伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

世紀の空売り(マイケル・ルイス、東江一紀 訳/文春文庫)


リーマンショックというと、ぼくにとってはなにげに感慨深いものがある。いってみれば、ぼくが諸事情により傘貼り浪人のようなマネをしているとき、ちょうどリアルタイムで起きている現象を見ていたのだ。正直、やることもなく不遇をかこっていたが故に朝から晩までCNBCを見ているという今となってはなんとなく羨ましい生活だった。株式は大暴落し為替は荒れ狂い、カタストロフという印象を受けていた。
だが、そんな狂乱の原因がなんだったのか? というのはあまり真面目に検証されていない。「強欲資本主義」とカリカチュアライズされた言葉だけが飛び交っていて、そこで扱われていた怪しげなシロモノ――サブプライムローンとCDOは言葉だけ消費されて実際どのようにロクデモナイしろものだったのか検証されてない気がする。
本書はそんなサブプライムローンに対し真っ向からショート(空売り)した3組のヘッジファンドについて述べたノンフィクションだ。著者自身もかつて投資銀行のソロモンブラザーズに勤務していた経験もあり、このロクデモナイ世界の語り手としてはうってつけと言えよう。
このサブプライムローン証券化商品はどんなに取り繕っても上品な説明ができないシロモノだ。ありていに直截的に語ってしまうならば、クソを溶いたものをミソと混ぜて売るようなものだ。そしてそのクソには時限式の毒薬が仕込んである――信じられないかもしれないが、これが真実なのである。そのからくりに気づいた3組のヘッジファンドの戦いについては本書を読んでもらうとして、実際その狂乱の中で踊っていたアメリカという国は、結局この後始末に物凄い労力を払い続けている。
本書に描かれているウォール街の関係者はそろいもそろってまともなヤツが一人たりとて居ない。正直、かつて金融業界を志した人間としてはとてつもなくげんなりするし、テレビ東京の大江アナウンサーが無事にやっていけるのか(NY支局に栄転なさってしまったのだ……)正直心配な気分になるのだが、まあ、著者に言わせれば昔からそうだったらしい。実際先述したような「強欲資本主義」という言葉もあながち間違ってはいないのかもしれない。それではこの仕組みに真っ向から立ち向かった3組のヘッジファンドの関係者がまともかというと、それもさにあらず。正直に言って、こちらも大概なお人だったりするあたり頭が痛くなる。アメリカの金融業界、こんなのばっかかよ!
実際、読んでいて吐き気を催す邪悪に気力を奪われること間違いない一冊である。だが、それがアメリカの――そして世界の金融業界の現実である以上それを直視しなきゃいけない。その上で、歪んだプロフェッショナルどもの首根っこを押さえるために、われわれがどうしていかなきゃいけないか考える――そのきっかけとなる最良の一冊であると思う。

序章  カジノを倒産させる
第一章 そもそもの始まり
第二章 隻眼の相場師
第三章 トリプルBをトリプルA
第四章 格つけ機関は張り子の虎である
第五章 ブラック=ショールズ方程式の盲点
第六章 遭遇のラスヴェガス
第七章 偉大なる宝探し
第八章 長い静寂
第九章 沈没する投資銀行
第十章 ノアの方舟から洪水を観る
終章  すべては相関する
謝辞
訳者あとがき 『ライアーズ・ポーカー』からの道程

決戦下のユートピア(荒俣宏/文春文庫)


