砂の薔薇(新谷かおる/白泉社文庫)
PMC(Private Military Company)というものがある。簡単に言ってしまえば傭兵とかの派遣会社のようなものだ。ずいぶんと昔からこれに類するものが存在していたが、最近イラク戦争とかの関係で注目されるようになってきた。もちろんこの注目は基本的にはネガティブな文脈で語られることが多いのだが、現実的に自国軍で手が回らないところが多い昨今(とくに歩兵戦力は政治的理由もあってなかなかフルには難しい)必要悪のようなところはある。
本作はそんなPMC――CATに所属する美しい女性たちのテロとの戦いの物語だ。空港爆破テロで夫と子供を失った主人公、真理子・ローズバンクを指揮官とした傭兵部隊がテロをぶっ潰して回るという筋書きである。
あくまでもフィクションであるという前提が必要ではあるが、PMCというものに着眼した著者の発想には瞠目せざるを得ない。何しろ本作は1990年代初頭に書かれたものなのだ。まだまだPMCというものが一般的には未知なるものだった時代に、ここまで精緻に物語をくみ上げるとは、いやはや驚きである。
さて、対テロを主任務とするPMCを舞台にしている以上、それについて考えなければならない。彼女たちはテロを憎む。それは、政治的要求を通すために罪のない一般市民、とりわけ子どもたちが犠牲になるということが許せない、と物語では述べられている。なるほど、PMCというものが持つ影の部分にあまり言及せず主人公たちをある種の「正義の味方」とするには巧い筋書きである。
無論、テロ行為というのは非常に嫌らしい「犯罪」である。実際、つい最近のボストンマラソンでのテロでは、子どもが犠牲になるなどしたし一般市民も巻き込まれたと聞く。だいたい、ふつうのこういったイベントでドンパチやられた日にはたまったものじゃない。はっきり言って迷惑極まりない。若干下品かつ冒涜的な比喩をお許し願うならば、バキュームカーを歩行者天国に持ち込んでうんこをまき散らす以上に迷惑な行為だ。爆弾テロなんかやられた日にはうんこが臭いとか言ってる場合じゃないわけだし。
ただ、本作を読んでいるとどうしても対テロという立場からの独善を感じざるを得ない。実際、テロという手段を用いねば政治的主張そのものが無視されている立場のひとたちはどうするんだ? という疑問が浮かんでくる。例えばパレスティナにおけるイスラム過激派なんかもその一つである。松本仁一さんの「ユダヤ人とパレスチナ人」にもある通り、現実的にイスラエルによって「圧政」を敷かれているパレスチナ人はその現実を受け入れるしかないというんだろうか? そりゃ、テロという行為がタチの悪い「犯罪」であることは言うまでもない事実だ。だけども、それをしなきゃやってられないというもう一つの事実はどうなるんだろう。実際本作でそういった複雑な事情を抱えた地域での物語は一切ない。実際、著者も書ききれないだろうし、物語としても非常に重苦しい、エンタテイメントとしてはつまらないものになってしまうからだろう。それは仕方がない。だけども、そういった批判的パースペクティブをどうしても私は持ってしまうのだ。
エンタテイメントとしては(連載が青年誌だったということもあり、多少エロティックな描写が多いのは事実だけども)一級品で、純粋に楽しめる作品ではある。ただ、これを読んだときに多少なりともこういった別のパースペクティブを持てるだけの多様性と教養は持ち合わせて欲しいとぼくは思う。
シビリアンの戦争(三浦瑠麗/岩波書店)
いきなりで恐縮だが、ぼくはドイツ参謀本部のような歪んだプロフェッショナリズムというものが大嫌いだ。ドイツがあんなグチャグチャになったのも、極論を言えば彼らの歪んだプロフェッショナリズムがドイツという国家を自爆に導いたと思っている。同様に日本における旧陸海軍も同じ穴のムジナだ。そういう意味では文民統制(シビリアン・コントロール)というものは重要だし、議会や民主的に選ばれた政権によって軍事行動は制御されるべきだと思っている。
