伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

今日のはてブ(2015/04/01-30)

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なかなか追いつかない程度の反撃状態でアレですがボチボチやっていきます。

規模の経済性とその破綻

business.nikkeibp.co.jp
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イオンのプライベートブランド(PB)というと色々とネット界隈でネタにされがちなんですが、まあ、ぶっちゃけた話値段以外で買う意味があまり無かったりするところがそもそもの問題なんですよね。
勿論実際に製造しているのはナショナルブランド(NB)のメーカーのラインで現実的には同等品だったりするケースも無きにしもあらずなんですが、それでも味だとか原材料だとかNBに対してプラスアルファのメリットが無い価格だけの勝負だと長期的に見て勝てないという事例ということなんでしょう。

みりをたがかんがえたさいきょうのこうりぎょうのはなし(仮)

個人的に非常に興味深いのが仕入れや広告宣伝関係を店舗側に戻すという動きです。身内がこういう小売に関わっている(ってか自分自身も一時期関わっていた)ということもあって、スーパーマーケットから総合スーパー規模の小売店舗運営に関して色々と(それこそ中学くらいのときからかれこれ20年強)追っかけたり考えていたんですね。
ダメなミリヲタとして軍隊のモデルで考えていたんですが、店舗ってのは商圏という戦域におけるひとつの勢力(連隊から師団くらいの規模としましょうか)としたときにイオングループ(に限らず殆ど全ての総合スーパー)ではロジスティクス(兵站)を軍を束ねる大きな戦略単位に統合していきました。本文で出ているようにイオンで言えば各店舗を運営する事業会社よりも上位の単位ですね。ちょうど分かりやすい例で言えば「大砲とスタンプ」(速水螺旋人講談社)で云うところの兵站軍のような具合です。

何事も過ぎたるは猶及ばざるが如しというわけで

あの作品を見ているとわかるけど、こういった体制って非常に弊害があって戦域の展開している師団だの連隊からしてみれば非常にやりにくいわけです。兵站軍からしてみれば、全体の予算があって調達する/できるものには限りがあるわけで振り分けのところで現場サイドとの齟齬がどうしても発生してしまう。比較的供給側の改善で問題解決しやすい軍事界隈ですらこの有り様なわけです。
一方小売の場合、商圏で求められる商品が明らかに違うわけです。ハイソでざーますな住宅地とエイヤァドッコイショな下町、爺ちゃん婆ちゃんが沢山済むところじゃ求めるものは当然変わってくる。そういった情報って店舗から上がってくる情報を統合すると非常に見えにくくなるんですね。
精々マーケティングデータから統計を取って「だいたいこんな感じ」でバイヤーが仕入れるわけですが、これが現場の状況と咬み合わない。んで往々にして現地の下士官(パートタイマーで売り場の管理だのをやっているひとたち)と揉めるんですよね。酷いとバイヤーをすっ飛ばして現地と問屋でやりとりして仕入れが決まったりする。バイヤー経由のものは売り場の片隅で申し訳程度に並べられて当然売れない、と。

結局は規模を小さくシンプルに、そして群雄割拠になってくれるといいなあ

規模の経済性を考えれば仕入れを集約した方がコストも落とせるし悪くないはずなんだけど、均一で均質ではない商圏を相手にして商売を行う以上、こういったやり方は限界に来ているんでしょうね。極論を言えば破綻してしまっている。
これから小売はかなり面白いと思います。店舗サイドに色々な権限を降りてきて、かつ地元に特化した売り場を構築するという観点で言えば、その地で長年住んできたひとたちには勝てないわけですから。地場資本のスーパーやイオンやセブン&アイのような大資本が群雄割拠していくことになって欲しいと願望を込めて考えている次第です。

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今日のはてブ(2015/01/27)

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毎日毎日、これが片付けば少しはラクになると思いながら、結果的に全くラクになってないというこの悪循環の中でもがく状態です。

大河原克行のデジタル家電 -最前線- デジアナ変換サービスがまもなく終了! 地デジ移行最終局面 業界が懸念する課題、そして期待とは?


