伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

ルポ貧困大国アメリカ(堤未果/岩波新書)


ジャーナリストとして活躍する著者による――というか本作が出世作だな――アメリカの貧困層を現場からとらえた一冊。
こと、ウェブ界隈では左巻きな論調をバカにしてかかる風潮があるし、恐らく本書で書かれているような内容はその範疇に入ってしまうだろう。実際、中南米からの不法移民なんかはとってもグレーな位置づけだし、貧困層の実体は結構自業自得と切り捨てられてもそうそう反論できない状態だったりするからだ。
ただ、本書が著者の出世作になっただけあって、そこに描かれている貧困層の現場を活写しているところはお見事。特にアメリカにおける医療費や教育周りの酷さは、実際向こうに住んで仕事をしている高給取りでもげんなりしているという話があるほどで、貧困層だけの問題と矮小化するのはあまり賢くは無い。
本書を読んでぞっとするのが、アメリカで起きている教育や医療、それに安全保障の分野がアフリカの失敗国家と相似しつつあるということだ。カラシニコフ松本仁一朝日文庫)で述べられている、国民の教育や安全保障にカネを使わず、権力闘争に終始する国家と世界の超大国に同じような姿が見えてしまうところは、正直恐怖を覚える。そして、それは日本にも部分的に当てはまりつつあるところだ。幸いにして、日本医師会・国民健康保険・厚生労働省というある種強烈極まりない鉄のトライアングルが形成されているが故に、医療問題はそうではないかな。安全保障の分野も防警察官僚それに内務系官僚の鉄の結束がとっても強いので、まだそれほどでもない。ただ、教育はいわゆる「底辺校」の問題があるし「生活保護バッシング」などを見ると、決して他人事とは言えない。
確かに書かれている内容は一部のひとたちからすれば、決して愉快なことではない。ぼく自身も若干鼻白むところがある。だけど、それだけで読むのをスルーするのは勿体ない。こんな風潮の中だからこそ、読むべき本質はあるしそこから得るべきものは沢山あるはずだ。

日本の経済格差(橘木俊詔/岩波新書)


日本の経済格差を所得と資産の観点から統計分析し、政策提言をロールズの「公正原理」における「マクシミン原理」に基づき論じた一冊。
曰く「格差社会」について色々と語られる機会は多い。やれ、新自由主義的な経済がどうこうだとか、いや労働組合が既得権益にとか。やれやれだ。そんなたわごと、本書を読めば言えなくなる。それだけ、本書は価値のある研究を纏めたものだし、是非一度目を通して欲しいものだ。
本書で扱われている統計は若干古く(1998年上梓なのだ)語られている話もバブル経済の弊害にページを割いており、ちょっと古くさいように感じるかもしれない。ただ、ここで述べられている話は少しも古びてないと思う。とくに昨今の「新自由主義的政策が格差を助長した」だの「従来の政策は効率性を悪化させる悪平等がはびこっている!」などという言説に染まった読者からすれば目からウロコもんだろう。日本はとっくの昔(懐かしのバブル時代)に格差が大いに拡大していたのだ!
最初に少し昔のバブル経済の弊害についてページを割いていると書いた。だが、もしかすると今再度確認すべき話なのかもしれない。なにしろ、現政権が望んでいるのはまさにあの時代なのだから。ぼく自身はインフレターゲティング政策(リフレ政策)そのものについて、比較的懐疑的にみつつも試すことについては消極的に賛成という立場を取っている。ただし、失敗した場合には関係者にはそれなりの責任を取ってもらうのが前提だが。そういう立場に立って本書を見てみると、本当に「バブル経済」というものが良かったのか? 結構懐疑的になるし、そういう意味では政策に対する見方も変わってくるんじゃないかと思うわけだ。また、世の中の流れとして社会保障の水準を下げるという話が出始めている。これそのものが、本当に良いことなのか? その価値判断をする材料の一つとしてもこの本は機能するんじゃなかろうか。
別にこの本で述べられているような「平等」の確保が必ずしも必要だとは言わない。国民の判断として「平等」よりも「競争」や「効率」を求めるのならそれでもいい。でも、その弊害や現状を知らず言っているのはどうなんだろう。
そういった様々な「現状」を知るという観点で本書を一度読んでみることをお勧めする。確かにちょっと古い内容だし、文章もお堅いシロモノだが読んで損は無い一冊だといえる。