しかし、本書はその考えに対して驚くべき指摘をしている。戦争はむしろ当事者意識の無い文民によって引き起こされるものだ、と。所謂通論で言えば、これは荒唐無稽なものと言ってしまっても過言ではない。先述したように、軍というものは文民による制御が無ければ勝手に戦争を引き起こして国民に迷惑をかける、というのが世間一般の共通認識だからだ。だが、本書の丹念な研究はそういった通論を打ち砕く。民主的に選ばれたはずの政権が戦争についての当事者意識もコスト意識も無く、戦争を引き起こし多大な犠牲とコストをもたらすのだ、と。事実、本書で指摘されたような戦争――クリミア戦争やレバノン戦争、それにフォークランド紛争、イラク戦争――が遂行される過程において、文民の方がイケイケドンドン(これは政権や議会だけではなく国民もだ!)で軍や官僚たちプロフェッショナルどもの方が抑制的だったのだ。
実際、レバノン紛争の当事者であるイスラエルでは、軍人たちによる平和団体「ピース・ナウ」というものがあったりするし、イラク戦争では退役した軍人たちによる批判も数多く出ている。本書で述べられている中でも、クリミア戦争では戦争そのものに批判的だった軍人が戦後責任を押し付けられて更迭されたりなんぞしている。
ぼくらが認識していた文民統制というものは、実は間違った考えなんだろうか? 実は軍のことは軍に任せるという方がよっぽどいいんじゃないだろうか?
ぼくはそうは思わない。プロフェッショナルはもちろんその分野ではとても有用なものだし、本書で記述されているような戦争に対する批判という点においてその能力を発揮した見解だと思う。だけど、それに任せるということが果たして本当に良いことなんだろうか? にわかにはこの疑問についての解答は導き出せないけども、プロフェッショナル任せということが国民にとって良いこととはぼくは思わない。
むしろ批判されるべきは、当事者意識を持たないぼくらの方にあるんじゃなかろうか? 若干身内批判になるので言いたくはないけども、威勢のいい意見に引っ張られる向きが結構見受けられるのだが、それによって払う犠牲(これは人命もそうだしコストだってそうだ)についてどれだけ考えているんだろうか? むしろ「なんとなく」で威勢のいいことを言って、反戦団体(彼らにも批判されるべき側面があるのは事実だけど)叩きをすればいいというある種の自己満足にひたってないだろうか?
本書はそういうことを考えるきっかけとしては適切なものだと思う。無論、本書が完璧なものだとは言えない。山形浩生さんの書評でも触れているけども「軍人のほうが反戦的という主張は、ひょっとしたら成り立たないかもしれない」という問題はあるし、シビリアンによる戦争ということを研究するにおいて、もっと触れるべき戦争(たとえばわかりやすい所ではベトナム戦争だ)があるはずだ。ただ、あくまでも考えるべき当事者はぼくたち国民ひとりひとりなわけで、そうそうたやすく「プロフェッショナル」に任せきりというわけにもいかないと思う。だからこそ、本書を一読して考えてみるべきではないかと、ぼくはそう思う。
余談
先に触れた山形浩生さんの書評の中で中国について触れていたけども、どちらかといえば中国の場合中南海のエリート層と軍である種の当事者意識の齟齬があるんじゃないかと思う。特に人民解放軍がらみの話題というのは、本当に表に出てこないので見えない部分があるのだけども、実際に指揮を執る側からしたら政権の当事者意識の無さに色々ともどかしさを感じている連中はいるのではないかと勝手に思っている。むしろ、こういった研究で言うならば北朝鮮とかで考えてみた方がしっくりくるんじゃないかと思う(あそこも必ずしも政権と軍の関係がガッチリというわけじゃないけど)。
略語表
序
第I部 軍、シビリアン、政治体制と戦争
第一章 軍とシビリアニズムに対する誤解
第二章 シビリアンの戦争の歴史的位置付け
第三章 デモクラシーによる戦争の比較分析第II部 シビリアンの戦争の四つの事例
第四章 イギリスのクリミア戦争
第五章 イスラエルの第一次・第二次レバノン戦争
第六章 イギリスのフォークランド紛争第III部 アメリカのイラク戦争
第七章 イラク戦争開戦に至る過程
第八章 占領政策の失敗と泥沼
