伊達要一の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

今日のはてブ(2015/01/05)

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新年明けましておめでとうございます。

とは言うものの、あまり正月らしさを感じることをするわけでもなく(紅白もロクに見ないし初詣も近所の氏神様にお参りに行く程度)せいぜい長い休みをいいことにぐだぐだするだけで終わった感があります。


ベンダーロックイン排除のためにオープンという議論 - Nothing ventured, nothing gained.
[IT][開発][サービス][クラウド][oss][IaaS][AWS][Microsoft Azure][MySQL][フレームワーク]原理原則で言うならば、提案に含まれるものがロックインされる要素と将来含めてのコストメリット等を比較することになろうかとは思うけど、発注者側にそこまでの知見を求めるのも難儀な話ですわな

(追記)言わずもがなですが、ただ単にベンダの言うことに唯々諾々としたり精々コストを削る程度のことしかしないよりかはナンボかマシな態度です>リンク元
但し、現実問題として叩き合いになっていることで非常に割安になっている各種IaaSやPaaSを使わないで完全に「オープンな技術」だけを追い求めるのも不毛であるのも事実です。何よりもコストに対して得られるベネフィットが非常に微妙になるわけで。敢えて小さいとは言いません。それを追い求めるのもひとつの見識だしそういった方向性は考え方としてはアリですから。ただ、確実にTCOとしては割高なものになってしまうわけです。

若干本論とは逸れるけども個人的に非常に流行って欲しいと思っているLibreOfficeにしても、ナレッジや従来の資産、外部との情報のやりとりを考えたときに全てを切り替えるというのが果たしてあるべき姿か? と言われると私は違うと答えます。恐らくLibreOfficeとして目指すところとしても違うでしょう。情報のやりとりやソフトウェア単体で持っている処理系なんかを考えたときにMicrosoft Officeというのは(問題はあれど)素晴らしいツールであることは否定できませんし、それを利用しないというやり方が出来るのは余程覚悟を決めたところでないと難しいと言わざるを得ない。

で、ベンダロックインの話です。これもあくまでも原理原則の話ですが、ベンダ側が提供したものがある種ブラックボックス化して先々言い分に対してにっちもさっちも行かなくなることが原義になるわけです。その中で各種IaaSやPaaSの枠組みというのが該当するのか? と言われると若干違う印象があります。勿論、そこで提供されている各種APIから外れたような怪しい実装をしたりしたら違うわけですが、あくまでも根本的にはそれらは「置き場所」を提供する仕組みでしかないわけです。当然、それなりのコストはかかるものの置き場所を変えることは(怪しい実装やクズのようなドキュメントしか残さないようなベンダでもなければ)不可能なわけではない。さらに言えばDockerのようにフレームワークまるごとをDeployすればOKな仕組みも現実に運用されているわけで、本質的にこれらのサービスは今後「ITアパート」化していくんじゃなかろうかと思う次第です。そういう意味ではこういった対象についてはそれほどベンダロックインを恐れる必要があるかと言えば若干違うという印象を持ちます。

WindowsInternet Explorerなんかも同様で、間違いなく環境を共通化しやすいという観点では悪いツールでは無いでしょう。コストとベネフィットが釣り合うと感じられる範疇においては、ですが。無闇矢鱈にパッシングするのはあまり懸命ではない。

いずれにせよ「先々の様々な選択肢を懸命に選べるような状況を作る」という観点で取り進めれば、さほど酷いことにはならないんじゃないでしょうか。

横浜駅 SF

http://togetter.com/li/766019
[ネタ][Togetter][twitter][SF][鉄道][読み物][横浜駅]この手のSFとディストピアってなんでこうも相性が良いのかね。個人的には椎名誠のアド・バードっぽい匂いも感じる。

(追記)はてブでは椎名誠のアド・バードを引きましたけど、どちらかといえば武装島田倉庫の方が適切だったかもしれないw

ちなみにですが、読むならば武装島田倉庫の方がオススメです。短編連作なので区切りが付け易いというのと、アド・バードの場合、場面・視点の転換が若干分かり難くて読みづらい面があるので。

あくまで一般論ですが梅田や新宿、池袋の地下街もそうですけど、野放図に拡大する建築物はこの手の奇妙な感覚を受けますよね。同時に非常にディストピアと相性が良い。SFとの相性もそうなんですが、本来人類にとって「より便利に」なることを求めた結果がディストピアという発想に行き着くってのも不思議ではあります。それはある種の警句でもあり、皮肉でもあり、社会への異議申立てでもあることは理解出来るけども、一方で科学技術というものが人類に対して与えてきたメリットの方に目が行ってしまう身としてはどうしても不思議に思ってしまう。
例えば、ここで出てくるように「インプラント化されたIC乗車券が極々一部の富裕層にしか与えられない」って前提が個人的には「?」で、小売業だの輸送業だの、ある意味ボリュームが商売のキモな世界でそりゃないよ、になってしまうんですよ。むしろ、それが良いか悪いかは抜きにして、よっぽどの物好き以外は電脳化をしてしまっている「攻殻機動隊」の世界観の方がそれらしさを感じてしまう(アレもある意味ディストピアではあるっちゃああるんだけど)。科学、なかんづく科学技術はあくまでも再現性・汎用性のある「技術(Technology)」であって、「芸術(Art)」じゃないわけです。一定のSOPに基づいて一定のレンジの中で同じことが行われるからこそ、科学技術は人類の発展に寄与してきたわけで、ごく一握りのエリートだけが使うことができるものはもはや科学の名に値しない。それは魔法です。それもいつか草原部族の戦士に打ち破られる類の
(ちなみにリリカルなのはという作品についてのぼく個人が論評すべきことは前掲のリンク先で殆ど全て書かれてしまってます。是非一読あれ)

一方で、ごくごく個人的にはディストピアな世界観は嫌いでも無いんですよね。雨のモチーフが…… なんて話をしているとキリが無いのでこのへんで。

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