伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

今日のはてブ(2014/12/27)

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​Linux and open source 2014: It was the best of years, it was the worst of years | ZDNet
[Linux][2014年総括][RedHat][Canonical][Heartbleed][Systemd][oss]Red HatCanonicalの鞘当て云々はオープンソースの世界をそういう目で見てこなかったこともあってナルホド感あり。まあ、ただ今年の界隈で最大のバッドニュースは脆弱性周りでしょう。


2014: The year Microsoft lost my loyalty | ZDNet
[オフィススイート][Office][Microsoft][2014年総括][Mac][Chromebook][Android][Windows]確かにWindowsの「迷走」がアレだったのは事実だけど、さりとて所詮ダム端末同然のものはなぁ…… あとオフィススイートのところでLibreOfficeが出てこないあたりお察し

(追記)月中あたりから2014年の総括の記事がちらほら出ていたんですが、ぶっちゃけ今日に至るまでまともに読めていないorz
それはともかく、Linux周り(というかオープンソース周り)の総括に関してはHeartbleedやらShellShockなどの脆弱性周りのインシデントに尽きるでしょう。ただ、これ自体はオープンソースだからというわけでもなくて、プロプライエタリなものでも起きうるものではあるんですが、あまりにいろんなところで便利使いされているが故にインシデントとしては非常に大規模なものになってしまいました。今年がただの「当たり年」だったのか、これからこういった話が増えるのかどうかは、正直なんとも…… といったところではありますが、ともあれ関係する皆様方におかれましてはお疲れ様でございました。

後段のMicrosoft周りの話で言えば、正直浅さを感じてならないってのが正直なところです。もっとも仕事のスタイルにも関わるところなので一概には言えないですが。
実際のところ、Chromebook自体は昔のダム端末のような存在をある程度自由度をもって(移動して使えるとかね)運用できるとかその程度のものだったり、声がデカいホワイトカラー(場合によっては日本の現場作業者たちも)にとって、ExcelPowerPointといったMicrosoftのオフィスツールは、まだまだ無いと困るというシロモノでしょう。無論LibreOffice推しのアテクシとしては、それCalcとImpressでヨクネ? と思ってしまわないでも無いですが、現実的にはまだまだMicrosoftにロックインされている状況は(少なくとも2015年中は)続くでしょう。

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シビリアンの戦争(三浦瑠麗/岩波書店)