第九章 戦争推進・反対勢力のそれぞれの動機終部 シビリアンの正義と打算
第一〇章 浮かび上がる政府と軍の動機
終章 デモクラシーにおける痛みの不均衡用語解説
あとがき
引用・参照文献
注
登場人物一覧
ルポ貧困大国アメリカII(堤未果/岩波新書)
前作でジャーナリストとして一躍有名になった著者の続編。アメリカにおける教育や社会保障、医療制度、治安問題について述べた一冊だ。
前作でも述べたが本作の論調は比較的左派的な見解が中心になるし、アメリカにおいてもメジャーな意見としては扱われていないというのが正直なところだ。ただ、ここで述べられていることは紛れもなく真実であるのは確かである。
学資ローンの問題は実の所本書が刊行された2010年当時よりも、もっと悪くなっているのが現状だし、社会保障や医療制度が事実上クソみたいなものになっているのも間違いない話だ。治安問題については、日本から見て単純比較できないところもあるので難しい所ではあるけど、事実のある一面をとらえているとは思う。
社会保障や医療制度の問題については、メジアン(=中流層……と呼べるひとたちもアメリカでは減っているのだが)ですら無保険状態で、ちょっとした病気で莫大な費用を支払わねばならないのは意外に思うかもしれない。だけどこいつは間違いなく事実なのだ。実際、ウォールストリートで働く連中(ヘタしたら上流層に含むべきじゃないかってレベルね)ですら、ちょっとした病気のためにバカらしくなるほどのお金を費やしている。そして子どもが居たら、もっとだ。本書で書かれているように、子どもに「まともな」教育を受けさせるために、こちらもアホほど金を払う必要がある。
言ってみれば、本来ナショナル・ミニマムとして負うべき部分が毀損しぼろぼろになってしまっているというわけだ。ただし、それをもたらしたのは本書で述べるような資本家たちの陰謀……だけではないのが厄介なところなのだ。これはティー・パーティのような頭痛が痛くなるような(これで何が言いたいか察してね)連中が、グラス・ルーツで形成されていることからもわかる。これらは一面としては陰謀論的ロビイング活動の結果でもあるけども、別個には構造的な問題でもあるし、有権者たちの問題でもあるのだ。
こういった点において本書は突っ込みが足りないと言わざるを得ない。事実を切り取るという点では本書は成功しているし非常に有益ではあるんだけど、その背景にあるものに対する視野が残念だけど狭すぎる。そういう意味では「左巻き」という悪評を甘んじて受けないといけないというところはある。
ただ、どうだろう。大部分の「左巻き」と批判する連中はここで描かれている「事実」を知っているんだろうか? おそらくそうではない。ヘタをしたら半径5メートルで人生が完結しているような人(これもお察しください、ね)だって居るわけだ。そういう狭い知識で狭い視野を批判するのは、愚者のゲームとしか形容できないと思う。
批判は批判としてすべき本だとは思う。ただ、ここで描かれている「事実の一面」を知ることはそれとして必要なことだとぼくは思うし、そのためだけに読む価値は充分ある本だと言っておこう。
プロローグ
第1章 公教育が借金地獄に変わる
爆発した教師と学生たち/猛スピードで大学費用が膨れ上がる/広がる大学間格差/縮んでゆく奨学金、拡大する学資ローン/学資ローン制度の誕生とサリーメイ/数十億ドルの巨大市場と破綻する学生たち/消費者保護法から除外された学資ローン制度/ナイーブな学生たち/学資ローン業界に君臨するサリーメイ/子どもたちをねらう教育ビジネス/第2章 崩壊する社会保障が高齢者と若者を襲う
父親と息子が同時に転落する/企業年金の拡大/これがアメリカを蝕む深刻な病なのです/退職生活者からウォールマートの店員へ/増大する退職生活費、貯金できない高齢者たち/拡大する高齢者のカード破産/問題は選挙より先を見ない政治なのです/一番割を食っているのは自分たち若者だ/市場の自由と政治的自由第3章 医療改革 vs. 医産複合体