http://av.watch.impress.co.jp/docs/series/ce/20150127_685346.html
[TV][テレビ][地デジ][ケーブルテレビ][デジアナ][放送]テレビの耐久年数がだいたい7年から10年でしたっけか。正直あまり使わないデバイスだけにまだ対応していない視聴者の気持ちも頷けるところではあります。

(追記)実際のところテレビというメディアでどうしてもチェックしたい情報や娯楽ってそれほどまでには存在しないんですよね。こと、ニッチな世界ばかり好むぼくみたいな連中には特に。
実際、出来れば見たい程度のものも含めるとNHKの将棋トーナメントやニュース、あとはテレビ東京ワールドビジネスサテライトにアニメや特撮くらいでしょうか。それでも実際には殆ど見られなくてニコニコ動画とかでTRPGのリプレイをゲラゲラ笑いながら見ていたりする。

もちろん、ぼく自身はやってないのでアレだけど動画データに落として外で時間つぶしに見るというスタイルは当然あって、そういうやり方をすれば少し変わってくるのかもしれないけど、正直に言えば移動時間にわざわざ見るというのもあまりやる気が湧かない感じです。

テレビの前に座って一定の時間眺めているという習慣が殆ど無くなった人たちにとって、せいぜいテレビというのは朝方の時計代わりだったりその程度なんですよね。当然新しいデバイスに買い換えるという気もそれほど起きないわけで。

ただ、耐久消費財としてのテレビが7年だか10年で寿命が来ることを考えると、当然に一定のペースで買い替えてもらわないとメーカーサイドもサポートしきれないというのは十分理解できるんですが、とはいえそれに見合ったコンテンツがあるかというとちょっとなあ……

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今日のはてブ(2014/10/04)

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今週の疲労が酷くて日中熟睡してしまいました。いやこれマジでアカンやつや。


米メディア報道:アップルが新製品発表イベントを10月16日に開催 : ギズモード・ジャパン
[iPad][イベント][IT][Apple][Mac][タブレット][プロダクト][スマートデバイス]iPad miniはiPhone6 Plusに統合する形でディスコンへ、現行iPadサイズが標準モデルになって新サイズの大型iPadが家庭用のタブレットという位置付けになると予想


スマートフォンの横幅、3年間で1cm広がる - ケータイ Watch
[サイズ][スマートフォン][Android][iPhone][画面][タブレット]6~7インチタブレットとの収斂過程の動きかと。たぶん6インチサイズくらいで止まるんじゃないかな。


(追記)再三触れてますけども、iPhone6 Plusがリリースされた時点でiPad miniは歴史的役割を終えたものと考えています。なんとなれば、スマートフォンに分類されるスマートデバイスが小型7インチクラスタブレットと収斂する動きが決定的になり、存在意義を確実に失うことになるからです。このあたりを担うデバイスはPCアーキテクチャでは難しくて、ベンダーこそ複数居るもののある程度淘汰されてくるんじゃないでしょうか。小型化とバッテリマネジメントというのは、ノートPCの例を見てもわかるとおり一朝一夕でなんとかなるものでもないですし。
一方でタブレットです。恐らく家庭用/企業内運用で基本的には持ち出さない性質のサイズと営業活動におけるプレゼンテーション/コミュニケーションツールとしてのサイズに二極分化するんではないでしょうか。そう考えればiPadのサイズラインナップが大きくなる方向で増えるのは、その潮流通りの進み方ということになります。
タブレットに関してはノートPC側(MicrosoftIntel/ノートPCベンダー)の巻き返しも凄くて、Surfaceは「ノートPCとしても使えるタブレット」としてそれなりに日本国内でも浸透しつつあります。艦隊これくしょんという誰もが意図していなかったキラーアプリがあったという要素はありますが、iPadのようなタブレット運用しか基本的には考えていない端末の問題点を補うというアプローチは蓋然性があるし、受け入れられるのも納得できます。「タブレットとしても使えるノートPC」としてはPanasonicのLet'snoteですね。相場からいけばかなりお高いですが、ビジネスシーンとりわけ日本の通勤事情を考えると企業向け販売でそれなりの数が捌けるし、商売としては一定の位置をこれからも占めるものと思われます。
そう考えると、タブレットのマーケットに関していえばまだまだ最終的な収斂結果は見えない感じですね。

