伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

経営戦略の教科書(遠藤功/光文社新書)

 


経営戦略というジャンルはとかく「ハウツー」ものに堕してしまうものだ。とくに酷いのは自己啓発ものと悪魔合体してしまったもの。手段が目的となって、何の役にも立たないどころか読者に悪影響を与えるという意味で害にしかならないと言っていいだろう。
かといって、専門書を読むべきかというとそれはそれで問題がある。総花的に理論を展開しているのはいいのだが、結果として実際にどのように活用すべきか? という点で大変に食い足りないことになる。
両者をバランス良く扱った本が今まであまり無い中で本書はお手軽に入手できる理論とハウツーを併せ持った中々良い本だ。
ケーススタディをしながら理論を説明するというスタイルはオーソドックスではあるものの、必要とされる分野をほぼ網羅しており一読すればケツをかきながらコンサルがひりだしたクソ――もとい経営戦略とやらをコケにすることができる程度にはなるだろう。

空港の大問題がよくわかる(上村敏之・平井小百合/光文社新書)


同人サークルであるイオシスの追っかけをやりながら、フライトシミュなんぞやっていると自然と航空業界に親しむことになる。なんとなれば、イオシスは北海道は札幌を拠点にした(いや、東京組はいるけども)同人サークルであるし、フライトシミュは読んで字の如くだ。ぼくがやっているのはMicrosoft FlightSimulator Xなのだが、素のソフトにはそっけない架空のエアラインしか入っていないものの、有志のアドオンを入れることで、たちまち実在するエアラインの航空機を操ることが出来る。最初は自分勝手気ままに空を飛ぶことをしているものの、だんだんと実在のダイヤに基づき空を飛ぶようになる。
とまあ、もともと交通関係は興味があったものの、自然と最近は航空関係のトピックスに関わるようになってきた。本書のような、どちらかといえば重箱の隅をつつくような本を読み始めたのもそういう事情がある。
本書は、日本の「赤字空港」を切り口に海外の空港と比較しいかに日本の空港が立ち遅れているかということを論じた一冊である。まあ、新書本らしい企画ではある。
実際、日本の空港――それも羽田だの成田だのはヘヴィな利用者からはとかく評判が悪い。その評判の悪さの大半はぼく自身は真の意味で24時間営業じゃない――空港アクセスも含めて24時間営業をしていない――ところのような気もするけども、叩く人は中に入っている店のセンスの無さまで叩く。もっとも、これは空港問題の本質ではないので今回は立ち入らないでおこう。本当は、つまらん空港の施設をマスコミが取り上げてさも素晴らしいように語る風潮についても述べておきたいのだが、これも本質ではないので省こう。
さて、正直に言えば本書の中身はそんじょそこらの新書本らしい「浅さ」に満ち溢れていると言わざるを得ない。それは欧州との比較論ではなく国内分析についての「浅さ」だ。そもそも本論において、国内の赤字空港の見積もりの甘さについて論難しておいた上で、静岡空港のフジドリームエアラインや北九州空港スターフライヤーの肩を持つような論調というのは、ダブル・スタンダードもいいところだ。実際、スターフライヤーについてはその中身について厳しく論難している人もいるわけで、そういう向きに対して申し開きができるような本なのかと言われれば、はっきり言って論外のレベルだと思う。
関西3空港問題や中部国際空港についてもそうだ。空港の本質というものに対して前提とするものがあまりに無く、無定見に過ぎる筆者たちの議論はこれらの本来しっかり議論すべき問題を単純化してより分かりにくくするだけだと思う。極論すれば有害無益とまで言えるかもしれない。
本書はタイトルに偽りありの典型的ダメ本の一冊。正直買ってまで読む価値はあんまり無い。

はじめに

第1章 赤字空港の実態
 空港の赤字をどう思うか/赤字空港を報じる新聞記事/ベールに包まれる地方管理空港の収支/唯一の例外が神戸空港/赤字空港の新聞記事の内容/会計検査院による地方空港の検査報告/『日経グローカル』による地方管理空港の調査/国管理空港と地方管理空港の違い/国管理空港の「どんぶり勘定」/「空港整備の特別会計」の仕組み/国管理空港の収支をめぐる政治的な動き/航空政策研究会による空港別収支/ついに公開された国管理空港の収支の「試算」/空港が過剰に建設された背景/空港建設を促進する地方財政の仕組み/再考:空港の赤字をどう思うか

