伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

ハーメルンの笛吹き男――伝説とその世界(阿部謹也/ちくま文庫)


阿部謹也さんというと、ぼくからするととても微妙な思いを抱えた先生だ。正直なところを言えば早くて中学生、ふつう高校生、遅くても大学生までには「読んでいるべき」であって、三十路を手前にして今更読み始めるということの恥ずかしさというのがどうしてもある。その一方で、ぼくの知っている若い世代に一刻も早く紹介したいし、その知のエッセンスというもの、そしてその面白さや楽しさというものを教えてあげたいという思いも同時にある。さらに言えば、ぼく自身歴史というものがとても好きだしその中で阿部さんの築き上げてきたものは自分の中に得たいものだ、という知的好奇心もある。
そういった複雑な心境の中で読んだ感想というのを前提にぼくの書評を読んでほしい。
多くの「おとぎ話」(敢えて本書の表現から外れたこの書き方をする)には下敷きになる(事実というには曖昧模糊とした)出来事が存在する。また、同時に当時の時代を反映した背景もまた存在する。
ハーメルンの笛吹き男」。読者諸賢も小さいときに「おとぎ話」として見聞きしていることだろう。実際、ぼくも幼稚園のときに学芸会でやらされたもんだ(そこでとちって、会場大爆笑というすべったんだかすべってないんだかわからない経験をしたのだが、それはさておく)。だが、この話はただの「おとぎ話」ではないと著者は言う。本書でも記述されている通り、1284年6月26日に当時のハーメルン市の規模から言えば相当規模の失踪者が出たという史実が存在する。そしてかつて様々なひとたち(そこにはライプニッツというビッグネームも存在する)によって興味深いミステリーとして、研究の対象になった。本書はこの「ハーメルンの笛吹き男」というミステリーに対してかなり明確かつ明瞭な解答編となるものである。
敢えてここではその解答編の内容については言及しない。ミステリーのネタバレというのは避けるというのが著者への礼儀というものだろう。だが、先に述べた「おとぎ話」の下敷きとなる出来事、そして時代背景というものが次第に明確になっていくのは、まさに名探偵が謎を解き明かす瞬間のような快感を与えてくれると思う。
そして、本書を読み進めるにあたって歴史というものが無味乾燥な単純暗記ではなくて、豊饒な乳と蜜の流れる地そのものということを悟るに違いない。若い世代が「勉強」させられている「歴史」はあくまでも通史という「幹」の部分であり、そこからきわめて豊かな枝葉、そして花や果実が実っているのである。だからこそ「幹」をしっかりとさせるという意味で「歴史」の「勉強」は大事なのだ。とはいえ、そればかりではつまらないというのも事実。そういう意味では本書のような豊饒な果実をたまには齧ってみるというのも必要かもしれない。
そういった意味では是非とも若い世代、それも大学に入る前の少年少女たちに読んでほしい本だ。確かに簡単に読み進められるような本ではない。内容としては大学生や大学院生に向けて書かれた、かなりレベルの高い本であることは間違いない。ただ、これを一冊通読した上で再び「歴史」の「勉強」に向かったとき、日ごろ学んでいるものの重要性や面白さが理解できるようになるだろう。

〇第一部 笛吹き男伝説の成立
 はじめに
 第一章 笛吹き男伝説の原型
  グリムのドイツ伝説集/鼠捕り男のモチーフの出現/最古の史料を求めて/失踪した日付、人数、場所
 第二章 一二八四年六月二六日の出来事
  さまざまな解釈をこえて/リューネブルク手書本の信憑性/ハーメルン市の成立事情/ハーメルン市内の散策/ゼデミューンデの戦とある伝説解釈/「都市の空気は自由にする」か/ハーメルンの住民たち/解放と自治の実情
 第三章 植民者の希望と現実
  東ドイツ植民者の心情/失踪を目撃したリューデ氏の母/植民請負人と集団結婚の背景/子供たちは何処へ行ったのか?/ヴァン理論の欠陥と魅力/ドバーティンの植民遭難説
 第四章 経済繁栄の蔭で
  中世都市の下層民/賤民=名誉をもたない者たち/寡婦と子供たちの受難/子供の十字軍・舞踏行進・練り歩き(プロセッション)/四旬節とヨハネ祭/ヴォエラー説にみる〈笛吹き男〉
 第五章 遍歴芸人たちの社会的地位
  放浪者の中の遍歴楽師/差別する側の怯え/「名誉を回復した」楽師たち/漂泊の楽師たち

〇第二部 笛吹き男伝説の変貌
 第一章 笛吹き男伝説から鼠捕り男伝説へ
  飢饉と疫病=不幸な記憶/『ツァイトロースの日記』/権威づけられる伝説/〈笛吹き男〉から〈鼠捕り男〉へ/類似した鼠捕り男の伝説/鼠虫害駆除対策/両伝説結合の条件と拝啓/伝説に振廻されたハーメルン
 第二章 近代的伝説研究の除雪
  伝説の普及と「研究」/ライプニッツ啓蒙思想/ローマン主義の解釈とその功罪
 第三章 現代に生きる伝説の貌
  シンボルとしての〈笛吹き男〉/伝説の中を生きる老学者/シュパヌートとヴァンの出会い
 あとがき
 解説 泉のような明晰(石牟礼道子
 参考文献