伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

今日のはてブ(2014/11/03)

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ビッグデータの本質はデータの大きさではない - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Being between Neuroscience and Marketing
[ビッグデータ][IT][開発][技術][考察][経営][企業][社会]ビッグデータ自体が従来のPOS的なものをより巨大な規模で程度の印象しかなかったところにこの指摘は結構驚きで目鱗状態。

(追記)この指摘は本当に驚きだし目から鱗のお話です。私自身ビッグデータという名称に引きずられて純粋にレコード数(3V*1でいうところのVolume)の部分が巨大であるが故に、従来拾えなかったところを拾うという観点でしか考えてこなかった。どちらかと言えば寧ろVarietyの部分に注目すべきということなんですね。

今現状、AppleやらGoogleやらMicrosoftが手を出そうとしているヘルスケア関係の情報というのがまさにこのVarietyの色合いが強いってことになるんですね。もちろん、従来のデータ管理の範疇で扱える部分からアプローチしていくのは当然なんだけど、最終的な目標はそこ、と。

*1:ビッグデータの特徴である「Volume, Variety, and Velocity」の頭文字を取って3V

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今日のはてブ(2014/10/10)

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先だって発売が発表されたPanasonicのCF-RZ4についてですが、あれはもちろん数が捌けるような機種ではありません。正直、一般的な消費者はあんな値段のノートPCなんて買わないでしょう。あれは、基本的にガチのロードウォーリアか、ガリガリ外で仕事をせざるを得ないビジネスマン向けの特殊なPCです。あとはMacスノビズムというかオシャレな空気が嫌いな連中向け。
それでもあれだけカネのかかった仕様のマシンを量産してもやっていけるってのが、PanasonicのPC事業の恐ろしいところなんです。それは、企業向けにそれなりの数を出しているだとか、米軍スペシャルのTOUGH BOOKを出し続けるためにLet'snote側で色々と技術を試すだとかしてかないといけないという事情はあるにせよ、それでも事業として十分成り立っているわけです。
シェアという観点でのボリュームは正直微々たるものだし、マーケット内でのプレーヤーとしてのバイイングパワーはバカみたいな数量を作っているところとは太刀打ち出来ないけど、それでも商売にするあたりやはり松下ですよね。

http://cloud.watch.impress.co.jp/docs/event/20141010_670932.html
大和ハウス、フルクラウド化に向けたネットワーク更改の軌跡 - クラウド Watch
[ネットワーク][クラウド][大和ハウス][NTT Communications]実のところ企業の情報インフラにおいて一番ネックになるのはネットワークだと思っています。特にサーバをクラウド化すると特にそう。

http://cloud.watch.impress.co.jp/docs/event/20141010_670871.html
ITのシンプリフィケーションはグローバル化を迫られる日本企業にとって急務~SAPジャパン・堀田氏 - クラウド Watch
[SAP][IT][NTT Communications][経営][企業][IT]そうは言っても現実的には末日締切を迎えて部下が報告を奉じてこないと数字が見えない企業が殆どなんだよね。

(追記)NTT Communications主催のイベントから2本取り上げました。
前者のクラウドとネットワークの話ですが、ぶっちゃけた話サーバのクラウド化って実のところハードルは結構低いんです。パブリッククラウドに持っていくってなるど、煩い連中は居るかもしれないけど、自前のサーバを集約して仮想化って話は基本的にコストダウン/アセットライトに繋がる話で、筋さえ通っていれば話は通しやすい。極論、何らかのシステムの更新やマシンの劣化更新のタイミングでうまくカネを引っ張って来ればそこに集約って出来るから。
ただ、ネットワークは基本的にコストダウンがエラく難しいんですよね。増強するってなると確実にコストが嵩む話になるし、場合によっては設備投資も必要になる。
自然、サーバの仮想化の方が先に進むわけで企業の情報インフラという観点で最大のボトルネックはこのネットワークになってくるわけです。
無論、光ファイバが昔に比べてアホほど安くなったり、UTPが頭痛がするほど安くなったり、スイッチングハブやLayer3の機器(RouterやL3Switch)が目玉が飛び出るほど安くなったりと、全般的に物理的なモノの部分は安くなっているんだけど、結局工事が伴う部分については人役が必要になるわけでかなり重たい投資になる。また、専用線VPNを引くとなると今でもかなりカネを取られるわけで正直このあたりがネックになってくるわけです。
今回紹介されている大和ハウスの事例はシステムごとにネットワークを分離って話なわけですが、企業の中で情報の価値/重要度の重み付けという観点でネットワークを分離してそれぞれに帯域を与えるというのはひとつの方法ですね。無論、コストは増えますけど。
一方、SAPの話はERPという言葉が本邦に入ってきてからずっと言われ続けている話です。ただ、現実的にトップが自分でダッシュボードを見るかというと微妙だし、結局「使われないシステム」として埃を被ってしまうのが現実なんだよね。

