伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

本日の更新(2017/08/20)

どうにも体調不良です。正直頭が回ってない状態が続いています。



昨晩は睡眠不足解消も兼ねて23時前の就寝。ゾルピデムエバミールを1錠ずつ服用。ところがまったくもって眠れず。まんじりともせず寝床で過ごすという地獄で、こらもう拷問ですわな。
ここ数日、日中の眠気と疲労感が酷くて睡眠時間を稼ぎたいというのもあって早めに就寝したんだけども、完全に裏目に出た感があります。

結局、リラックスを目的として牛乳をゆっくり飲んでしばらくウェブを眺めて過ごすことに。



最終的に入眠出来たのは25時をだいぶ過ぎたころでした。結局いつもとあまり変わらないということになりますorz



今朝は8時半過ぎの起床。一度5時過ぎに目が醒めたものの、眠気が酷く二度寝を決意したのは良いんだけど、これまた酷い夢を見て強烈な疲労感に襲われることに。ここ数日夢見が悪いんですよね、ほんと。どうにかならんもんでしょうか。

朝食と身支度を済ませてPCに向かう。正直めまいが酷く出かける気力が萎えていたものの、買物が必要ということでクルマを出す。非常に目が辛い状態なれど少し離れたところにある安売りのスーパーへ。
買物を済ませて帰宅し昼食。少し腹に食べ物をおさめて調子が戻った感があり、食休み後給油へ。今月はあちこち出かけたこともあってか給油警告ランプが点灯した状態だったんですが、40リッター弱入りました。ガス欠寸前だったということですね。

帰宅してCities Skylines。主要な道路に大して接続路を設けるやり方だと猛烈に渋滞が発生して苦しむことになり、どうにもフラストレーションが溜まる。夕方家事を済ませた後、眠気が酷く仮眠を取る。結局1時間半近く寝ていた計算。どうも日中のめまいは、疲労と睡眠不足が原因みたいですね。起きたあと、頭痛はしたもののめまいは大分回復したので。

夕食を摂ってからCities Skylinesを遊び書き物に取り組む。今日はニュースネタが比較的重めなのになんでこんな時間まで先送りしたんだかorz



勤勉革命という概念って70年代後半から提唱されているんですけど、高等学校レベルではまだあまり取り上げられないですね。世界史*1のコンテクストで日本のいわゆる農村が語られるから色々とややこしい話になる。

まずもって、この話自体極端に地域差があったということは大前提としておかないといけないでしょう(実はこれ、後段の話にもつながってくる)。具体的には畿内を中心とする「西日本」と信越・東北を中心とする「東日本」で事情が大きく異なるわけで。東日本の場合(主に気候的要因と作物のミスマッチから)それほど余力は発生しなかったであろうし、西日本の場合はその逆ですね。

この勤勉革命という話自体、実のところ明治以降の日本の宿痾となっていきます。上述まとめは解釈とベクトルを変えることでポジティブな話に捉えているけど、それほど明るい話ではありません。結局、この勤勉革命が産んだものは、極めて「西日本」的な地域ボスによる地主-小作体制に基づく地域ボス支配という、近代日本にとって極めて不健全なものとなったしまったわけです。ある意味で日本の近代化というのは「非近代化」と置き換えてもいいでしょう。ちなみに昔、この話を兵頭二十八が書いていたときには元ネタが分からなかったけども、この概念を大学のころに知ってナルホドと思った次第です。実のところ、帝国陸海軍というある種の貧乏エリートを支えた層が東北や信越地方という「東日本」の地域から多く輩出されたことや、それらの層が藩閥体制と対立する動きになっていたこと、そして戦後そういったものが全否定されるようになったのも無関係ではないわけでありまして。



それでこちらのまとめです。はっきり言えばこの話は地域差がありすぎて一概に言えないという結論に至らざるを得ないわけですが。

江戸時代を経済と農業の観点で見ると、最大の問題は「米にこだわりすぎた」ことなんですよね。武士の俸禄を米を中心としたことで、地域の実情に合わない作物を作らざるを得ない状況となり、結果飢饉の発生による流民の都市部への流入が発生するということがループすることになる。実現は困難だっただろうけども、もっと早期に「金・銀・銭」という通貨を中心とした経済体制へ移行していたら、このループから脱することも出来たのではないかと思う次第ではあります。

で、これも「西日本」と「東日本」というコンテクストで捉えることが出来るわけですね。米を中心とした俸禄体制自体、結局「西日本」的な体制の都合だったわけです。それが実情に合わない「東日本」へも押し付けられたことでこういった仕儀となったわけで。

ごくごく個人的な悪口を言わせて頂ければ、田舎者というのは「西日本」を指していうものであって「東日本」を指して言うものじゃない。これもある意味元ネタは兵頭二十八なんですけどね。



個人的に気にしていることは、階層の固定化云々ではなくてある種の閾値を超えたところで発生するテロルだったりします。

いわゆる日本の左翼の暴力的な運動が挫折した最大の理由は暴力的だったとかそういうことじゃなくて、それを本来下支えするはずの民衆と利害が一致しなかったからなんですよね。これは結局のところ、当時の自由民主党保守本流側における「経世済民優先」的な政治方針によって為されたものだったわけで。佐藤大輔じゃないけど、結局民衆ってのは飢えたりしなけりゃそれほど大きな叛乱を起こすものじゃないんです。時代的な潮流とのマッチングもあるけども、結果的にこの「経世済民優先」的な政治方針は極めて正しいものだったと評価すべきでしょう。

で、足元の話です。上述の飢えたりしなけりゃ云々のところですけども、そろそろ危険水域なんじゃないかと思う次第ですね。書くまでもないとは思うけども、飢えるというのは物理的な飢餓・飢饉だけを指すわけではないので為念。そういった危険水域に入ったときになにが起きたかといえば、要するに明治以降にちょこちょこ起きていたテロルであり暴動ですよ。ぶっちゃけこの手のテロルは右だろうが左だろうが起こす性質のものです。ぶっちゃけたことを言えば、イデオロギー云々でメシは喰えないわけで。始末に負えないのが、そういった性質のテロルであり暴動は決して民衆側も非難しないんですよね。極論すれば五・一五事件のときが典型だけど民衆側が支持してしまうことになる。その上で、こういった性質のテロルや暴動は、決して警察権力がコントロールすることは出来ないわけです。海外の事件もそうだし、戦前だってそうだったわけで。

今はまだ暴力的な事件に対して民衆側が反発してくれるからいいけども、ターゲットが変わってくるとこれもわからんでしょうね。

*1:就中欧州史ということになる