いきなりで恐縮だが、ぼくはドイツ参謀本部のような歪んだプロフェッショナリズムというものが大嫌いだ。ドイツがあんなグチャグチャになったのも、極論を言えば彼らの歪んだプロフェッショナリズムがドイツという国家を自爆に導いたと思っている。同様に日本における旧陸海軍も同じ穴のムジナだ。そういう意味では文民統制(シビリアン・コントロール)というものは重要だし、議会や民主的に選ばれた政権によって軍事行動は制御されるべきだと思っている。
しかし、本書はその考えに対して驚くべき指摘をしている。戦争はむしろ当事者意識の無い文民によって引き起こされるものだ、と。所謂通論で言えば、これは荒唐無稽なものと言ってしまっても過言ではない。先述したように、軍というものは文民による制御が無ければ勝手に戦争を引き起こして国民に迷惑をかける、というのが世間一般の共通認識だからだ。だが、本書の丹念な研究はそういった通論を打ち砕く。民主的に選ばれたはずの政権が戦争についての当事者意識もコスト意識も無く、戦争を引き起こし多大な犠牲とコストをもたらすのだ、と。事実、本書で指摘されたような戦争――クリミア戦争やレバノン戦争、それにフォークランド紛争、イラク戦争――が遂行される過程において、文民の方がイケイケドンドン(これは政権や議会だけではなく国民もだ!)で軍や官僚たちプロフェッショナルどもの方が抑制的だったのだ。
実際、レバノン紛争の当事者であるイスラエルでは、軍人たちによる平和団体「ピース・ナウ」というものがあったりするし、イラク戦争では退役した軍人たちによる批判も数多く出ている。本書で述べられている中でも、クリミア戦争では戦争そのものに批判的だった軍人が戦後責任を押し付けられて更迭されたりなんぞしている。
ぼくらが認識していた文民統制というものは、実は間違った考えなんだろうか? 実は軍のことは軍に任せるという方がよっぽどいいんじゃないだろうか?
ぼくはそうは思わない。プロフェッショナルはもちろんその分野ではとても有用なものだし、本書で記述されているような戦争に対する批判という点においてその能力を発揮した見解だと思う。だけど、それに任せるということが果たして本当に良いことなんだろうか? にわかにはこの疑問についての解答は導き出せないけども、プロフェッショナル任せということが国民にとって良いこととはぼくは思わない。
むしろ批判されるべきは、当事者意識を持たないぼくらの方にあるんじゃなかろうか? 若干身内批判になるので言いたくはないけども、威勢のいい意見に引っ張られる向きが結構見受けられるのだが、それによって払う犠牲(これは人命もそうだしコストだってそうだ)についてどれだけ考えているんだろうか? むしろ「なんとなく」で威勢のいいことを言って、反戦団体(彼らにも批判されるべき側面があるのは事実だけど)叩きをすればいいというある種の自己満足にひたってないだろうか?
本書はそういうことを考えるきっかけとしては適切なものだと思う。無論、本書が完璧なものだとは言えない。山形浩生さんの書評でも触れているけども「軍人のほうが反戦的という主張は、ひょっとしたら成り立たないかもしれない」という問題はあるし、シビリアンによる戦争ということを研究するにおいて、もっと触れるべき戦争(たとえばわかりやすい所ではベトナム戦争だ)があるはずだ。ただ、あくまでも考えるべき当事者はぼくたち国民ひとりひとりなわけで、そうそうたやすく「プロフェッショナル」に任せきりというわけにもいかないと思う。だからこそ、本書を一読して考えてみるべきではないかと、ぼくはそう思う。

余談
先に触れた山形浩生さんの書評の中で中国について触れていたけども、どちらかといえば中国の場合中南海のエリート層と軍である種の当事者意識の齟齬があるんじゃないかと思う。特に人民解放軍がらみの話題というのは、本当に表に出てこないので見えない部分があるのだけども、実際に指揮を執る側からしたら政権の当事者意識の無さに色々ともどかしさを感じている連中はいるのではないかと勝手に思っている。むしろ、こういった研究で言うならば北朝鮮とかで考えてみた方がしっくりくるんじゃないかと思う(あそこも必ずしも政権と軍の関係がガッチリというわけじゃないけど)。

略語表

第I部 軍、シビリアン、政治体制と戦争
 第一章 軍とシビリアニズムに対する誤解
 第二章 シビリアンの戦争の歴史的位置付け
 第三章 デモクラシーによる戦争の比較分析

第II部 シビリアンの戦争の四つの事例
 第四章 イギリスのクリミア戦争
 第五章 イスラエルの第一次・第二次レバノン戦争
 第六章 イギリスのフォークランド紛争

第III部 アメリカのイラク戦争
 第七章 イラク戦争開戦に至る過程
 第八章 占領政策の失敗と泥沼
 第九章 戦争推進・反対勢力のそれぞれの動機

終部 シビリアンの正義と打算
 第一〇章 浮かび上がる政府と軍の動機
 終章 デモクラシーにおける痛みの不均衡

用語解説
あとがき
引用・参照文献

登場人物一覧

ユダヤ人とパレスチナ人(松本仁一/朝日新聞社)