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今日のはてブ(2014/10/08)

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世間じゃノーベル物理学賞の話題でもちきりですが、敢えてメジャーに楯突くそんな生き方。

皆様に重要なお知らせ(プロ野球ヌルデータ置き場)

http://lcom.sakura.ne.jp/NulData/20141007.htm
[野球][Stats][データ][プロ野球][SABR]活動休止は物凄く残念だけど、あれだけの膨大なデータを個人で処理するのはさすがにしんどいですもんね。心から敬意を表しつつ「お疲れ様でした」と申し上げたい。

(追記)いま、東京六大学野球のStatsなんてまとめてたりするのはここの影響が大です。
最初ここのサイトを知ったのは山本一郎さんの大沼ネタ(とそれに絡んでのダルビッシュネタ)が端緒で、そこから「データで楽しむ野球」って見方を学んだ次第です。従来、野球におけるデータは野村克也氏のいわゆる投手対打者の関係における配球理論だとかそういった部分ばかりが注目されていたけど、選手ひとりひとりが持つ能力とそれを裏付ける成績/データによってチーム全体の能力をどのように考えるか? というものは、物凄くアイオープナーなものでありました。
今でこそ「マネー・ボール」などで紹介されるように、こういったデータに基づいてチームを強化してペナントレースを勝ち抜くって考え方はある程度浸透してきてある種「ポスト・マネー・ボール」が必要になってきてすらいるけども、このサイトが始まった当時は言ってみれば一部の好事家たちだけで使われるデータだったと思います。
オープンな情報をもとにそれをまとめることで新たな価値を創出するというのは、昨今色々言われる「まとめサイト」には無い有益さを持っているし正直活動休止は物凄く惜しいと思うけども、個人であれだけの膨大なデータを維持管理するのは正直限界がありますよね。ぼく自身、東京六大学野球のStatsをまとめていて、あのデータ量でもしんどいと思うときがありますし。

重ねてになりますが7年もの長きにわたって本当にお疲れ様でした。心より敬意を表したいと思います。

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今日のはてブ(2014/10/03)

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さすがにやることやらずに遊ぶのは許早苗なので、マジメにやります。


Office for iPadが日本でも年内から利用できるよ : ギズモード・ジャパン
[Office][iPad][Apple][Microsoft][iOS][タブレット][ソフトウェア][オフィス][Office365]恐らく、ビューア的な使い方については殆どPCレスな形態が実現することになるでしょうね。あと、こいつを使うためにOffice365を契約する価値があると思います。リリースがホント楽しみ
(追記)何か資料だとか成果物を作成する立場であればたしかにタブレットという形態は不便ですが、既に出来上がった資料を見せるとかそういう使い方であれば極論PCが必要ないということになりますね。
使い方次第だとは思いますが、内勤する日は共有の端末からシンクライアント環境に接続して資料を作成してオンラインストレージに放り込む、外回りのときはiPadでネットワークから資料を引っ張ってきて見せて、日報を書いて投げる。そんなシーンは容易に想像できます。

ただまあ、アウトプットが中心となる職種で言えば、結局この手のデバイスはビューア的な運用になってしまいがちなところもあって、PCとは縁が切りにくいところがあるのが難しいですね。

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詳説 世界史(世界史B 新課程版)(木村靖二、佐藤次高、岸本美緒/山川出版社)

 大学入試で求められる知識ーーわかりやすく言うならば試験科目と言い換えてもいいーーは、何故今の体系なのだろうか? 身も蓋もない言い方をしてしまえば、文部科学省の定めた高等学校教育の範疇に従っているだけなのだが、それにしてもいろいろな選択肢がある。英語、数学、理科、国語、そして地歴公民。さらに言えば、技術やら家庭、芸術、体育なんて科目も高等学校教育では扱う。それどころか、普通科では扱わないような科目、農業高校には畜産や工業高校には自動車、それに商業高校には簿記だって存在する。
 大学という場がただの職業予備校としての存在であれば、極論、体育試験をやって体力の無い連中を切り捨てた上で、実務に直結するような科目を試験にするという判断だって、あってもおかしくはない。
 だが、現実的には大まかに次のような分類になっている。