第2章 世界の空港の動き
 変貌する世界の空港/国際線旅客数で見た空港ランキング/旅客数で見た空港ランキング/国際貨物の空港ランキング/イギリスにおける地方分権化と民営化/イギリスの地方空港と赤字空港/ドイツとフランスの空港/アメリカの空港/空港経営のビジネス・センス/民営化による経営意識の変革/その後のBAA/民営化が進まないアメリカ/国家戦略としてのハブ空港顧客満足度を追及するシンガポール/シンガポールの狙い/北東アジアのナンバー・ワンを目指す仁川国際空港/飛躍が期待される上海浦東国際空港/なぜハブ空港が必要なのか

第3章 空港の運命を左右する航空の動向
 空港経営を左右する航空自由化/第1から第9の自由/「1つの空」を目指す航空自由化/航空自由化がもたらす熾烈な競争/世界的アライアンスは大手の生き残り策/大手航空会社の戦略/LCCの台頭①/LCCの台頭②/EUのLCC代表・ライアンエア/アジアで成長するエア・アジア/LCCの次なる戦略/日本に格安航空会社が育たない理由①/日本に格安航空会社が育たない理由②/苦境に立たされる日本のフラッグ・キャリア/JALは再建できるか/ANAの戦略/航空の動向が空港の命運を分ける

第4章 日本の空港をどうするか
 まさかの廃港が現実に/噴出する様々な空港問題/国管理空港の財務様式の決定/地方管理空港の財務諸表の作成と公表/民営化できる空港の選択/空港の経営単位の統合/地方分権化が実現した県営名古屋空港/独自の道を進む能登空港北九州空港静岡空港を拠点とする航空会社/航空自由化は地域活性化のチャンス/複数空港の一体運営/1人当たり負担額の提示を/「空港整備の特別会計」の解体/関西空港の路線はなぜ見放されるのか/「関西3空港問題」の発端/「まな板の鯉」となった関西空港/関西空港の課題/伊丹廃港論は現実的か/中部空港は「第二の関西空港」なのか/国際3空港のなかの成田空港/成田空港の課題/成田空港の歴史的経緯/羽田空港の国際化/欠かせない訪日外国人の需要/日本の空港を生かすには

おわりに
主な参考文献・参考資料

蕎麦屋の系図(岩﨑信也/光文社新書)


蕎麦というと、色々とイメージが発展しており中々話しが噛み合わないことが、ままある。日常的に掻っ喰らう蕎麦、忙しい時に手軽に食べる蕎麦、それに酒を飲みながら粋に食べる蕎麦、だ。ぼくなんかは二ツ目の立ち食い蕎麦をこよなく愛しており、粋に食べる蕎麦をやっかみ混じりにバカにしているところがあったりするし、逆に粋が歩いているような御仁からすれば、前二者の蕎麦なぞ「駄蕎麦」の類と鼻白んでいるだろう。もちろん、すべて蕎麦のワン・ノブ・ゼムとして食する博愛精神に満ちた人もいるだろうとも思う。
さて、本書は三番目に述べた「粋に食べる蕎麦」すなわち「趣味そば」の名店、その系譜について述べた一冊だ。取り上げられているのは東京の名店として名高い「砂場」「更科」「藪」に加えて、北海道の名店「東家」、手打ち蕎麦で名高い「一茶庵」と有名どころばかりだ。これらの名店に通う「趣味そば」喰いにとって、本書で語られる歴史は食べる蕎麦をより味わい深くしてくれるだろう。
先日「かんだやぶそば」が火事で燃えた際、ショックを受けた向きには是非読んで欲しい。新たな名店を開拓する気力がわいてくることだろう。