朝日新聞で海外特派員を経験し、現在はフリージャーナリストとなっている著者による、中東における対立を纏めた一冊。
カラシニコフ」や「アフリカを食べる/アフリカで寝る」と同様に、現地に住むひとびとへの徹底した取材に基づくものとなっており、非常に読ませる内容だ。これが書かれた当時、イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長による暫定自治への合意があり、中東和平への希望に満ち溢れていたということもあって、和平についてとても楽観的な書きぶりとなっている。だが、現状はご存じのとおり。いまだに泥沼のような状況である。
そういう点は確かに減点せざるを得ないのだが、それでもここで書かれている内容もまた真実の一つではあろうと思う。というか、実際に暮らしているひとたちからすれば、ドンパチなんてただの迷惑でしかないのだ。
個人的に興味深かったのがイスラエルの反戦運動団体「ピースナウ」だ。なんと、この団体の構成員はみんな予備役軍人や現役軍人なのだ。もっともこれにはカラクリがあって、イスラエルでは国民皆兵を制度としているから、当然こういう団体の構成員も自動的に軍人ということになる。ただ、現役士官も所属しているし、そもそもの設立経緯が現役の士官たちが連名で当時の首相に「大イスラエル構想」に対して問いただしたものだというのだから、ちょっと面白いではないか。どこかのクビになった某空軍士官は一度読んでみてもいいんじゃないかと思う。
ヨタはともかく、通り一遍の中東について知るのではなく、そこに住むひとたちについて知りたいのであれば一度読んでみることをおすすめする。

どくとるマンボウ航海記(北杜夫/新潮文庫)


この本を最初に読んだのは忘れもしないいつだったか。確か中学一年の読書感想文だったように記憶している。 当時、読書感想文の本を買うのが面倒で実家に転がっていた本書を読んだのがきっかけであった。その当時は読みやすい本だと流し読みをしてチョチョイと感想文を書いてお茶を濁したのだが、その後牧神の午後(だったか?)でちょいとエローイ描写にコーフンしたり、著者が躁病期に書いたエッセイでゲラゲラ笑ったりと、まあありていに言えばハマってしまったわけですね。
その後、転がり落ちる石のごとく本を読みふける活字中毒者人生を歩むわけなのだが、私のそんなヨタなんざどうでもいいわけでございまして、いいかげん本題にはいりませう。
著者の航海記は1958年から1959年にかけて、と言ってみれば日本が坂の上に再び駆け上がる時代、簡単に言ってしまえば円が弱かった、そう簡単に海外へ行けなかった時代だ。当然、見るもの聞くものすべてが珍しく、その情景が……と思うとさにあらず。ユーモラスでナンセンスなと評されるが、なんてことはない、今時のTwitterやBlogで書かれているようなグダグダとした話が書き綴られている。
むろん、これはバカにした話ではなくて物凄く重要なことなのだ。その頃のブンガクってのはとにかく重苦しくて面倒くさくてとてつもなくツマンナイ、行ってみればヘンな人たちによるヘンな世界だった。それが、言わば「今様」の語り口でグダグダと述べられるってのはそれだけで重要なのであって、むしろ今の我々が書いているものが著者の影響を受けているという表現の方が至当なのだと私は思う。
そして、これが本当に重要なことなのだが、ところどころにグダグダと語られているだけじゃない教養のエッセンスがちりばめられている。この時代のインテリゲンチャがどれだけ凄いか、正直無教養なぼくには圧倒されずにはいられない。
もちろん、ちょっと頭がオジサンオバサンになってしまうと、若書きだのカルイだのツマラナイことを言ってしまうだろう。それでも、だからこそ読まねばならないんだろう。ぼくらが、本当の教養というものを背景に軽妙洒脱な日常を送るために。

カラシニコフII(松本仁一/朝日新聞社)

前作の「カラシニコフ」が「失敗した国家」という非常に大きなテーマを扱っているので、どうしても期待が大きくなってしまうわけだが、本作はちょっともにょってしまう感じなのがちょっと残念。本作は前作でアフリカの諸国家のような「失敗した国家」ではなく「普通の国々」や「努力している国々」におけるカラシニコフの問題を中心に取り扱っている。

1章のコロンビアのケースは「政府に国家建設の意欲はある。しかし、アンデスという統治しにくい山地を国内に抱え込んでしまったため、治安確保の手が及ばないのだ。」と述べている。つまり地勢的問題(この地域はコカイン密造でも有名だ)から「失敗国家」の要素が地域的に発生してしまうという問題を抱えているわけだ。そこに本書の主役「カラシニコフ」が絡んでしまっている。驚くのがノリンコの「粗悪な」スポーターモデルが千ドルという高値で取引されていることだ。もっとも支払いはコカイン。つまりはその筋の方々によるあまりよろしくない取引が横行しているわけだ。この取引は本来こういう動きに対して敏感であるべきな米国の銃器通販業者が絡んでいるというのだから、驚き。実際に米国当局にとっても頭の痛い問題なのだという。

