伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

駅前の歩き方(森田信吾/モーニングKC)


B級グルメブームである。ちょっと田舎に行くと町おこしとやらで、よくわけのわからない食べ物が売り出されている。それどころか最近ではそんなメニューを集めたイベントが開催されて、またそこに人がわんさか集まるなんてことになっていたりする。最近では地域活性化というコンテクストでの研究だってあったりするくらいだ。
これほどまでに盛り上がっているB級グルメだが、ぼくはどちらかというと批判的に見ている。地元でもともと食べられているものが盛り上がるというのなら、それはそれでいいのだけども、無理やり作り出されたそういったものを見るとそこに必死さを感じてしまうのだ。
本作は地元でもともと食べられているものばかりを取り上げたB級グルメマンガである。そこそこ売れている歴史小説家と編集者の珍道中を物語の根幹にしながら、偶然出会った地元でもともと食べられているもの(本作では「常食」と呼んでいる)を紹介する。
ここで取り上げられている食べ物はどれもほかの地域からすれば奇妙な食べ物だ。だけども、地域で愛されて残ってきた食べ物には不思議な説得力がある。わざわざB級グルメと言い張らなくても、現にそこに在るものと言える。
「孤独のグルメ」なんかと同じように少し古いマンガだけども、十分読んで価値があるマンガだと思う。見かけたら是非読んでみて欲しい。

昭和金融恐慌史(高橋亀吉・森垣淑/講談社学術文庫)

歴史というものを学ぶ意味は如何なるところにあるのだろうか? それは過去に起きた事象から得た教訓を現在に活かすということが大きい。なんとなれば、これこそが人間を人間たらしめる叡智と言ってもよいだろう。なにやら近年の不勉強な輩は「今だけ見ていればいい」式のことを曰っているのを目にするが、甚だ不見識と云っていいだろう。このような輩にインテリゲンチャを名乗る資格はない。
さて、本書は昭和初期に発生した「金融恐慌」を題材にした専門的歴史書である。遠因である第一次世界大戦の反動不況や銀行制度の前近代性から論じ、直接の引き金となった片岡蔵相の失言、そしてモラトリアムによる恐慌の鎮圧まで極めて詳細に書かれている。純粋にこの時代にあった出来事の一つとして知りたいのであるならば、正直過分なほどだ。だが、歴史から教訓を学ぶというのであれば話は別だ。
本書から学び取れる教訓のうち最大のものは解説で鈴木正俊氏がキンドルバーガーを引いて述べている次のようなことだ。「恐慌は最後の貸し手が不在の時に起る」。本書の中で詳述されているので詳しくは立ち入らないが、この時代の日銀は中央銀行の機能の一つ、「最後の貸し手(lender of last resort)」としての役目を十分に果たしているとは言えなかったのである。そしてその結果として金融恐慌という最悪の事態を迎えた。そしてモラトリアムの後、金融恐慌は収拾された。これは結局として政府・日銀が「最後の貸し手」として金融システムの維持を担保したことによるものである。
本書を読むことで得られる教訓はこれだけではない。この金融恐慌の遠因として、極めて投機的な商取引が存在している。どうやら、近々本書の教訓が役立ちそうなときが来そうではないだろうか。なにやら、兜町方面は時ならぬ株式相場の盛り上がりで随分と怪気炎を上げている向きがあるそうだ。少なくともぼくたちは本書のような「歴史」を学ぶことで、恐慌という最悪の事態を迎えないように備えねばなるまい。
はしがき
 
第一部 昭和二年金融恐慌の基因
第一章 金融恐慌の基因としての銀行制度の前近代性
 第一節 銀行制度の欠陥--前近代性
 第二節 銀行制度の前近代的特質形成の経緯
 第三節 機関銀行の発生・拡大
 第四節 その他の前近代的特異体質
 第五節 政府の銀行改善施策
 
第二章 昭和二年金融恐慌の基因の累積
 第一節 大戦中のわが国経済規模の飛躍的拡大
  (一) 大戦によるわが国経済の異常発達
  (二) 経済規模の急膨張と銀行の態度にみられる問題点
 第二節 大正九年の財界大反動
  (一) 大正八~九年の思惑投機
  (二) 大正八~九年の熱狂的投機と銀行の加担
  (三) 大正九年反動の来襲
 第三節 大正九年反動の善後措置
  (一) 反動の性格の誤認
  (二) 善後措置の実情と性格
  (三) 安易な救済措置のもたらした弊害
 
