伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

南ア共和国の内幕 増補改訂版(伊藤正孝/中公新書)


「アパルトヘイト」ということばを知っているだろうか? 近現代史が大学入試においてあまり扱われない(扱われたとしても東西冷戦構造を中心とした歴史が中心になる)ことから、もしかすると知らない人もいるのかもしれない。南アフリカ共和国において行われてきた人種隔離政策のことだ。今の時代に勉強している若い世代にはもしかしたらピンとこないかもしれない。でも、これはれっきとした歴史的事実なのだ。山川出版の世界史B用語集には、こうある。

アパルトヘイト apartheid ⑨ 南アフリカ連邦成立時からとられた白人優位の人種差別と人種隔離政策。南アフリカ共和国に継承された。
南アフリカ共和国で、少数(16%)の白人が、大多数(84%)の非白人を支配・差別した政策。イギリス自治領時代の南アフリカ連邦で1949~50年に強化された、有色人種差別と有色人種隔離政策のこと。人口登録法・集団地域法・先住民土地法の3法が中心となっていた。国際的圧力もあって84年頃からじょじょに改善され、91年にデクラーク政権によって撤廃された。

どうだろう。50代、60代の人には比較的「同時代」の出来事かもしれないが、それ以下の年代からすると「欠落しがちな歴史的事実」だと思う。実際、この用語をものごころついてからニュースやなんかで見聞きしたのはぼくの世代が最後だと思う。ぼく自身、小学校時代通っていた学習塾のニュース解説本や新聞やニュースで「アパルトヘイトの撤廃」ということを、大騒ぎしていたことを辛うじて記憶している。
さて、本書は今からさかのぼること四十余年、1970年に朝日新聞に掲載されたルポをまとめたものにその後のアパルトヘイトの撤廃後の出来事を加えたものになる。つまり、アパルトヘイト体制下のころの話が中心だ。このころの南アフリカは体制維持の為に人種差別問題を取り上げるような報道を厳しく制限していた。であるが故に著者と相棒のカメラマン横田紀一郎氏は文字通り命がけの取材をすることになる。そしてその課程で寛恕し難い差別にも出会う。今から考えれば信じ難いが、歴史的な事実としてあった話だ。そして、さらに信じられないことに、著者はアパルトヘイトの撤廃が行われるまである種の「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」として南アフリカへの入国を拒否され続けてきた。
本書の中身については、敢えて深くは触れないでおく。何故ならアパルトヘイトについて知らないひとたちこそ、まっさらな状態でこのルポを読んで欲しいからだ。おそらく、書いてある内容に憤りを感じもするだろうし、昔はしょうがなかったんだというある種のエクスキューズ的な立場を取る人もいるだろう。ぼくはそれを否定するつもりはない。それぞれの受け取り方次第だと思う。所詮「アカイアサヒ」とバカにするような態度を取ったって別に構わない。それは、読み手の感性の問題だからだ。
ただ、ここに書かれている事実や著者の問題意識というものは歴史の一つとして絶対に知っておくべきことだと、ぼくは思う。今から思えば本当にくだらない、人種という根拠レスなシロモノによって、かくも無駄な労力とコストを支払い、それにより大多数のひとたちが抑圧されたということは、忘れてはならない事実だからだ。
ぼく自身は彼がとりあげた差別についての問題意識は現代において日本でも通用する話だと思っている。それは単に人種差別という問題にとどまらず、著者の云うような「元請と下請」「(経済的格差による)学歴格差」というような問題は一つの差別の構造として横たわっているからだ。
感性がすり減った(もしくは感性を磨く気のない)年寄りどもに薦める気はさらさらないが、瑞々しい感性を持った若い世代には是非とも読んで欲しい。

増補改訂版まえがき
再版まえがき

Ⅰ 黄色人種として
Ⅱ 現代の魔女狩
Ⅲ 暗闇のソウェト
Ⅳ 飢えるトランスカイ
Ⅴ 白より白く
Ⅵ 解放への道
Ⅶ 二十年ののち
参考文献
南アフリカ年表
索引

蕎麦屋の系図(岩﨑信也/光文社新書)


