伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

時刻表昭和史(宮脇俊三/角川文庫)


存外、個人の人生というものは鉄道の動きに合わせたものなのかもしれない。最近ふとそんなことを思うようになってきた。
なんとなれば、ぼく自身も小学校に上がるまでは「電車」に乗ることが特別な出来事であった。それは実家のマイカーで移動することが多かったというのもあるが、わざわざ幼少の者が鉄道で移動するという機会があまりに少なかったということがある。小学校に上がり塾に通いだすと、最寄駅と塾のある駅まで小田急線を使うようになった。ほんの数駅ではあったが、とりわけ帰宅ラッシュと重なる帰路は今まで見たことのない世界を垣間見ることとなった。ただ、ぼくにとっての日常としての鉄道――小田急線から離れてJRや他社線に乗ることは滅多に無かった(実の所、塾の講座の関係上当時としては超長距離を移動していたときもあったが)。ただ、今でも覚えているのが、地下鉄千代田線に乗ったときのことである。今でもそうだが地下鉄には何というか特有の重苦しさがあって、それに辟易したのを覚えている。
そして、中学・高校と越境通学をしていたころになると、今度はその辟易した地下鉄千代田線に毎日のように乗ることになった。朝の通学時間は通勤ラッシュの少し前であったが、複々線化事業がようやく始まろうとしている当時の小田急線は地獄のようなラッシュでありよくもまあ通えたものだと今でも思っているが、当時もそれなりに体格が良く通学にあたってもそれほど支障が無かったというのが実情だったのかもしれない。このころから、鉄道は日常と非・日常の境界の曖昧模糊としたものになっていった。親からの小遣いでそうそう遊び歩くわけにもいかず繁華街をうろつくことは無かったものの、友人の住む家に遊びに行ったりするのに定期券を乗り越して些少の金を小遣いから出していた。日常の範囲を飛び越え非・日常の世界をぶらついていたのである。
大学になるとその曖昧模糊としたものがさらに広がる。鉄道会社でアルバイト駅員をやっていたからだ。さらに、鉄道趣味にややのめりこんでいたこともあり、この時期のぼくにとっての鉄道は、日常でもあり非・日常でもありとまさに鵺のような存在であった。
長じて社会人になると、今度は出張で非日常の頂点であった長距離列車を使うことが日常茶飯事となり、ますますよくわからない存在になっていった。
このように、ごくごくつまらないぼくのような存在であっても、鉄道と人生がなんとなれば切っても切れない関係にある。況や鉄道紀行作家として名高い宮脇さんにおいてをや、である。本書は、その宮脇俊三さんの幼少期から青年期にかけての人生と鉄道をクロスオーバーさせた紀行文であり個人史である。
鉄道についての話というのはどうしても業界――いわゆる鉄道趣味者か鉄道会社勤務者の内輪的な話に終始してしまうことが多いのだが、宮脇さんの鉄道紀行文はそのいずれかのものではない。いや、宮脇さん自身が鉄道趣味者であるしある面では趣味者に向けたものではあるのだが、その名文はそれ以外の一般人に取っても読む価値がある格調高いものである。どうしても趣味者が手に取ることが多いこともあり、その中で今の鉄道旅行の話ではない本作は比較的売上が振るわなかったそうであるが、ぼくは宮脇さんの本の中で一番読むべき一冊だと思っている。
幼少期の鉄道についての思い出――列車を眺めたり家族旅行の中で利用するという非日常としての鉄道、青年期の鉄道についての思い出――見たいものを見るために様々な手段を用いて戦中のあの時代に利用した鉄道。どの話を見ても、その時代の空気がありありと伝わってくる。
おそらく色々な書評で取り上げられているであろう、第13章の米坂線の描写は必読である。日本の時が止まったとき――すなわち1945年8月15日正午、玉音放送。時は止まっていたが汽車は走っていた。列車は時刻表通りに走っていた。このくだりは是非読んでほしい。歴史上の出来事という点は実は無限の時の平面の中の一点であり、鉄道という時と空間をまたがり二点間をつなぐ乗り物は、その制約を乗り越え何事も無かったかのように――日常を維持するために動いていたのである。
歴史好き、ミリタリ好きにとどまらず、いろんな人に読んでほしい一冊。幸い角川から絶版されたという話も聞かないし、それほど入手は困難ではないだろう。是非一度手に取ってほしい。

第1章 山手線――昭和8年
第2章 特急「燕」「富士」「櫻」――昭和9年
第3章 急行5列車下関行――昭和10年
第4章 不定期231列車横浜港行――昭和12年
第5章 急行701列車新潟行――昭和12年
第6章 御殿場線907列車――昭和14年
第7章 急行601列車信越本線経由大阪行――昭和16年
第8章 急行1列車稚内桟橋行――昭和17年
第9章 第1種急行1列車博多行――昭和19年
第10章 上越線701列車――昭和19年
第11章 809列車熱海行――昭和20年
第12章 上越線723列車――昭和20年
第13章 米坂線109列車――昭和20年

略年表
参考図書
あとがき
解説 奥野健男