はじめに
第一章 そばの文化史
 「そば切り」所見/江戸の料理本に見るそばのつくり方/そばの食べ方/うどんが主流だった江戸の町/そば不人気の理由/そばと蒸籠の深い関係/そば食いの作法/「もり」「かけ」「ざる」/「二八そば」の謎をめぐる二つの説/夜鷹そばと風鈴そば/そば屋のうたい文句/種もの、百花繚乱/風雅を求めた「変わりそば」/江戸のそばつゆ/茹でたそばを蒸篭に盛る/四〇〇〇軒近くのそば屋が談合/東京に根付いたそば文化/専門職人の集団としてのそば屋/そば屋のニューウェーブ/なぜニューウェーブ店が増えるのか/伝統に回帰せざるを得ないそば/老舗ならではの魅力/そば屋の楽しみ

第二章 「砂場」の系図
「砂場」のルーツは大阪にあり/砂置き場にあったから「砂場」/浪花名物、砂場の「和泉屋」/日本最古のそば屋は「津国屋」なのか/質素で地味な「砂場」/「砂場」の江戸進出/江戸っ子が飛びついた/いまなお途絶えぬ二軒の「砂場」/「久保町すなば」の系譜/「久保町すなば」から「巴町砂場」へ/江戸の趣味そば/「糀町七丁目砂場藤吉」の系譜/麹町から南千住への移転/息を吹き返した暖簾の伝統/和を以て貴しと為す/「室町砂場」/「天保」から「平成」の主へ/出自・大坂を表す半纏/東奔西走、そばの出前/天もり、天ざるを発明/そばにクリームソーダ、ウイスキー/「琴平町砂場」/大正ロマンが漂う「虎ノ門砂場」/相伝された初代の教え/「砂場会」の結成

第三章 「更科」の系図
 一度は下ろした名代の暖簾/地名は「更級」、屋号は「更科」/麻布永坂町の高級そば屋/いつのまにか店名となってしまった「更科」/誰知らぬ者なき明治の大店/四代目おかみによる「さらしなそば」の改良/「さらしな」が「白いそば」になったのはいつからか/暖簾分けのしきたり/伊勢海老の「鬼殻焼き」/初の支店「布屋善次郎」/「さらしなの里」と名を変えて再興/一門を代表する名店「有楽町更科」/飛行機で大阪に出前/途絶えた「有楽町」、残った「銀座」/「布恒更科」/二つの「永坂更科」/麻布の地に甦った「更科」の血脈

第四章 「藪」の系図
 竹藪に囲まれていたから「やぶそば」/「やぶそば」の元祖/「蔦屋」に伍する深川の「藪そば」/「蔦屋」の血を受け継いだ「かんだやぶそば」/「蔦屋」の創業はいつ頃/相場で失敗して暖簾を下ろす/「並木藪蕎麦」/「池の端藪蕎麦」/相次ぐ暖簾分け/「上野藪そば」/連雀町の四天王/引き継がれる「やぶそば」の系譜

第五章 「東家」の系図
 北海道で最初のそば屋/「東家」の誕生/再起を期して釧路へ/親類縁者が続々と暖簾分け/一門の総本山「竹老園東家総本店」/竹老園名物「一コース」の発案/なぜか「藪そば」の名が/札幌における「東家」の系譜/きょうだい、子どもが全員そば屋に/そば屋の気概/東家親睦会

第六章 「一茶庵」の系図
 「手打ち」が衰退した時代/「一茶庵」の創業/日々の営業、即、修行の場/ふたりの師、高岸拓川と北大路魯山人/大森で花開いたそば料理/伝説となった「足利詣で」/一茶庵系の暖簾/手打ちそばブームを生んだそば学校/片倉の思想

おわりに

主な参考文献
五つの暖簾の店舗情報

ウチのシステムはなぜ使えない(岡嶋裕史/光文社新書)


