伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

ドキュメント 戦争広告代理店(高木徹/講談社文庫)

「国際的なプレゼンスを高める目的で、日本ももっとカネを使うべきだ」という意見がある。曰く「クール・ジャパン」だとかそんなのもこういったことの一環である、などと。ある種ご説ごもっともではあるのだけども、ぼく自身は素直に頷けないところがある。
それも、本書のような事例を読んでいるからだ。
本書で扱っているのはユーゴにおけるセルビア人勢力とモズレム人勢力の争いの中で、モズレム人勢力であるシライジッチとそのバックについたルーダー・フィンというPR会社の動きである。
こういった宣伝戦というと、とかく後ろ暗いイメージが強いが本書で語られる内容は驚くほど地味なものだ。こまめに読みやすいリリースをキーマンに投げる。はっきり言ってしまえば昨今流行りの「ライフハック」でもネタにならないようなとっても地味で面倒な作業だ。
しかし、この地味で面倒な作業によってモズレム人勢力は国際的な争いのステージで勝利し現在の状況に至っている。
THE FACTなんてセンスの無い新聞広告にカネを出した連中には是非とも読んで欲しい。
その上でどういうことをすべきかを考えてみてもらいたいところだ。

現代アフリカの紛争と国家(武内進一/明石書店)


アフリカの紛争というとどういったものを想像するだろうか? たとえばルワンダのジェノサイドもその一つだし、最近起きた(起きている)イスラム過激派のテロリズムもその一つと言える。もっと細かいものを取り上げるとキリが無いほどだ。
ぼくの持つイメージというのは資源の権益(石油だとかダイヤモンドだとかだ)を巡って主流派と反主流派がドンパチやっている内戦のイメージが非常に強い。これは松本仁一カラシニコフで読んだ「失敗国家」の記述が非常に強烈で今でもその印象に囚われているからだと自己分析している。実際、アフリカの権力闘争のイメージというのは、角福戦争を武器を使ってやっているような、そんなプリミティブなものと思っている向きも多いかと思う。
だが、本書はそのイメージは時代遅れな考えだと一刀両断している。実の所そういった紛争はむしろ1960年代から1980年代には主流だったが、それ以降、とりわけ1990年に入ってからの紛争は少し違ったものなのではないか? という指摘をしている。本書ではそれをポストコロニアル家産制国家とそれの解体による紛争という言葉を使って説明している。これを簡単に言ってしまえば、権力者とその取り巻きが一切合財を握っている体制のことで、植民地後だから「ポストコロニアル」というくらいの意味である。この体制が1960年代から1980年代に続き、それが1990年代に入って解体され始めたことで今のアフリカにおける紛争激化が起きたのだと筆者は指摘する。
アフリカという国はこの書評でも関連する書籍の書評で何度も指摘しているが、日本とはあまりに縁遠いこともあって、とかく一面的な見方をしてしまう傾向がある。かくいうぼくも、ポストコロニアル家産制国家的な見方を未だにしてしまっていたことからもよくわかると思う。だからこそ丹念な統計的分析とヒアリング資料の分析を用いることで、その迷妄を分析してくれた本書は、極めて啓蒙的で優れた分析だとぼくは思う。
ケチをつけることは幾らでもできると思う。特にイスラム原理主義との関連(特に北アフリカ諸国における)についての言及があまり無い点も不満だし、実際に従来的な紛争とは一線を画したものなのか? という点についても若干食い足りないところがある。ルワンダのケース分析が中心になっているので、このケースだけでアフリカ全土の紛争を説明しようというのは若干無理があるようにも思う。だが、アフリカという物凄く大雑把な括りの中の一つの見方として本書の指摘は極めて有意義だ。
一般向けの読み易い本ではなくガチガチの専門書だし、広くオススメするにはちょっと厳しい本であることは間違いない。だが、それでも見聞を広めたい若いひとたちには是非ともトライして欲しい一冊であることには間違いない。読了することで、アフリカについて新たなパースペクティブを得られること間違いなしだ。

図表リスト
凡例
地図〈アフリカの国家〉

序 問題の所在と方法

第Ⅰ部 1990年代アフリカの紛争をどう捉えるか
第一章 1990年代アフリカの紛争
 はじめに
 第1節 発生頻度と類型化
 第2節 紛争の新たな特徴
 第3節 先行研究の視角
 まとめ