第三章 関東大震災以降の財界の打撃の累積
 第一節 関東大震災の打撃とその善後措置
  (一) 大震災による打撃とその救済措置
  (二) 震災善後措置の実情
 第二節 円為替の暴落、暴騰による新打撃
  (一) 震災後の円為替の暴落
  (二) 十四~十五年の円為替投機化と急騰
  (三) 円為替の急騰と財界の再悪化
 
第四章 休戦九年反動以降の企業、銀行の打撃の累加
 第一節 休戦以降の財界打撃の累加
 第二節 企業欠損の累増と銀行の不良貸出の累積
 第三節 破綻銀行に露呈された企業-銀行の高度な癒着関係
  (一) 台湾銀行鈴木商店との癒着関係
  (二) 十五銀行と松方系会社との癒着関係
  (三) その他の若干の事例
 
第二部 昭和二年金融恐慌の誘因と推移
第一章 昭和金融恐慌の誘発
 第一節 昭和金融直前の情勢
  (一) 金融恐慌直前の経済的行詰り
  (二) 円為替相場の激動と財界疲弊の激化
 第二節 金解禁断行決意の準備工作とその影響
  (一) 片岡蔵相の金解禁準備工作
  (二) 金解禁論の問題点
 第三節 震災手形処理問題
  (一) 震災手形処理状況
  (二) 震災手形処理法の概要
  (三) 震災手形処理法案の審議過程における実情の暴露
 
第二章 昭和金融恐慌の勃発と経過
 第一節 金融恐慌勃発とその通観
 第二節 金融恐慌の第一波
 第三節 金融恐慌の第二波
  (一) 台湾銀行の鈴木絶縁
  (二) 枢密院の緊急勅令否決
 第四節 金融恐慌の第三波
  (一) 台銀、近江、十五銀行の休業
  (二) 全国的な銀行取付の発生
 
第三章 昭和金融恐慌の善後処置
 第一節 政府の救済措置
  (一) 事前の予防措置と第一次の緊急措置
  (二) 本格的恐慌収拾対策の発動
  (三) 日銀特融および損失補償法
  (四) 両特融救済法の実施とその結果
  (五) 政府措置に対応する日銀・市中銀行の対策
 第二節 休業銀行の整理
  (一) 休業銀行に対する措置
  (二) 整理上の問題点
  (三) 昭和銀行の設立による吸収整理
  (四) 台湾銀行の整理
  (五) 十五銀行の整理
 
第三部 昭和金融恐慌のわが国経済に及ぼした影響とその歴史的意義
第一章 金融構造および金融市場に及ぼした影響
 第一節 金融の変態的一大緩慢化
  (一) 恐慌鎮静後の金融の推移
  (二) 異常の低金利時代の出現とその理由
 第二節 預金の流れの変化と大銀行集中の急進展
  (一) 預金の普銀から郵便貯金金銭信託への流出
  (二) 大銀行の地位の飛躍的向上
  (三) 資金の大都市集中
 第三節 恐慌後の金融変容のもたらした問題点
  (一) 日銀の金融統制力の減退
  (二) 金融緩慢化の中小企業の金融難
  (三) 金融界からの金解禁即時断行論の擡頭
 第四節 昭和金融恐慌の経済界に与えた打撃とその特質
  (一) 産業界に与えた打撃
  (二) 証券、商品両市場に与えた打撃
  (三) 昭和金融恐慌の特質
 
第二章 昭和金融恐慌の真因とその歴史的意義
 第一節 金融恐慌は不可避であったか
  (一) 直接因とその対策批判
  (二) 金融恐慌の真因とその不可避性
 第二節 昭和二年金融恐慌の歴史的意義
  (一) 銀行制度改善の促進
  (二) 大財閥支配体制の確立
 
付属資料
  (1) 昭和金融恐慌関係主要日誌
  (2) 昭和金融恐慌関係重要法令
解説 昭和金融恐慌と平成不況の類似点 鈴木正俊

続・オーケストラは素敵だ オーボエ吹きの修行帖(茂木大輔/音楽之友社)


