伊達要一の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

万年筆のこと(人生、この憂鬱なるもの)


人生における憂鬱なことに、文をしたためるということがある。別に恋文のようなロマンティックなものではなく、純粋にビジネスについての手紙であったり、さしたる用もないけれどお礼方々記す手紙であったり、酷く憂鬱な気分に陥る。
何しろ悪筆である。他人様にお見せするような結構な麗筆をふるえるわけでなし、さりとて残念ながらタイプ打ちに署名ではなかなか通用しない世の中で、仕方なしに金釘同然の蚯蚓がのたくったような汚らしいものをお見せする恥を晒さねばならない。これを憂鬱と言わずして、である。
幸か不幸か、正道を行く覚悟も気分も無く、年賀状というこの憂鬱が塊となって押し寄せるイベントには郵趣家でありながら、色々と言い訳をしつつ欠礼することで大分この憂鬱からは逃れているけれども、それでも悪筆を晒すことは、ままある。それこそビジネスにまつわる添え状を手で書かなければならない局面は山のようにある。
仕方なしに用いるのが、万年筆である。何故かはわからないが、ボールペンなどの筆記具で書くよりも七難隠してくれる、ような気がするのである。
最近でこそ殆どがワープロを使って仕事をするのが作家のスタイルとなり、半ば過去帳に記された万年筆だが、純粋に何か書くとなると意外にこれが書きやすいのである。とはいえ、金釘蚯蚓の字が根本的に改善されるかといえば、そうではないが気分としては多少なりとも良くなるのは確かだ。
なにより、無駄な力が入らない。かつて大橋巨泉が「みじかびの きゃぷりきとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」など戯れ歌混じりに落書きをするコマーシャルがあったが、まさに戯れ歌混じりにさらさらと書ける。ボールペンを使って書くときに、かすれが怖くて過剰に筆圧が上がってしまう私にはとても有り難い。
さらに言えば、かつての文豪の気分に浸れるのも大きい。もはやスノビズムを名乗るのも恥ずかしいぐらいにミーハーな理由だが、精神的支柱としてはなかなかどうして悪くは無い心持ちになる。実際に文豪の書簡を見ると、さほど字が巧いと思うことも無いし、間違った方向の根拠無き自信をもって乗り切ることができる。
そんな私が使っている万年筆はパイロットのカスタム743である。正直、大して高級品でもないが、さほど安いものでもない国産品だ。だが、これで文字を書いているとなかなか良い気分になる。先に述べたように文豪気分に浸れる。このような駄文を書き散らしている自分が文豪気取りなど片腹痛いかもしれないが、それでも悪くない心持ちだ。
憂鬱な人生の面倒を多少の出費で賄えるのなら、悪くない散財ではないか、と思う。