第2章 ポストコロニアル家産制国家(PCPS)の解体としての紛争
 はじめに
 第1節 独立後のアフリカにおける国家の特質
 第2節 ポストコロニアル家産制国家(PCPS)
 第3節 特質の由来
 第4節 PCPS解体の契機
 第5節 PCPSの解体と新たな紛争の特質
 第6節 植民地秩序とポストコロニアル秩序
 第7節 ルワンダという事例
 第8節 議論の進め方
 まとめ

第Ⅱ部 植民地統治の衝撃
第3章 植民地化以前のエスニシティと統治
 はじめに
 第1節 エスニシティの起源
 第2節 統治体制とエスニシティ
 まとめ

第4章 植民地化とルワンダ国家
 はじめに
 第1節 植民地ルワンダの領域的形成
 第2節 植民地経営の改革
 第3節 植民地経営の理念と現実

第5章 植民地期の社会変容
 はじめに
 第1節 社会的不平等と社会秩序
 第2節 土地制度の変容
 まとめ〈第4章・第5章〉

第6章 「社会革命」
 はじめに
 第1節 信託統治地域の政治制度改革(1956年まで)
 第2節 万聖節の騒乱
 第3節 国際社会の介入
 第4節 農村社会にとっての「社会革命」
 まとめ

第Ⅲ部 ポストコロニアル家産制国家(PCPS)の成立と解体
第7章 カイバンダ政権期の国家と社会
 はじめに
 第1節 政治体制の制度的性格
 第2節 政治制度の実態
 第3節 ローカルな権力と農村社会
 第4節 「イニェンジ」侵攻とその影響
 第5節 対外関係
 まとめ

第8章 ハビャリマナ政権の成立と統治構造
 はじめに
 第1節 クーデター
 第2節 ハビャリマナ体制の骨格
 第3節 インフォーマルな権力中枢
 まとめ

第9章 混乱の時代
 はじめに
 第1節 経済危機
 第2節 内戦勃発
 第3節 政治的自由化と急進勢力の膨張
 まとめ

第10章 ルワンダ・ジェノサイドに関する先行研究
 はじめに
 第1節 積年の「部族対立」
 第2節 経済的要因、農村社会経済構造
 第3節 人種主義と利得
 第4節 全体主義的動員
 第5節 フトゥ集団内の圧力

第11章 ジェノサイドの展開
 第1節 ハビャリマナ大統領搭乗機撃墜事件
 第2節 新政権の発足
 第3節 ジェノサイドの主体
 第4節 地方におけるジェノサイドの展開過程
 まとめ

結論 アフリカの紛争と国家
 第1節 〈第Ⅱ部〉〈第Ⅲ部〉の要点と主張
 第2節 含意
 第3節 PCPSの移行

写真構成:ルワンダの人びとと風景

補論1 聞き取り調査について
補論2 ジェノサイドに関する主要人名録

あとがきと謝辞
引用文献
索引

昭和金融恐慌史(高橋亀吉・森垣淑/講談社学術文庫)

歴史というものを学ぶ意味は如何なるところにあるのだろうか? それは過去に起きた事象から得た教訓を現在に活かすということが大きい。なんとなれば、これこそが人間を人間たらしめる叡智と言ってもよいだろう。なにやら近年の不勉強な輩は「今だけ見ていればいい」式のことを曰っているのを目にするが、甚だ不見識と云っていいだろう。このような輩にインテリゲンチャを名乗る資格はない。
さて、本書は昭和初期に発生した「金融恐慌」を題材にした専門的歴史書である。遠因である第一次世界大戦の反動不況や銀行制度の前近代性から論じ、直接の引き金となった片岡蔵相の失言、そしてモラトリアムによる恐慌の鎮圧まで極めて詳細に書かれている。純粋にこの時代にあった出来事の一つとして知りたいのであるならば、正直過分なほどだ。だが、歴史から教訓を学ぶというのであれば話は別だ。
本書から学び取れる教訓のうち最大のものは解説で鈴木正俊氏がキンドルバーガーを引いて述べている次のようなことだ。「恐慌は最後の貸し手が不在の時に起る」。本書の中で詳述されているので詳しくは立ち入らないが、この時代の日銀は中央銀行の機能の一つ、「最後の貸し手(lender of last resort)」としての役目を十分に果たしているとは言えなかったのである。そしてその結果として金融恐慌という最悪の事態を迎えた。そしてモラトリアムの後、金融恐慌は収拾された。これは結局として政府・日銀が「最後の貸し手」として金融システムの維持を担保したことによるものである。
本書を読むことで得られる教訓はこれだけではない。この金融恐慌の遠因として、極めて投機的な商取引が存在している。どうやら、近々本書の教訓が役立ちそうなときが来そうではないだろうか。なにやら、兜町方面は時ならぬ株式相場の盛り上がりで随分と怪気炎を上げている向きがあるそうだ。少なくともぼくたちは本書のような「歴史」を学ぶことで、恐慌という最悪の事態を迎えないように備えねばなるまい。
はしがき
 