N響首席オーボエ奏者によるエッセイ。以前紹介した前作の続編だ。あとがきに「山下洋輔」の名前が出ているように、所謂「昭和軽薄体」の雰囲気に満ちていて、とっても楽しいエッセイ。
各楽器についての解説的な内容が多かった前作よりも「楽隊」の裏話的な話や著者のドイツでのオーディション話がある本作の方が私は好み。ただ、そのせいもあって音楽に詳しくない人にとっては若干とっつきにくいかもしれない。
また、本作の内容は二冊に分冊されて中公文庫に再録されている。そちらを手に取ってみてもよいかと思う。

オーケストラは素敵だ オーボエ吹きの楽隊帖(茂木大輔/音楽之友社)


N響首席オーボエ奏者の著者によるオーケストラをテーマにしたエッセイ。クラシックをあまり知らなくても楽しめるし、知っていればなおのこと楽しめる、肩の力を抜いた気楽に読める一冊だ。
読んでいて一番「あー」と思ったのが、弦楽器と管楽器の価格格差の話。 弦楽器の場合、それこそ家一軒買える値段なのに対して管楽器の値段は(トッププロが使うものでも)結構たかが知れていたりする。弦楽器の場合、最高峰にストラディヴァリウスというものがあってこれが物凄くシャレにならない値段だったりする上、現代技術では再現できなかったりするあたり相場が青天井で大変なのだ。一方管楽器はというと、高いと言っても楽器の素材を金にする(音の響き的にそっちの方がよかったりするので)といった程度で、さらに言えば楽器の機能的に「最新の機種の方が良い」なんてこともあるのだ。そんなわけで、弦楽器セクションの贅沢さと比較すると管楽器は安上がりというくだりは思わず苦笑いを禁じ得なかったりする。なんというか「あ、あー」という言葉以外にこの感情を言い表すのが難しい。
もう一つ印象深いエピソードを。若いころ著者の奥さんと著者が音楽観を巡ってケンカになる話があるのだが、その中で「ひとつの様式」に「どっぷりひた」ることの大切さを語っているものがある。これは音楽に限った話じゃなくて、何にしてもそうだと思う。そういった「ひとつの様式」に「どっぷりひた」った後は、他の様式の意味も自然と見えてきて理解がしやすくなることは経験上かなりあったりする。
最近は知識や薀蓄ということをとかく軽視する世の中になってきて、とても苦々しく思っている。何かしらの分野で知識の大河にひたることをしないまま、聞きかじりの理屈を振りかざす連中が多いというわけだ
それをとやかく言うつもりは無いのだが、底の浅い人間を量産するようではこの先暗いよな、などと柄にもなく気楽なエッセイを読みながら思ってしまった次第。

デフレの正体(藻谷浩介/角川oneテーマ21)


日本政策投資銀行に勤務し地域振興の各分野に活躍する傍ら、平成合併前の約3200市町村の99.9%、海外59ヶ国を訪問した経験をもつ著者による、景気不振についてかなり大胆に論じた一冊。背表紙の惹句に「『景気さえ良くなれば大丈夫』という妄想が日本をダメにした!」とかなり挑発的なことを書いているが、本書の内容はもっと過激だ。
過激と書いたけども、その内容は極めて良質で実体と合致した内容だ。それに根拠となるサーベイの広い方も見事。関満博の調査が現場に密着したものだとするならば、こちらは現場感覚とサーベイの活用をバランスよくやっている感じだ。
内容について簡単に言ってしまえば、今の景気不振は国際競争力でも地域格差でもなく、単に生産年齢人口の減少が原因だというもの。厳密に言うならば、団塊世代の定年退職に伴って、生産年齢人口が急減していることが原因だと述べている。そしてデフレは単なる結果に過ぎないのだ。一見すると、マクロ経済学のモデルとはかけ離れたように見えるが、実際の統計と比較すると著者の意見はそれほど暴論ではない。それどころか、今の若い連中の苦境とも一致するではないか!
正直、これは一回目を通してみて欲しい。その上で、今何をしなければならないのか(ならなかったのか)判断すべきだと思う。今、インフレ目標と称して色々とやっているようだが、これが本当に有効なのか? その上で今の政府の中でまともに現状への対策を理解しているのか誰なのか? 判断する材料としてはうってつけだ。