伊達要一の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

ベトナム戦記(開高健/朝日文庫)


サントリーというと言わずと知れた洋酒メーカーだが、その一方で優秀な文人を輩出していたりする。「江分利満氏の優雅な生活」で一躍有名になった山口瞳やマカの宣伝やエッセイで名をはせた斎藤由香などである。その文人としての先駆者であるのが著者の開高健である。「裸の王様」で芥川賞を受賞したのち、様々なルポルタージュで文壇を賑わした人物だ。本書は同氏による百日にも及ぶベトナム滞在時のルポルタージュを纏めた一冊だ。
日本人にとってベトナム戦争というのは、いささか遠い出来事である。少なくとも公式には戦地で戦ったわけでもなく、せいぜい市民団体がベトナム反戦運動をやっていたくらいで、むしろ同時代の出来事としてはこれにまつわる学生運動の方がトピックスとしては挙がるくらいだ。逆にミリタリクラスタからすればベトナム戦争というのはある種「ジャンル」として消費されており、その実態だとかそういった部分について深く考察する向きは案外少数だ。
本書はそんな遠いベトナムという地を色鮮やかに活写している。戦地のルポルタージュというと、今では宮嶋茂樹さんが日本の第一人者になっている。実際にイラク戦争のルポルタージュでは、爆弾が大量に落ちてくるわ戦車の砲弾が近くの外国人プレスの部屋に落ちてきて死にそうになるなど、物凄いエピソードが書かれている。時代も違う、著者のベトナム戦争についてのルポルタージュなんて今更読む必要があるのか疑問に思う読者もいるかもしれない。
だが、違う。ここに描かれているベトナム戦争での「戦争」の姿というのは、今起きている戦争に共通する姿を持っている。それは、戦地と後方の温度差というものだ。ベトナムという戦地では毎日のように死者が出てそれが統計の数字としてしか消費されないくらいに「日常」となってしまっている。一方の後方であるアメリカでは、そもそもベトナム戦争について知らない市民が多数派だ。これを嘆くアメリカ兵の姿がとてつもなく印象的だ。
イラクやアフガンでの戦争は、アメリカという後方からはまったく切り離されたものとなり、戦地に行った将兵――そしてその家族だけが戦地という現実を受け取らざるを得ない状態となっている。この温度差というものを今読むことで肌で理解することができると思う。
以前「シビリアンの戦争」でも取り上げたけども、戦地から切り離された後方において戦争というものについてとかく無責任な態度でイケイケドンドンな態度を取るひとたちが増えている。そのツケを払わされるのは軍人やその関係者、そしてその国のひとたちだ。そして最終的には後方にも「戦費」という形で返ってくる。だけども、それに気づくのはよほど後になってからだ。事実、アメリカにおいてもこういった問題が認識されたのはブッシュ政権の末期になってからだ。そしてその後のオバマ政権が「負の遺産」の処理に苦しむという頭の痛い構図が存在する。
ぼくらが戦争というものがどういったものか認識する一つの手助けとして、本書は非常に優れたものだと思う。戦地帰りの勢い任せで読みにくい部分は多少あるけども、腰を据えて読む価値がある一冊だと思う。

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あとがき
解説 限りなく“事実”を求めて(日野啓三