蕎麦というと、色々とイメージが発展しており中々話しが噛み合わないことが、ままある。日常的に掻っ喰らう蕎麦、忙しい時に手軽に食べる蕎麦、それに酒を飲みながら粋に食べる蕎麦、だ。ぼくなんかは二ツ目の立ち食い蕎麦をこよなく愛しており、粋に食べる蕎麦をやっかみ混じりにバカにしているところがあったりするし、逆に粋が歩いているような御仁からすれば、前二者の蕎麦なぞ「駄蕎麦」の類と鼻白んでいるだろう。もちろん、すべて蕎麦のワン・ノブ・ゼムとして食する博愛精神に満ちた人もいるだろうとも思う。
さて、本書は三番目に述べた「粋に食べる蕎麦」すなわち「趣味そば」の名店、その系譜について述べた一冊だ。取り上げられているのは東京の名店として名高い「砂場」「更科」「藪」に加えて、北海道の名店「東家」、手打ち蕎麦で名高い「一茶庵」と有名どころばかりだ。これらの名店に通う「趣味そば」喰いにとって、本書で語られる歴史は食べる蕎麦をより味わい深くしてくれるだろう。
先日「かんだやぶそば」が火事で燃えた際、ショックを受けた向きには是非読んで欲しい。新たな名店を開拓する気力がわいてくることだろう。

はじめに
第一章 そばの文化史
 「そば切り」所見/江戸の料理本に見るそばのつくり方/そばの食べ方/うどんが主流だった江戸の町/そば不人気の理由/そばと蒸籠の深い関係/そば食いの作法/「もり」「かけ」「ざる」/「二八そば」の謎をめぐる二つの説/夜鷹そばと風鈴そば/そば屋のうたい文句/種もの、百花繚乱/風雅を求めた「変わりそば」/江戸のそばつゆ/茹でたそばを蒸篭に盛る/四〇〇〇軒近くのそば屋が談合/東京に根付いたそば文化/専門職人の集団としてのそば屋/そば屋のニューウェーブ/なぜニューウェーブ店が増えるのか/伝統に回帰せざるを得ないそば/老舗ならではの魅力/そば屋の楽しみ

第二章 「砂場」の系図
「砂場」のルーツは大阪にあり/砂置き場にあったから「砂場」/浪花名物、砂場の「和泉屋」/日本最古のそば屋は「津国屋」なのか/質素で地味な「砂場」/「砂場」の江戸進出/江戸っ子が飛びついた/いまなお途絶えぬ二軒の「砂場」/「久保町すなば」の系譜/「久保町すなば」から「巴町砂場」へ/江戸の趣味そば/「糀町七丁目砂場藤吉」の系譜/麹町から南千住への移転/息を吹き返した暖簾の伝統/和を以て貴しと為す/「室町砂場」/「天保」から「平成」の主へ/出自・大坂を表す半纏/東奔西走、そばの出前/天もり、天ざるを発明/そばにクリームソーダ、ウイスキー/「琴平町砂場」/大正ロマンが漂う「虎ノ門砂場」/相伝された初代の教え/「砂場会」の結成

第三章 「更科」の系図
 一度は下ろした名代の暖簾/地名は「更級」、屋号は「更科」/麻布永坂町の高級そば屋/いつのまにか店名となってしまった「更科」/誰知らぬ者なき明治の大店/四代目おかみによる「さらしなそば」の改良/「さらしな」が「白いそば」になったのはいつからか/暖簾分けのしきたり/伊勢海老の「鬼殻焼き」/初の支店「布屋善次郎」/「さらしなの里」と名を変えて再興/一門を代表する名店「有楽町更科」/飛行機で大阪に出前/途絶えた「有楽町」、残った「銀座」/「布恒更科」/二つの「永坂更科」/麻布の地に甦った「更科」の血脈

第四章 「藪」の系図
 竹藪に囲まれていたから「やぶそば」/「やぶそば」の元祖/「蔦屋」に伍する深川の「藪そば」/「蔦屋」の血を受け継いだ「かんだやぶそば」/「蔦屋」の創業はいつ頃/相場で失敗して暖簾を下ろす/「並木藪蕎麦」/「池の端藪蕎麦」/相次ぐ暖簾分け/「上野藪そば」/連雀町の四天王/引き継がれる「やぶそば」の系譜

第五章 「東家」の系図
 北海道で最初のそば屋/「東家」の誕生/再起を期して釧路へ/親類縁者が続々と暖簾分け/一門の総本山「竹老園東家総本店」/竹老園名物「一コース」の発案/なぜか「藪そば」の名が/札幌における「東家」の系譜/きょうだい、子どもが全員そば屋に/そば屋の気概/東家親睦会

第六章 「一茶庵」の系図
 「手打ち」が衰退した時代/「一茶庵」の創業/日々の営業、即、修行の場/ふたりの師、高岸拓川と北大路魯山人/大森で花開いたそば料理/伝説となった「足利詣で」/一茶庵系の暖簾/手打ちそばブームを生んだそば学校/片倉の思想

おわりに

主な参考文献
五つの暖簾の店舗情報