博学で知られる著者による第二次大戦下の日本におけるひとびとの暮らしを面白おかしく綴った一冊。
ぼく自身ミリヲタとして非常にアウトサイダーなヤツでありまして、兵器の話だとか戦術の話よりも、末端の飯炊き兵のはなしだとか輜重輸卒のはなしが大好きなわけであります。自然、たいがいのミリヲタとの交わりは疎遠になって、流通関係(輜重輸卒のはなしから、小行李・大行李、そして兵站、ロジスティクスへと発展していく)だとか著しきは米軍のマニュアル(これは神保町に専門の古本屋がある)なんぞを好んで買っては読みふけるという、何ともおぞましいドロップアウトミリヲタが誕生したわけである次第。
こんなぼく自身のヨタ話はどうでもいいのだが、この本もそんなアウトサイダーでドロップアウトしたミリヲタのぼくにとってはとっても楽しい本だ。何しろ「ユートピア」である。そもそも「ユートピア」という言葉がもとの本からして反語的意味を持つからして、どれほどのエピソードを読ませてくれるのかとワクワクしてしまう。そして、実際内容はびっくりするほど「ユートピア」であった。何しろ、のっけからロクデモナイ母親の話から始まるのである。どれほどロクデモナイ母親だったかは、是非手に取って確かめてみて欲しいが、読めば読むほど「こ れ は ひ ど い」と思わせる話で満載だ。
とはいえ、面白おかしいだけの本ではない。冒頭の一節は昨今の生真面目なのかバカ正直なのかよくわからない、青年連(もっとも本当に青年と云える年なのかは知らんが)にも是非読ませてあげたいことを綴っている。最後にこれを引用して結論に代えさせてもらおう。
「まあ、相撲でいうなら、腰を引いて左半身、といったところだろうか。ものごとはすべからく、半身がよい。ゆめゆめ、がっぷり四つ、になど組んではならない――、というのが、歴史を相手にするときの、自分流の心構えである」

キャプテン・アメリカはなぜ死んだか(町山智浩・文春文庫)


書評とかエラソーにやっててこんなことをいうのもあれだけども、いつもぼく自身は自分の無知と浅学さにビクビクしながら生きている(それ故に無知を無知とも思わない連中を心の底から軽蔑してるのだが、これはまた別の話)。いや、ホント実際の所、マジで物を知らんよなぁ……と自分の呆れることっていっぱいあるのよ。アメリカでの三面記事的出来事をコラムに仕立て、それを集めた本書を読んだときもそうだった。
アメリカ合衆国という国があること、そこが超大国で軍事的プレゼンスがどうこう……なんて話は幾らでも(まあ、それなりにそういうオベンキョウはしてきたので)出てくる。でも本書に描かれているような、下駄ばきのアメリカなんて微塵も知らない。また、芸能関係に微塵も興味が無くて、ろくすっぽテレビを見ないぼくとしては所謂ゴシップ関係の話がむしろ新鮮に見えてくる。
とまあ、こんな愉快で脂っこくてアメリカ人が大好きなステーキ(もちろんポテトフライはたっぷりと)のような本を糞まじめに語るのはこれくらいにしておこう。印象に残ったネタを幾つかピックアップしてみよう。フォレスト・カーターの「リトル・トゥリー」がインチキ本(なんとよりにもよって著者はKKKのメンバー!)という話はおもわずうへぇ、とのけぞってしまったことよ。なんでまたそんな御仁がそんな本をとか思ってしまう。これを書くためにamazonのレビューを見たら流石にかなり有名な話らしい。いやはやびっくりだ。「バカ探し」のテレビ番組の話は初出が2007年3月なんだけど、同じ時期にヘキサゴンとかやってて、こういうネタは日米あんまり変わらないんだなぁと感心することしきりだ。本書ではアメリカの小学校5年生レベルの問題を出すクイズがあるなんて話が出てたけど、日本での状況はご存じのとおり。ヘンテコな漢字をタトゥーにする外国人の話を読んで、何故かドナルド・キーンさんのことを思い出してしまった。あんなインテリですら、雅号が「鬼怒鳴門」だったりネイティブの日本人からすると、ちょっとまてやと思ってしまうわけだしね(もっとも、あちらさんも「All your base are belong to us.」に同じ感想を持っているとは思うが)。
他にもとにかく仰天したり爆笑したりととっても忙しい本。ただ、ちょこっとだけ難癖をつけるなら、とにかく全力投球のようなネタばっかりで読んでる途中でお腹いっぱいになってしまうところ。週刊現代の連載コラムが中心(なんで講談社の雑誌連載が文春文庫になっているかは、本書のあとがきを読もう!)なのだが、週刊誌の連載コラムとは思えないほど、脂っこい話が満載。面白いコラムが満載なのは、それはそれで大歓迎なのだが、アナタ、ピータールガーのステーキを一か月喰い続けろなんて、ちょいとキツいでしょ(いや、寺門「ネイチャー」ジモンだったら大歓迎かもな)。そこらへんの問題は、確かにある。それでも、下駄ばきのアメリカンカルチャーを知りたいなら、是非一読してみてほしい。