烈な競争/世界的アライアンスは大手の生き残り策/大手航空会社の戦略/LCCの台頭①/LCCの台頭②/EUのLCC代表・ライアンエア/アジアで成長するエア・アジア/LCCの次なる戦略/日本に格安航空会社が育たない理由①/日本に格安航空会社が育たない理由②/苦境に立たされる日本のフラッグ・キャリア/JALは再建できるか/ANAの戦略/航空の動向が空港の命運を分ける第4章 日本の空港をどうするか
まさかの廃港が現実に/噴出する様々な空港問題/国管理空港の財務様式の決定/地方管理空港の財務諸表の作成と公表/民営化できる空港の選択/空港の経営単位の統合/地方分権化が実現した県営名古屋空港/独自の道を進む能登空港/北九州空港と静岡空港を拠点とする航空会社/航空自由化は地域活性化のチャンス/複数空港の一体運営/1人当たり負担額の提示を/「空港整備の特別会計」の解体/関西空港の路線はなぜ見放されるのか/「関西3空港問題」の発端/「まな板の鯉」となった関西空港/関西空港の課題/伊丹廃港論は現実的か/中部空港は「第二の関西空港」なのか/国際3空港のなかの成田空港/成田空港の課題/成田空港の歴史的経緯/羽田空港の国際化/欠かせない訪日外国人の需要/日本の空港を生かすにはおわりに
主な参考文献・参考資料
空洞化を超えて(関満博/日本経済新聞社)
中小企業研究で著名な、明星大教授である著者による、いわゆる「空洞化」問題について解説と提言を行った一冊。
著者は中小企業の現場に密着した調査に定評があり、本書でもそういった視座に基づく議論を展開している。一般に空洞化というと雇用という観点からの議論が中心になるが、それと同時に発生している「技術」や「地域」の「空洞化」という極めて示唆的な着目点で論を展開しているのは、かなりアイ・オープナーなものだと思う。
本書が刊行されたのが1997年と少し前なこともあり、ここで述べられているのは一昔前の内容かもしれない。今日では日本企業が中国やASEAN諸国での生産を行うのが至極当たり前のことになってしまっている。しかし、その背景として日本国内の産業構造がどのようになっているのか? ということを知っておくのはとても有用なことだと思う。そういう意味では是非一度手にとってみて欲しい。
プロローグ 空洞化の連立方程式
第1章 産業空洞化をどうみるか
1 マクロ的な空洞化論の限界
(1) プロダクト・サイクル論は妥当か
(2) 付加価値の高い産業とは
2 もう一つの「産業空洞化論」
(1) 技術の「空洞化」
(2) 地域の「空洞化」第2章 マニュファクチュアリング・ミニマム
1 技術の集積構造とその空洞化
(1) 技術集積の三角形モデル
(2) 産業構造転換を支える基盤技術
2 マニュファクチュアリング・ミニマムとは何か
(1) 技術の組み合わせとしての「ミニマム」
(2) 「ミニマム」の維持と展開第3章 産業構造分析の新たな視角
1 技術基盤をベースにする産業分析
(1) 従来の産業分析の顕界
(2) 加工機能に着目した機械工業分析
2 加工機能による企業類型
(1) 製品開発型企業の叢生
(2) 重装備型企業類型の現在
(3) 機械加工型企業類型の展開
(4) 周辺的機能の拡がり
3 加工機能とマニュファクチュアリング・ミニマム
(1) 加工機能の欠落とモノづくり
(2) 地域とマニュファクチュアリング・ミニマム第4章 「地域空洞化」と「技術空洞化」は防げるか
1 地域産業の技術集積の諸問題
(1) 大規模企業城下町の困難
(2) 地域産業の困難
(3) 誘致企業の動向に揺れる地方小都市
2 マニュファクチュアリング・ミニマムの模索
(1) 室蘭と京浜地区のリンケージ・プラン
(2) 地域技術の高度化
(3) 地域工業の構造調整後の図式
(4) 「ミニマム」を確保、形成していくための課題第5章 新たな東アジア分業と技術移転
1 地域中核企業の海外進出
(1) 進出大企業と地域中小企業の関係変化
(2) 海外進出と地域経済への影響
2 アジア進出の新局面
(1) 「輸出組立基地」としてのアジア
(2) 「中国の事情」の変化
(3) 「市場」としての中国
3 産業システムの移管
(1) 電子部品メーカーの中国進出
(2) 産業システムの移管が意味するもの第6章 東アジア各国地域の自立化と日本産業
1 対中自動車交渉に学ぶもの
(1) 中国の自動車政策
(2) 国産化への協力
2 アジア各国の技術構造とネットワーク
(1) 中国の「技術」に対する評価
(2) アジア各国地域の技術構造
(3) ネットワークとマニュファクチュアリング・ミニマムエピローグ 「モノづくり」と「人づくり」
地域を豊かにする働き方(関満博/ちくまプリマー新書)
中小企業研究で著名な明星大教授である著者による、東日本大震災被災地の中小企業から見る地域産業と日本の産業の将来について論じた一冊。
先日紹介した「東日本大震災と地域産業復興」を、一般向け(若干若い世代向けかな)に纏めなおしたような感じで、前掲書を読んだぼくからすると若干食い足りない感があったのは否めない。ただ、内容はとてもヘビー級であることには間違いない。
東日本大震災という災害はとても大きな出来事だし、そこに住むひとたちにとっては間違いなく人生を大きく変えることになってしまっただろう。だけど、その中で地域とともに歩く中小企業が息づいている、そして何とか立ち直ろうとしている姿はとても印象的だ。それを若い世代にもしっかりと述べようとしている本書と著者に拍手を贈りたい。
前掲書がちょっとキツいと思った若い世代にも、一般的な読者にもおすすめしたい一冊。内容もコンパクトに纏まっていて読み易いはずだ。