 ・英語・数学・理科・国語・地歴公民の組み合わせ(国公立大学や一部私立大学の理系に多いパターン)
 ・英語・国語・地歴公民の組み合わせ(私立大学の文系学部に多いパターン)
 ・英語・数学・理科の組み合わせのパターン(私立大学の理系学部に多いパターン)

 何故、大学はこれらの科目を試験において課すのだろうか? 一つの思考実験として考察してみたい。

 例えば、英語。大学において英語の文献を読みこなすことは、殆どの学問領域において求められる。よって、試験でその能力を課すことには必然性がある。
 国語も同様。文献を読み解く能力というのは、ある一定以上の日本語読解力が求められるし、さらにいえば膨大な文献を読み解くある種の「体力」が必要となる。数学や理科については言うまでもないだろう。理系分野においてはこれらの基礎知識が無いと話にならない。
 では、地歴公民というのは何故必要なのだろうか? 高等学校で扱うような内容というのは、極論すれば大学教育の基礎となるようなものではない。何故ならば、大学において扱う領域というのは個々の分野を深堀したものであって、高等学校教育の地歴公民で扱うような「広く浅く」という知識が求められるものではない。
 しかし、私はこの分野の知識は最低限必要だと考える。それは「教養」として必要だ、ということである。何かしらの問題(課題)を論ずるにあたって共有すべき情報というのは存在して、それを世間では「教養」と呼ぶ。
 例えば、システム領域で言えばAPIのようなものだし、オタク的に言えば東方Projectをやっていると、色々なこと(例えば音楽系二次創作を楽しめるとか)を楽しめるというようなものだ。つまり、物事にアプローチするための共通基盤として存在するものだと考える。

 さて、前置きが長くなったが今回はそういった前提を理解した上で、「詳説 世界史B」(/山川出版社)を取り上げたい。山川の日本史や世界史の教科書といえば、大学入試の世界ではデファクトスタンダードと言って過言ではない。つまり、大学で求められる歴史分野の「教養」として共通に求められる内容を収載したもの、と言える。そういった意味では読んで損となるものではないだろう。
 むろん手放しで評価するわけにはいかない。教科書として漏れなく記述するという前提がある以上、各地域史を一定の区切りで述べるという形態の繰り返しである(物凄く乱暴に言えばアミダくじみたいな感じね)。歴史を学ぶ上で必要になってくる地域内の歴史的つながり(タテのつながり)や同時代の地域間のつながり(ヨコのつながり)という観点では非常にわかりにくいものになっている。これは、大学受験という観点でも非常に不便であって正直どうにかならんもんかと昔から思っていたが未だにここは改善されるフシが無い。
 また、あくまでも通史なので個別の論点については非常に弱い。例えば古代で言えばローマにおけるある皇帝の所行だとかそういったことはサラッと触れられているに過ぎない。大学受験の実態では予備校講師や高校教員がひとくさり語ることを覚えるとか、本書の教員向けガイドに近い「詳説 世界史研究」を読みながら対策する、はたまた用語集と年表と地図帳を首っ引きで勉強するなんて力業で対応していたりするのだが。

 ところで、世界史や日本史の教科書は以前日垣隆が著書の中で「レファ本」という概念で紹介している。この概念の中で紹介している本について、ぼくの中でも賛否色々あるのだけど、本書については日垣に同意だ。どちらかと言えば通読する本ではなくて、興味があること、調べなければならないことを辞書的に引くというスタイルが一番便利だと思う。これは日垣が述べるような自己啓発、ビジネス本的な教養だけではなくて、もっと卑近なこと、ゲームや小説の中での興味でも有効だ。これは歴史をテーマにしたものじゃなくてもいい。例えばファンタジーもののTRPGをやっているなら、中世世界を調べて世界観の説得力を強めるなんてスタイルなんてのが真っ先に考えられる。

 とかく歴史というと生臭いシロモノになりがちである。そんなくだらないことは忘れよう。歴史はぼくらが人生を楽しむためのAPIなんだ。本書はそんな人生という言語をより素晴らしいものにする優れたレファレンスであると思う。

 ちなみに身も蓋も無いが、Amazonで購入することはオススメしない。教科書を取り扱う書店を探してそこで購入しましょう。だいたい1000円もしないで買えます。