富士総合研究所を経て、関東学院大学で教鞭を執る著者による、ユーザ向けのIT解説本。
全般的に著者が経験したのであろう「あるある」ネタが豊富で、IT屋に関わるひとたちからすると、笑い(それが失笑なのか、それとも冷笑なのかは敢えて語らない)がもれること間違いなしの本ではある。ただ「ウチのシステムはなぜ使えない」と思っている当事者にとって役に立つかは別問題だ。
著者はある種「ハウツー」的に書いているつもりかもしれないが、残念ながらIT屋の首根っこを捕まえるにはちょっと能力不足と言わざるを得ない。システムを使うユーザからすれば、腹立たしいことこの上ないが、IT屋ってのは本当にロクデナシのクズしかいない。IT屋に日頃接しているぼくが言うのだから間違いない。ぼく自身、人生何でも屋で暮らしてきたこともあって、各方面にちょいちょい役立たない知識の固まりだけあって、IT屋の無知無能ぶりには時折愕然とすることがある。自分の業務経験が全ての輩(テメエのしょうもない自慢話が聞きたいんじゃない!)、経理系システムを開発しているのに経理関係を全く知らない輩(おまえさん、どうやって設計書書くつもりなの)、そもそも意味の通らない日本語が書かれたドキュメントを平気で通そうとする輩(小学校からやりなおせ!)、パワポばかり得意で中身は何にもない輩(紙芝居屋でもやったら)エトセトラエトセトラ。そんなロクでもないIT業界にユーザが立ち向かうには、とてもじゃないが、本書だけではどうにもならない。もっと、IT屋を言い負かすだけの知恵(そうだな、情報処理資格を全部取ったら十分だろう)と度胸(総会屋と渡り合えるくらいは必要だ)と人相の悪さ(これ、結構重要なのよ。IT屋って怖そうな客にはマジメに仕事するのよ)があれば、IT屋なんて怖くない。
だけど、そんなものって本当に必要なんだろうか? とちょっとだけ思う。
そもそもIT屋は敵なのか?
ぼくはそうは思わない。本来ユーザが自分自身の業務すらよくわからずに「システム作って」で丸投げして見るも無惨な業務フローになってるケースも、よく見る。IT屋がロクデナシのクズであるのと同様にユーザもロクデナシのクズであるんじゃなかろうか?
IT屋はIT屋で襟を正さねばならない。と、同時にユーザも自分たちの業務を見つめ直す際に、IT屋と話し合いながら本当にシステムが必要なのか考える必要があるだろう。それには当然IT運用屋とも話を詰める必要があるし、IT屋もそれに対応しうる体制にしなきゃいけないはずだ。
本書には残念だけどその答えは載っていない。というよりも、誰もこういった単純だけど面倒なことを考えようともしていない。だけど、本当は「ウチのシステムはなぜ使えない」が重要なのではなくて「ウチの業務はなぜ面倒なんだ」が重要なんじゃないかな。それを考えるきっかけくらいにはなる本だと思う。

アメリカ下層教育現場(林壮一/光文社新書)


ボクシングのプロテストに合格したのち、週刊誌の記者を経てノンフィクションライターになった著者による、アメリカの底辺校での教育とカウンセリングを行った経験を綴った一冊。制度問題や提言というよりも、ありのままの体験談として捉えた方が良いと思う。筆者が教鞭をとったチャータースクールというのは似たような制度が日本にないので説明がややこしいのだが、公設民営の学校というのが一番ピンとくると思う。特定の目標を掲げて政府から認可を受けた民間の団体が学校を運営する感じ。といっても、実の所公立学校を単純にコストダウンで民営化するために使われたりするケースがあったりするらしいので一概には言えない。
本書に描かれているアメリカの底辺校の事情は、日本のそれとは比較にならない。簡単に言ってしまえば、クロマティ高校がまだまともに見えてくる。ちょっと誇張が過ぎる気もするが、そんなレベルだ。さらに言えばそんな状況で日本の大学のような授業履修スタイルだもんだから、そりゃ、もう凄まじい。一般的な日本人が知るアメリカの高校像・・・オギョーギの良い坊ちゃん嬢ちゃんたちのキャッキャウフフな世界・・・とはとてもとてもかけ離れた世界だ(ちなみにアメリカの学校全般が、物凄く仲良しグループ単位で動いているので、日本の学校以上にスクールカーストが酷かったりする。海外物ドラマで描かれる世界は一応絵空ごとと知っておいた方がいいだろう)。
これを読んで、アメリカの底辺校の実体を知るなんてことは考えない方がいい。あくまでも底辺校の一つの姿だし、実際もっとうまくいっている(まあ、そういう所は往々にして学費が高いんだけどさ)ケースだってある。それでも、一般的に思い浮かべるアメリカの学校というものが、どれだけ特殊なものかということを知るサンプルにはなると思う。