魔法の医療王国/オバマ・ケアへの期待/排除される単一支払皆保険制度派の声/公的保険を攻撃するハリー&ルイーズのCM/製薬業界のオバマ・ケア支持と広告費/医療保険業界と共和党による反オバマ・ケア・キャンペーン/無保険者に保険証を渡すだけでは医療現場がパンクする/プライマリケア医師の不足/You Sick, We Quick(病気の貴方に最速のサービスを)/これは金融業界救済に続く、税金を使った医療業界救済案だ/この国には二種類の奴隷がいる第4章 刑務所という名の巨大労働市場
借金づけの囚人たち/グローバル市場の一つとして花開く刑務所ビジネス/第三世界並みの低価格で国内アウトソーシングを!/ローリスク・ハイリターン――刑務所は夢の投資先/魔法の投資信託REIT/ホームレスが違法になる/アメリカの国民は恐怖にコントロールされているエピローグ
あとがき
震災復興 欺瞞の構図(原田泰/新潮新書)
東京財団上席研究員を務めるエコノミストである著者による、震災復興がムダ使いだ、という主張の一冊。
復興に増税が必要ない、復興と称したムダ使いが行われている、といった総論の部分はぼくも賛同できる。が、あまりに極論過ぎるし実態や現場が見えていない、数字だけの空理空論でしかない。
例えば、水産業について各漁師に中古の漁船を買い与えればいい、水産加工場も各従業員に金を渡してあとは勝手にやらせればいい、といった意見がある。これが、暴論であることは関満博の東日本大震災と地域産業復興を読めばわかると思う。水産業/水産加工業自体非常に複合的なサプライチェーンを形成していて、どこが欠けてもうまくいかないのだ。エコノミストという割に、東日本大震災で発生したサプライチェーン問題を知らないんだろうか? これだけ読んでいる読者は騙せても、ぼくには噴飯ものだ。
確かに総論としての部分は価値がある議論だと思う。震災に乗じて従来やろうとしてきた(だけど予算がつかなかった)事業をどさくさでやって、復興が遅れるのは論外だ。だが、それを批判する意見がこんなお粗末なものでは、そりゃ取り入れられるわけないわな。外野の空理空論と切って捨てられるのがオチだ。
正直、読む価値はあんまりない。特に震災に関わったひとたちが読めば血圧があがるだけだと思う。そんなレベルだ。
ルポ貧困大国アメリカ(堤未果/岩波新書)
ジャーナリストとして活躍する著者による――というか本作が出世作だな――アメリカの貧困層を現場からとらえた一冊。
こと、ウェブ界隈では左巻きな論調をバカにしてかかる風潮があるし、恐らく本書で書かれているような内容はその範疇に入ってしまうだろう。実際、中南米からの不法移民なんかはとってもグレーな位置づけだし、貧困層の実体は結構自業自得と切り捨てられてもそうそう反論できない状態だったりするからだ。
ただ、本書が著者の出世作になっただけあって、そこに描かれている貧困層の現場を活写しているところはお見事。特にアメリカにおける医療費や教育周りの酷さは、実際向こうに住んで仕事をしている高給取りでもげんなりしているという話があるほどで、貧困層だけの問題と矮小化するのはあまり賢くは無い。
本書を読んでぞっとするのが、アメリカで起きている教育や医療、それに安全保障の分野がアフリカの失敗国家と相似しつつあるということだ。カラシニコフ(松本仁一/朝日文庫)で述べられている、国民の教育や安全保障にカネを使わず、権力闘争に終始する国家と世界の超大国に同じような姿が見えてしまうところは、正直恐怖を覚える。そして、それは日本にも部分的に当てはまりつつあるところだ。幸いにして、日本医師会・国民健康保険・厚生労働省というある種強烈極まりない鉄のトライアングルが形成されているが故に、医療問題はそうではないかな。安全保障の分野も防警察官僚それに内務系官僚の鉄の結束がとっても強いので、まだそれほどでもない。ただ、教育はいわゆる「底辺校」の問題があるし「生活保護バッシング」などを見ると、決して他人事とは言えない。
確かに書かれている内容は一部のひとたちからすれば、決して愉快なことではない。ぼく自身も若干鼻白むところがある。だけど、それだけで読むのをスルーするのは勿体ない。こんな風潮の中だからこそ、読むべき本質はあるしそこから得るべきものは沢山あるはずだ。