伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

技術大国幻想の終わりーーこれが日本の生きる道(畑村洋太郎/講談社現代新書)

大変久しぶりであります。いちおうこのブログは「書棚」と書いている通り書評をウリにしているハズなんですが、いつの間にか全くやらなくなってしまったので、再開したいと思います。

多少生産技術や機械工学に足を突っ込んだひとからすれば、畑村洋太郎氏を知らないのは要するにモグリといえよう。ちょうどコンサルタント界隈で関満博*1を知らないのがモグリと云われるのと同じくらいと言って過言ではない。
失敗学に関しては生産技術関係だけではなくて、システムエンジニアリングの世界でもかなり有名になってきて、かなり耳にする機会も多くなってきていたり、東京電力福島第一原子力発電所事故に関しては事故調査・検証委員会の委員長も務めていて、産業・学問の領域を超えたある種著名人にまでなっていると言ってもよいだろう。

それだけに書店で本書を見かけた際に期待があまりに大きかったわけだが、正直期待はずれであった。

老いたり畑村洋太郎

プロローグの部分は確かに十分に読ませるだけの内容であることは間違いない。韓国の原子力発電所売り込みに対しての日本の傲慢を述べた部分は十分に頷ける内容だし、原発に関して自前の解析プログラムを持っていないという指摘は連続プロセス系の生産システム*2に携わる身であれば、唖然とする話だろう。もっとも、事故以降の東京電力の体たらくを見ていればある意味さもありなんではあるのだが。

しかし読むべき内容はそれだけだ。個別の成功事例を羅列して、それらしい理屈を並べ立てただけのガラクタに過ぎない。なるほど、サムソンの規模拡大は巧いやり方だろう。半導体に関するニッポンバンザイ系の連中よりはよっぽど誠実な内容だ。日産*3の中国国内での企画販売については確かに参考になるかもしれない。ホンダのベトナムマーケットでの商売はある種の手本になるだろう。
だが、これらはただの事例に過ぎない。ただの数字的な現象に過ぎなくて、ここの記述に失敗学でいうところの「現地」「現物」「現人」はどこにも無い。そしてそれが致命的な食い違いを生み出しているのがマツダの事例紹介だ。

危機意識がマツダを変えた?

本書のなかでマツダに関する記述はほんの1、2ページに過ぎない。だが、本書の出来の悪さを象徴しているといえよう。マツダが経営危機に至りフォードの救済によって乗り越えた後、リーマンショックを機にマツダ株の大半を売却、存続が危ぶまれるとある。経緯に関しては(微妙な違和感はあるものの)端的に言えばおおよそ間違っていない。ただ、その後があまりに酷い。

マツダが足下では国内販売不振に陥っているものの、グローバルで売り上げを伸ばしてきている要因、その最大のものが「SKYACTIV」を冠した一連の技術である。そこまでは良い。しかし、それを単に「危機感」が生み出したというのは致命的なレベルで個別調査の甘さを感じてならない。

まず、本質論からいって「SKYACTIV」を冠した技術はエンジン周りだけの話ではないということである。シャシーにしても、ボデーにしても、トランスミッションにしても一括で研究開発を行ってきたものだ。これは見落としてはならない話なのに単なる「エンジン技術」というレベルで語っている。実際「SKYACTIV」を冠した様々な技術が集約されて世界有数の地味なイノベーションである「G-ベクタリング コントロール」や4WDに関する技術改善に繋がっているからだ*4。さらに言えば、これらは別にフォードの資本が外れてからやり始めたというわけではない。フォード体制下であってもそれ以降であっても継続して研究開発してきたネタである。あくまでも一括して売り出すためのレーベルに過ぎない話だ。

百歩譲って、エンジン技術が「SKYACTIV」の中心であるとしよう。危機感がスタート地点にあるということもまあ、間違ってはいない。ただ、それだけで実現したものではないことは決して書き漏らしてはならない内容である。実態として、極端に少ないリソースのなかで高度なエンジン技術を実現するために行った手法こそが、本来本書で述べるべき内容であると私は考える。
これらに関しては詳細に記述した書籍がすでに刊行されているので簡単に触れるだけだが、エンジンの効率改善に向けた要素の明確化とCAEを用いたブレイクスルー、それに加えて常識を疑いながら検証を進めるという飛躍と愚直さを併せた手法を用いている。これに触れずして、なにが「現地」「現物」「現人」だろうか? このあたりにおける誠実さの不足に、私は「畑村洋太郎老いたり」といいたい。

マツダに関する個別の研究については、下記書籍に詳しい。興味が湧いた向きには是非とも一読頂きたい。本書のマツダに関する記述がいかに不誠実かよくわかるであろう。

迷走するApple

そしてiPhoneに関する分解検討も今となっては大きく疑問符のつく内容である。なるほどiPhone4の世代くらいまでは本書で述べたような価値創造を中心とした非常に興味深いプロダクトであった。つまり過去の話だ。本書は2015年に刊行されたわけで、そのころには後継機種やAppleの別プロダクトも発売されているのだが、そこも含めた検討はされていない。Appleのプロダクトがその後酷く迷走を続け、Macbookなどでは個別部品を極端に密結合に製造して、分解修理が一切出来ないようになってしまっているのは読者のみなさまにはご承知の通りである。
スティーブ・ジョブスの死とティム・クック体制の歪みと言ってしまえばそれまでだが、価値創造とはこれほどまでに難しいものなのだ。一度エコシステムを組み上げたAppleですら、それに失敗することによってその価値を崩壊させつつあるというのが現実である。

過去の業績は忘れよ!

結局、現状でなにが出来るか? というのが本来あるべき議論なのだろう。恐らくは著者もそれを述べたかったに違いない。
ただ、それは致命的に失敗している。恐らく本書の読者も「結局日本の生きる道は何なの?」という感想で終わってしまうに違いない。それだけならまだ良い。これを読んで「これからはAppleを見習え!」などとピントの外れた大号令をかける経営者が居たとしたら…… もはや寒気すら覚える。

結局は愚直に現状出来ることを積み上げることしか、現実に出来ることはない。そのなかで適切な舵取りをしていくことが必要なのだが、その方法論については何一つ論じていない。本書にあるものは、手先口先の事例の羅列とありきたりなケーハツ本の内容、それだけだ。読む価値はない。
残念ながら本書を読む限りは畑村洋太郎は過去の人となってしまったと言わざるを得ない。

*1:明星大学教授。フルセット型産業構造を超えて 東アジア新時代のなかの日本(中公新書)と現場主義の知的生産法(ちくま新書)はいかなる業界関係者でも一読の価値がある名著

*2:石油精製や石油化学といったメインの原料から下流の製品まで連続的に製造されるプラントを想像頂ければと思う

*3:というより現実的にはルノーなのだが

*4:もっともこれらが極端に業況にプラスとなっているかは微妙なところであるが。ただ、将来的に大きな可能性を秘めていることは間違いない