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マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男(マイケル・ルイス、中山宥訳/ランダムハウス講談社)


大沼という野球選手が居た。典型的な二軍以上一軍未満の選手で、ピンチの場面で登板した日にはご丁寧に塁に居る選手を生還させてそれからそこそこのピッチングをするという、まさに防御率詐欺のような選手だ。よほどの野球ファンでもなければ一山幾らの野球選手という印象しか持てない、そんな程度の選手である。
おそらくぼくも、切込隊長こと山本一郎氏のブログで度々ネタにされているのを見ていなければ認知していなかった。プロとしての全力をもって野球に注力しているにも関わらずある種物笑いのネタになってしまう、そのおかしみに爆笑させてもらった。
野球、それもとりわけプロ野球というのは、外から見るファンからすればとてつもなく気楽な祝祭空間だ。観戦チケット(場合によってはテレビ中継でも良い)さえあれば、まったく気遣いなく選手の怠慢プレーを罵倒し、野次り、けなし、馬鹿にすることが出来る。無論、その逆だって可能だ。もし、もう少し真面目に応援するなら近くの私設応援団や応援に人生を賭けているような暇人からチャンステーマの歌詞カードをもらって応援したって構わない。たかだか3時間程度の時間と空間に、様々なドラマと物語が交錯する。それが野球だ。
本作はそんな野球を、さらに特殊な戦い方をしている集団――オークランド・アスレチックスの内幕を描いたノンフィクションである。少し前の話だが、本作をモティーフにした映画があった。今でも覚えているが深夜の岡山の映画館で、ホットドッグとポップコーンを貪り喰いながら眺めていた。はっきり言ってそびえ立つクソのような映画だった。物語に何の脈絡も無く、ただ短期な男が球団運営をやるというつまらない映画。そんな程度のものだった。だが、本作はそれとはちょっと違う。
プロ野球選手というのはよく知られているところでは「高給取り」というイメージがある。実際、アホみたいに高い年俸を貰っている選手は、みんなも知る所だろう。故にお金がかかる。アホほどお金がかかる。だが、アスレチックスは全米に名だたる貧乏球団だ。故に普通にやっていたのではとてもじゃないが戦えない。だが、実の所アスレチックスはプレーオフに毎年のように絡む強豪チームだ。何故?
その理由は本書を読んで知ってもらいたい。やっていることは実際至極常識的なことをやっている。安く買って高く売る。商売の基本だ。だが、野球という世界はそんな基本が守られていない。そこにアスレチックスが戦える秘密がある。
マイケル・ルイスのノンフィクションは、世紀の空売りもそうだけど描写が非常に散漫ではっきり言って読みづらい部類に入る。言ってしまえば題材が面白いけど、構成力が酷いという部類だ。先述の映画がそびえ立つようなクソ映画になってしまったのも、本作の内容をそのまま映画化したからだろう。だが、ここで描かれていることはまったくの真実でしかもより進化した形で現在も進行しているというところが面白い。言い換えれば題材の面白さが他のマイナスをすべて打ち消しているということなのだ。
何を差し置いてもオススメするというほどの本ではないのは間違いない。だが、野球という祝祭空間に興味があるなら一度手を出してみても悪くは無い。新しい観点から野球というものを捉えることができるようになるかもしれない。

まえがき
第1章 才能という名の呪い
第2章 メジャーリーガーはどこにいる
第3章 悟り
第4章 フィールド・オブ・ナンセンス
第5章 ジェレミー・ブラウン狂騒曲
第6章 不公平に打ち克つ科学
第7章 ジオンビーの穴
第8章 ゴロさばき機械
第9章 トレードのからくり
第10章 サブマリナー誕生
第11章 人をあやつる糸
第12章 ひらめきを乗せた船
エピローグ
解説 二宮清純
オークランド・アスレチックス 2002年全試合結果