伊達要一の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

「エコタウン」が地域ブランドになる時代(関満博編/新評論)

「人の姿が見える地域」による循環型・持続可能型まちづくりについての報告と提言をまとめた一冊。
ぼく自身、「エコ」という言葉が大嫌いで物凄く胡散臭く考えている一人である。エコをうたい文句にしたペットボトル回収だとか発泡スチロールトレー回収だとか正直勘弁してほしいと思っている。こんなことを言うと、このご時世市民権をはく奪されかねない勢いでアレなのだが、もちろん理由はある。どうやったってコストが嵩んで結局弱い所ーー原料屋や生産会社にしわ寄せがいくことになるからだ。そして、そこに働く労働者とその地域の周辺産業の経済規模をシュリンクさせていく。喜ぶのはせいぜいそのことを手柄顔にする小売や自己満足に浸れる消費者だけだ。
とまあ、正直なところ「関さんともあろう人がなんでこんなうさんくさい領域に」と思いつつ読んだわけなのだが、やっぱり相変わらずこの領域はうさんくさいという思いを否定するには至っていない。例えば山形県長井市の生ごみから堆肥のサイクルは、堆肥そのものの販売があんまり考慮されておらず結果として有効な取り組みが活かしきれてないということになっている。加えて施設の老朽化の問題もおきているそうだ。これなんかは典型的な「エコビジネス」の落とし穴で「生ごみを堆肥にしましょう」という市民的意識の高まりが、別のところで社会に問題をつくっていることになっているんじゃないだろうか。
また、本書で取り上げられている事例自体「市民の意識を高める」系の案件が多いのが問題。最終的に利益が出て関係者みんながハッピーになる案件じゃないのだ。ぼくが「エコ」という言葉を嫌うのはここにある。結局一部の人間のしょっぱい利益や自己満足で終わって、外部不経済を引き起こすケースが後を絶たないのだ。
とはいえ、注目すべきケースが無いわけではない。北九州市や川崎市、岐阜県の「エコタウン事業」(一発屋政策官庁でおなじみ経済産業省の事業だ)なんかは「産業」として成立していて、これなんかは見るべき価値があると思う。なんで「産業」として成立していることに価値があるか? それは、そこに利益を生み出し雇用を創出して結果地域全体を富ましていくことにつながるからだ。そしてこれはぼくが「エコ」を嫌う理由ともつながっていく。「エコビジネス」や「エコタウン」なんてものには微塵も価値は無いだろう。ただし、「産業」につながるエコ、そこに誘導していく地域産業政策は大歓迎だ。 そしてそれに対する多少の労力の増加だって許容範囲だ。
残念ながら本書に出てきた事例で評価に値するのは先ほどの三市のケース(あとは直島……というか三菱マテリアルだな)くらいで、ほかはあまり見るべきものは無いと思われる。
ただ、日本の「エコタウン」の程度を知るという意味では意義深い報告ではあると思う。ぼくらが今後評価すべき「エコ」を創出していくために。