伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

キャプテン・アメリカはなぜ死んだか(町山智浩・文春文庫)


書評とかエラソーにやっててこんなことをいうのもあれだけども、いつもぼく自身は自分の無知と浅学さにビクビクしながら生きている(それ故に無知を無知とも思わない連中を心の底から軽蔑してるのだが、これはまた別の話)。いや、ホント実際の所、マジで物を知らんよなぁ……と自分の呆れることっていっぱいあるのよ。アメリカでの三面記事的出来事をコラムに仕立て、それを集めた本書を読んだときもそうだった。
アメリカ合衆国という国があること、そこが超大国で軍事的プレゼンスがどうこう……なんて話は幾らでも(まあ、それなりにそういうオベンキョウはしてきたので)出てくる。でも本書に描かれているような、下駄ばきのアメリカなんて微塵も知らない。また、芸能関係に微塵も興味が無くて、ろくすっぽテレビを見ないぼくとしては所謂ゴシップ関係の話がむしろ新鮮に見えてくる。
とまあ、こんな愉快で脂っこくてアメリカ人が大好きなステーキ(もちろんポテトフライはたっぷりと)のような本を糞まじめに語るのはこれくらいにしておこう。印象に残ったネタを幾つかピックアップしてみよう。フォレスト・カーターの「リトル・トゥリー」がインチキ本(なんとよりにもよって著者はKKKのメンバー!)という話はおもわずうへぇ、とのけぞってしまったことよ。なんでまたそんな御仁がそんな本をとか思ってしまう。これを書くためにamazonのレビューを見たら流石にかなり有名な話らしい。いやはやびっくりだ。「バカ探し」のテレビ番組の話は初出が2007年3月なんだけど、同じ時期にヘキサゴンとかやってて、こういうネタは日米あんまり変わらないんだなぁと感心することしきりだ。本書ではアメリカの小学校5年生レベルの問題を出すクイズがあるなんて話が出てたけど、日本での状況はご存じのとおり。ヘンテコな漢字をタトゥーにする外国人の話を読んで、何故かドナルド・キーンさんのことを思い出してしまった。あんなインテリですら、雅号が「鬼怒鳴門」だったりネイティブの日本人からすると、ちょっとまてやと思ってしまうわけだしね(もっとも、あちらさんも「All your base are belong to us.」に同じ感想を持っているとは思うが)。
他にもとにかく仰天したり爆笑したりととっても忙しい本。ただ、ちょこっとだけ難癖をつけるなら、とにかく全力投球のようなネタばっかりで読んでる途中でお腹いっぱいになってしまうところ。週刊現代の連載コラムが中心(なんで講談社の雑誌連載が文春文庫になっているかは、本書のあとがきを読もう!)なのだが、週刊誌の連載コラムとは思えないほど、脂っこい話が満載。面白いコラムが満載なのは、それはそれで大歓迎なのだが、アナタ、ピータールガーのステーキを一か月喰い続けろなんて、ちょいとキツいでしょ(いや、寺門「ネイチャー」ジモンだったら大歓迎かもな)。そこらへんの問題は、確かにある。それでも、下駄ばきのアメリカンカルチャーを知りたいなら、是非一読してみてほしい。

三面記事で読むイタリア(内田洋子・シルヴィオ=ピエールサンティ/光文社新書)


三面記事というものは、洋の東西を問わず雑多なものでそれでいてお国柄を知るには一番便利な代物であって、イタリアの三面記事を集めたこの本もまさにそんなイタリアの雑多なよしなしごとを知るいい本だ。
時期的には2002年の1月から7月で、10年近く前の話だから今となってはちょっと古い話も数多い。サッカーのコッリーナもバッジョも今となっては引退済だ。ベルルスコーニも失脚……と思いきや、総選挙でまさかの復活。本書を読んでもらえばわかるけど、身を以てメディアにネタを提供するあたり、ナベツネを彷彿とさせる姿、メディア王の面目躍如というところですな。
それでもイタリア議会の体たらくは何となく「らしさ」を感じる一方で、フェラーリの人材への投資にも「らしさ」を感じる。イタリアという国の雑多さと複雑さを感じるには最適の一冊だ。