本書がスゴイのはこの話をカラシニコフ御大本人にインタビューしているところだ。当然御大はオカンムリ。ライセンスが切れているにも関わらず勝手に改設計して輸出を続けるノリンコに「開発者として不愉快だ」とまで言っている。

また、4章のAK密造の村を取材した話は目からウロコもんだった。密造銃というと、どうしたって「サタデーナイトスペシャル」なシロモノを想像してしまうのだが、ところがどっこいこの村の密造銃はレベルが違う。銃身の鍛鉄や引き金の鋳鉄といった重厚長大な設備が必要な部品は外注して、それ以外の部品をすりあわせしながら組み立てるという、なかなかどうして凄いことをやっている。ちょっと不謹慎かもしれないが、関満博教授(明星大)の産業集積の話を思い出してしまった。何となれば、日本の町工場ネットワークのようなものがここには形成されているのだ。そういう観点で見ると実は物凄くレベルの高い世界なのだ。勿論、職人の腕前によって出来不出来があったりして安定しない側面はあるのだが、それでも実用面ではほぼ問題無いと売ってる側が言ってるのだから凄い。ただし、ちょっとマニアックな視点で言えば銃身のライフリングが鍛造じゃなくて切削な分強度に劣るところはあるそうな。とはいうものの、銃に詳しい向きに尋ねるとよほど究極的な精度を求めない限りはあまり関係無いとのこと*1。いやはや「密造銃」とあながちバカにできたものじゃないと思えるところが凄いし驚きだ。

また、イラクアフガニスタンの国軍再建に東欧製のAKデッドコピーを使っていることにロシア政府やイジマシュがアメリカ政府にクレームを入れている話はなかなか興味深い。これ単体の話は傍から眺めて指さして笑うべき話なのだけども、そうも言ってられない側面がある。言ってみれば、知的財産権という観点での「ならず者国家」に口実を与えるような話にならないのかな、と。むろんパテントを軽視するような国家がどうなったかは1945年8月15日を見ればいいわけだけど、それでも先々を考えてあまり面白いこととは言ってられない。ちょっと軽挙だなあと思わせる話。これも非常に興味深い報告だ。

と、ここまでは面白い話が沢山転がっていて、日本の銃器ヲタクにも是非一読を勧めたいところなのだが、この後の章でまた雲行きが変わってしまう。アフガニスタンイラクの話について、むろん読むべき内容は沢山あるし本当に労作だと思う。軍ヲタクラスタならずとも読んで損は無い。強盗に自宅を襲撃されたアフガニスタン運輸省技術課長のアブドル・ラティフの「銃は国家だけが持つべきなんだ」という証言は非常に重いし、今後のアフガニスタンイラクを考える意味でも、非常に重要だと思う。

それでも現在進行形の話(そして朝日新聞的にあまり歓迎されないイラクアフガニスタンの米軍進駐の話)だけに、どうにもまどろっこしさを感じてならない。もっとここらへんは単純化してもよかったように思う。そして個人的に一番疑問符をつけたくなるのが国家観のところ。もちろん言っている内容は至極真っ当なものだ。ただ、それがここまで大上段に語られると若干鼻白んでしまう。ここらへんは受け取る人によって違うとは思うのだが。

それでも本書の価値は褪せるものではない。所々にある軍ヲタなら爆笑できるエピソードも健在。個人的にはノリンコが日本向けアルミサッシをやっているということは初耳だった。ぶっちゃけどこの会社向けなのか気になってしまった。

軍ヲタクラスタにもそれ以外の人にも一度読んでおくことをお勧めしたいと思う。少なくとも日本の外にはこういった問題があるということを知るもよし、純粋に軍ヲタの知識増強でもいい。知識はそれそのもので価値があるのだ。

*1:そもそも、AK-47自体の原設計を考えれば精度を求めることにあまり意味はない