第一部 昭和二年金融恐慌の基因
第一章 金融恐慌の基因としての銀行制度の前近代性
 第一節 銀行制度の欠陥--前近代性
 第二節 銀行制度の前近代的特質形成の経緯
 第三節 機関銀行の発生・拡大
 第四節 その他の前近代的特異体質
 第五節 政府の銀行改善施策
 
第二章 昭和二年金融恐慌の基因の累積
 第一節 大戦中のわが国経済規模の飛躍的拡大
  (一) 大戦によるわが国経済の異常発達
  (二) 経済規模の急膨張と銀行の態度にみられる問題点
 第二節 大正九年の財界大反動
  (一) 大正八~九年の思惑投機
  (二) 大正八~九年の熱狂的投機と銀行の加担
  (三) 大正九年反動の来襲
 第三節 大正九年反動の善後措置
  (一) 反動の性格の誤認
  (二) 善後措置の実情と性格
  (三) 安易な救済措置のもたらした弊害
 
第三章 関東大震災以降の財界の打撃の累積
 第一節 関東大震災の打撃とその善後措置
  (一) 大震災による打撃とその救済措置
  (二) 震災善後措置の実情
 第二節 円為替の暴落、暴騰による新打撃
  (一) 震災後の円為替の暴落
  (二) 十四~十五年の円為替投機化と急騰
  (三) 円為替の急騰と財界の再悪化
 
第四章 休戦九年反動以降の企業、銀行の打撃の累加
 第一節 休戦以降の財界打撃の累加
 第二節 企業欠損の累増と銀行の不良貸出の累積
 第三節 破綻銀行に露呈された企業-銀行の高度な癒着関係
  (一) 台湾銀行鈴木商店との癒着関係
  (二) 十五銀行と松方系会社との癒着関係
  (三) その他の若干の事例
 
第二部 昭和二年金融恐慌の誘因と推移
第一章 昭和金融恐慌の誘発
 第一節 昭和金融直前の情勢
  (一) 金融恐慌直前の経済的行詰り
  (二) 円為替相場の激動と財界疲弊の激化
 第二節 金解禁断行決意の準備工作とその影響
  (一) 片岡蔵相の金解禁準備工作
  (二) 金解禁論の問題点
 第三節 震災手形処理問題
  (一) 震災手形処理状況
  (二) 震災手形処理法の概要
  (三) 震災手形処理法案の審議過程における実情の暴露
 
第二章 昭和金融恐慌の勃発と経過
 第一節 金融恐慌勃発とその通観
 第二節 金融恐慌の第一波
 第三節 金融恐慌の第二波
  (一) 台湾銀行の鈴木絶縁
  (二) 枢密院の緊急勅令否決
 第四節 金融恐慌の第三波
  (一) 台銀、近江、十五銀行の休業
  (二) 全国的な銀行取付の発生
 
第三章 昭和金融恐慌の善後処置
 第一節 政府の救済措置
  (一) 事前の予防措置と第一次の緊急措置
  (二) 本格的恐慌収拾対策の発動
  (三) 日銀特融および損失補償法
  (四) 両特融救済法の実施とその結果
  (五) 政府措置に対応する日銀・市中銀行の対策
 第二節 休業銀行の整理
  (一) 休業銀行に対する措置
  (二) 整理上の問題点
  (三) 昭和銀行の設立による吸収整理
  (四) 台湾銀行の整理
  (五) 十五銀行の整理
 
第三部 昭和金融恐慌のわが国経済に及ぼした影響とその歴史的意義
第一章 金融構造および金融市場に及ぼした影響
 第一節 金融の変態的一大緩慢化
  (一) 恐慌鎮静後の金融の推移
  (二) 異常の低金利時代の出現とその理由
 第二節 預金の流れの変化と大銀行集中の急進展
  (一) 預金の普銀から郵便貯金金銭信託への流出
  (二) 大銀行の地位の飛躍的向上
  (三) 資金の大都市集中
 第三節 恐慌後の金融変容のもたらした問題点
  (一) 日銀の金融統制力の減退
  (二) 金融緩慢化の中小企業の金融難
  (三) 金融界からの金解禁即時断行論の擡頭
 第四節 昭和金融恐慌の経済界に与えた打撃とその特質
  (一) 産業界に与えた打撃
  (二) 証券、商品両市場に与えた打撃
  (三) 昭和金融恐慌の特質
 
