本日の更新(2018/07/17)
今朝は予定通りの起床。朝食身支度のち出撃。
疲労感を抱えつつ新宿に立ち寄ってお買い物後、帰宅。
昨日に引き続き、とりとめもないメモ。
経済成長と旧弊
- 経済成長――就中1960年代の高度経済成長と生活様式の変化は、良くも悪くも様々な因習を少なくとも東京通勤圏の範囲においては破壊し尽くしてしまっている。
- 東京、横浜の範囲において「土地柄」という言葉はある種死語と化した。
- 当然に存在していた土地における空気は破壊されて、ある種等質化された「ベッドタウン」「ニュータウン」に置き換えられた。
- 代わりに生まれたのが「沿線文化」というものだが、ここではさておくとする。
- ところで、海外こそブラつかないものの地方をブラつくことが、私の場合多い。
- それどころか、西国に暮らしたことすら、ある。
- それらの「土地」では、今なお「土地柄」ということばが当たり前のように存在している。
- 明らかにこじらせているような類ではない、ごく普通の地元民から「あそこは土地柄が云々」ということばが平気で出てくる。
- 実際に、そういったところを歩くと、純粋に区画整理が進んでいないだけの地域だったりするわけなのだが、一方で郷土史や古地図をあたってみるとそういった謂れらしきものは確かに存在していたりする。
- いわば旧弊が経済成長に破れざる世界が、存在する。
- つくづく、東京・横浜近辺で長く暮らしている身には、想像もつかない世界が、日本にはまだ存在してしまっているということである。