伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

任侠学園(今野敏/中公文庫)

現実に存在しない情景を描くことをファンタジーというならば、所謂「任侠モノ」というのは大層ファンタジーな代物であろう。古くは高倉健主演のヤクザものなんて、まさに当時においても幻想の産物であろうし、新しいところで言えばドラマの「マイ☆ボス マイ☆ヒーロー」なんかもわかりやすくファンタジーだった。付け加えるならば浅田次郎の描くところのコミカルなヤクザもあれだってファンタジーだ。作中、時代遅れというエクスキューズはあるから、そこを認識してのキャラクター造形とお見受けする次第。
さて、そんなファンタジーな連中をただ幻想のものとして遊ぶのはつまらない。世は大クロスオーバー時代である。傭兵と超人プロレスラーとアニメキャラの美少女とアスキーアートで描かれた白饅頭が伝説の雀士に率いられて野球をする時代である。
本作で描かれるヤクザはある種伝統的な幻想に則ったヤクザである。縄張りの素人衆のために身を張って渡世を生きる彼らはそれこそ極めてわかりやすい渡世人(※)という類の任侠である。
そんな彼らがクロスオーバーするのは、落ちこぼれだらけの崩壊した高校である。その場所が三鷹――中央線沿線というのがまた微妙にリアルである。ぶっちゃけ、あの界隈はちょっとまともな連中であれば気の利いた公立校かさもなくば名門私立に進学する。自然、落ちこぼれだらけの高校があってもおかしくない。
作中、幻想のヤクザらしいやり方で学校を建て直すのだが、その中身は読んでのお楽しみ。実際、ちょっと読み足りないなぁと思う分量なのだが、肩の力を抜いた読書の対象としてはうってつけである。大衆小説、かくあるべし、なシロモノだ。見かけたら買って読んでみても損は無いだろう。

(※)作中の描写で博打を開いている描写が無く、そういう収入源がなくミカジメ中心なのでこの表現が適切だろう。もしかしたらどこかの神社でテキ屋をやってるかもしれないが。

ドラえもんの鉄がく(国際ドラえもん学会編/にっかん書房)


ドラえもんのもつ世界の広がりというのは、考えてみると色々そら恐ろしくなるほどだったりする。例えばロボット技術という観点では鉄腕アトムと並んで一つの目標になっていたりするわけだ。
また作品世界もスゴイ。ちょっと斜に構えたモノの見方で言えば、宇宙小戦争の構図なんて「軍VS警察(内務官僚)」ということもできるし、アニマル惑星で描かれたニムゲとの局地戦はまるでベトコンのような戦争を展開している。それどころか、鉄人兵団なんか一個班(分隊の半分)と戦車に相当するザンダクロス(実際は土木用大型ロボット)、それに改良型山びこ山によるアンブッシュ兼クレイモア地雷、そして即席落とし穴による塹壕構築とヘタな架空戦記顔負けの陸戦描写がある。
さて、こんな歪んだ視点で見なくても楽しめるのがドラえもんひみつ道具だ。困ったことを解決してくれる便利な道具とそれによって引き起こされる騒動は、まさに「センス・オブ・ワンダー」であり「すこしふしぎ」な物語を提供してくれる。
本書はそんなひみつ道具をテーマにした考察書だ。発行されたのが1993年と少し前だったこともあり、考察の前提としている部分にちょっと古さを感じさせるところもあったりするが、現代で実現している技術に思いをはせながら読むのもまた一興だ。例えば、吸音機はいまやノイズキャンセリングヘッドフォンとして現実のものになっているし、たんぼロールは最近「植物工場」という概念によって実現されようとしている。そういった「現代でも実現可能かもしれない」ものを当時の技術でどこまで可能か考察しつつ、実現したことを前提に書いている記述は興味深いし「科学技術」というものに対する入り口としてもなかなか悪くない内容だ。
一方で、「現代では実現不可能」なものについては、ちょっと残念なところも多い。もう少し実現するために可能な推論を含めて詳述して欲しかったというのが本音のところだ。また、東洋哲学が云々というあたりも、ちょっと安っぽさを感じざるを得ない。科学哲学という領域はそれはそれであって、もう少し真面目に取り組んで欲しかったところ。
ただ、それを補って余るほど前半部分の考察が面白い。それにひみつ道具を現実にするという観点での論考は安直な「謎本」(この頃「磯野家の謎」のような本が流行っていたのだよ)が横行していた時代にしては大変な労作だと思う。少し前の本だけあって見つけるのは難しいかもしれないが、類書も無いことだし機会があればぜひ一読してもらいたい。「科学技術」が意外と身近なものに感じられるかもしれない。