第二章 昭和金融恐慌の真因とその歴史的意義
 第一節 金融恐慌は不可避であったか
  (一) 直接因とその対策批判
  (二) 金融恐慌の真因とその不可避性
 第二節 昭和二年金融恐慌の歴史的意義
  (一) 銀行制度改善の促進
  (二) 大財閥支配体制の確立
 
付属資料
  (1) 昭和金融恐慌関係主要日誌
  (2) 昭和金融恐慌関係重要法令
解説 昭和金融恐慌と平成不況の類似点 鈴木正俊

格差社会 何が問題なのか(橘木俊詔/岩波新書)


京大で教鞭をとる著者による、日本の「格差」問題についてデータをもとに分析した一冊。
いわゆる「格差」問題というのは、どうしてもイデオロギー的な側面とやっかみを中心とした嫉妬がからみ冷静な分析というのがとても少ないのだが、本書はこれに対して極めて冷徹かつ丹念なデータ検証を行って述べており、読むべき報告になっている。
特に日本がすでに「低福祉・低負担」の「小さな国家」になっているという指摘は、読者によっては目からウロコもんだろう。また、格差の拡大が実際にどのような弊害をもたらすかという著者の意見は拝聴に値すると言える。
本書は「格差」に対して批判的な立場からの意見だ。そういう意味では割り引いて考える必要もあるだろう。ただ、根拠レスに「競争がすばらしい」と述べている連中よりはよっぽど信頼できるエビデンスを持ち出していることは特筆に値する。実際に格差は新自由主義的な政策によって「格差」は拡大しているし、その弊害も発生している。そして、肝心のセイフティ・ネットである「福祉」もますます縮小している。それが正しい状態なのか? それを議論するための入り口として最適な一冊だと思う。

日本の経済格差(橘木俊詔/岩波新書)


日本の経済格差を所得と資産の観点から統計分析し、政策提言をロールズの「公正原理」における「マクシミン原理」に基づき論じた一冊。
曰く「格差社会」について色々と語られる機会は多い。やれ、新自由主義的な経済がどうこうだとか、いや労働組合が既得権益にとか。やれやれだ。そんなたわごと、本書を読めば言えなくなる。それだけ、本書は価値のある研究を纏めたものだし、是非一度目を通して欲しいものだ。
本書で扱われている統計は若干古く(1998年上梓なのだ)語られている話もバブル経済の弊害にページを割いており、ちょっと古くさいように感じるかもしれない。ただ、ここで述べられている話は少しも古びてないと思う。とくに昨今の「新自由主義的政策が格差を助長した」だの「従来の政策は効率性を悪化させる悪平等がはびこっている!」などという言説に染まった読者からすれば目からウロコもんだろう。日本はとっくの昔(懐かしのバブル時代)に格差が大いに拡大していたのだ!
最初に少し昔のバブル経済の弊害についてページを割いていると書いた。だが、もしかすると今再度確認すべき話なのかもしれない。なにしろ、現政権が望んでいるのはまさにあの時代なのだから。ぼく自身はインフレターゲティング政策(リフレ政策)そのものについて、比較的懐疑的にみつつも試すことについては消極的に賛成という立場を取っている。ただし、失敗した場合には関係者にはそれなりの責任を取ってもらうのが前提だが。そういう立場に立って本書を見てみると、本当に「バブル経済」というものが良かったのか? 結構懐疑的になるし、そういう意味では政策に対する見方も変わってくるんじゃないかと思うわけだ。また、世の中の流れとして社会保障の水準を下げるという話が出始めている。これそのものが、本当に良いことなのか? その価値判断をする材料の一つとしてもこの本は機能するんじゃなかろうか。
別にこの本で述べられているような「平等」の確保が必ずしも必要だとは言わない。国民の判断として「平等」よりも「競争」や「効率」を求めるのならそれでもいい。でも、その弊害や現状を知らず言っているのはどうなんだろう。
そういった様々な「現状」を知るという観点で本書を一度読んでみることをお勧めする。確かにちょっと古い内容だし、文章もお堅いシロモノだが読んで損は無い一冊だといえる。