伊達要一@とうきょうDD954の書棚と雑記

伊達要一の読んだ本の紹介と書評、それと雑記

今日のはてブ(2014/09/15)

f:id:yohichidate:20141004210658p:plain

Pythonではじめる野球プログラミング PyCon JP 2014 9/14 Talk Session
[slide][Python][プログラミング][opendata][野球][Stats][開発][web][IT][技術]いま東京六大学野球で似たようなことやってるんだけど、ベースデータだけ準備して自動化した上でWebで公開できたらラクチンだよなあ。

続きを読む

昭和金融恐慌史(高橋亀吉・森垣淑/講談社学術文庫)

歴史というものを学ぶ意味は如何なるところにあるのだろうか? それは過去に起きた事象から得た教訓を現在に活かすということが大きい。なんとなれば、これこそが人間を人間たらしめる叡智と言ってもよいだろう。なにやら近年の不勉強な輩は「今だけ見ていればいい」式のことを曰っているのを目にするが、甚だ不見識と云っていいだろう。このような輩にインテリゲンチャを名乗る資格はない。
さて、本書は昭和初期に発生した「金融恐慌」を題材にした専門的歴史書である。遠因である第一次世界大戦の反動不況や銀行制度の前近代性から論じ、直接の引き金となった片岡蔵相の失言、そしてモラトリアムによる恐慌の鎮圧まで極めて詳細に書かれている。純粋にこの時代にあった出来事の一つとして知りたいのであるならば、正直過分なほどだ。だが、歴史から教訓を学ぶというのであれば話は別だ。
本書から学び取れる教訓のうち最大のものは解説で鈴木正俊氏がキンドルバーガーを引いて述べている次のようなことだ。「恐慌は最後の貸し手が不在の時に起る」。本書の中で詳述されているので詳しくは立ち入らないが、この時代の日銀は中央銀行の機能の一つ、「最後の貸し手(lender of last resort)」としての役目を十分に果たしているとは言えなかったのである。そしてその結果として金融恐慌という最悪の事態を迎えた。そしてモラトリアムの後、金融恐慌は収拾された。これは結局として政府・日銀が「最後の貸し手」として金融システムの維持を担保したことによるものである。
本書を読むことで得られる教訓はこれだけではない。この金融恐慌の遠因として、極めて投機的な商取引が存在している。どうやら、近々本書の教訓が役立ちそうなときが来そうではないだろうか。なにやら、兜町方面は時ならぬ株式相場の盛り上がりで随分と怪気炎を上げている向きがあるそうだ。少なくともぼくたちは本書のような「歴史」を学ぶことで、恐慌という最悪の事態を迎えないように備えねばなるまい。
はしがき
 
第一部 昭和二年金融恐慌の基因
第一章 金融恐慌の基因としての銀行制度の前近代性
 第一節 銀行制度の欠陥--前近代性
 第二節 銀行制度の前近代的特質形成の経緯
 第三節 機関銀行の発生・拡大
 第四節 その他の前近代的特異体質
 第五節 政府の銀行改善施策
 
第二章 昭和二年金融恐慌の基因の累積
 第一節 大戦中のわが国経済規模の飛躍的拡大
  (一) 大戦によるわが国経済の異常発達
  (二) 経済規模の急膨張と銀行の態度にみられる問題点
 第二節 大正九年の財界大反動
  (一) 大正八~九年の思惑投機
  (二) 大正八~九年の熱狂的投機と銀行の加担
  (三) 大正九年反動の来襲
 第三節 大正九年反動の善後措置
  (一) 反動の性格の誤認
  (二) 善後措置の実情と性格
  (三) 安易な救済措置のもたらした弊害
 
第三章 関東大震災以降の財界の打撃の累積
 第一節 関東大震災の打撃とその善後措置
  (一) 大震災による打撃とその救済措置
  (二) 震災善後措置の実情
 第二節 円為替の暴落、暴騰による新打撃
  (一) 震災後の円為替の暴落
  (二) 十四~十五年の円為替投機化と急騰
  (三) 円為替の急騰と財界の再悪化
 
第四章 休戦九年反動以降の企業、銀行の打撃の累加
 第一節 休戦以降の財界打撃の累加
 第二節 企業欠損の累増と銀行の不良貸出の累積
 第三節 破綻銀行に露呈された企業-銀行の高度な癒着関係
  (一) 台湾銀行鈴木商店との癒着関係
  (二) 十五銀行と松方系会社との癒着関係
  (三) その他の若干の事例
 
第二部 昭和二年金融恐慌の誘因と推移
第一章 昭和金融恐慌の誘発
 第一節 昭和金融直前の情勢
  (一) 金融恐慌直前の経済的行詰り
  (二) 円為替相場の激動と財界疲弊の激化
 第二節 金解禁断行決意の準備工作とその影響
  (一) 片岡蔵相の金解禁準備工作
  (二) 金解禁論の問題点
 第三節 震災手形処理問題
  (一) 震災手形処理状況
  (二) 震災手形処理法の概要
  (三) 震災手形処理法案の審議過程における実情の暴露
 
第二章 昭和金融恐慌の勃発と経過
 第一節 金融恐慌勃発とその通観
 第二節 金融恐慌の第一波
 第三節 金融恐慌の第二波
  (一) 台湾銀行の鈴木絶縁
  (二) 枢密院の緊急勅令否決
 第四節 金融恐慌の第三波
  (一) 台銀、近江、十五銀行の休業
  (二) 全国的な銀行取付の発生
 
第三章 昭和金融恐慌の善後処置
 第一節 政府の救済措置
  (一) 事前の予防措置と第一次の緊急措置
  (二) 本格的恐慌収拾対策の発動
  (三) 日銀特融および損失補償法
  (四) 両特融救済法の実施とその結果
  (五) 政府措置に対応する日銀・市中銀行の対策
 第二節 休業銀行の整理
  (一) 休業銀行に対する措置
  (二) 整理上の問題点
  (三) 昭和銀行の設立による吸収整理
  (四) 台湾銀行の整理
  (五) 十五銀行の整理
 
第三部 昭和金融恐慌のわが国経済に及ぼした影響とその歴史的意義
第一章 金融構造および金融市場に及ぼした影響
 第一節 金融の変態的一大緩慢化
  (一) 恐慌鎮静後の金融の推移
  (二) 異常の低金利時代の出現とその理由
 第二節 預金の流れの変化と大銀行集中の急進展
  (一) 預金の普銀から郵便貯金金銭信託への流出
  (二) 大銀行の地位の飛躍的向上
  (三) 資金の大都市集中
 第三節 恐慌後の金融変容のもたらした問題点
  (一) 日銀の金融統制力の減退
  (二) 金融緩慢化の中小企業の金融難
  (三) 金融界からの金解禁即時断行論の擡頭
 第四節 昭和金融恐慌の経済界に与えた打撃とその特質
  (一) 産業界に与えた打撃
  (二) 証券、商品両市場に与えた打撃
  (三) 昭和金融恐慌の特質
 
第二章 昭和金融恐慌の真因とその歴史的意義
 第一節 金融恐慌は不可避であったか
  (一) 直接因とその対策批判
  (二) 金融恐慌の真因とその不可避性
 第二節 昭和二年金融恐慌の歴史的意義
  (一) 銀行制度改善の促進
  (二) 大財閥支配体制の確立
 
付属資料
  (1) 昭和金融恐慌関係主要日誌
  (2) 昭和金融恐慌関係重要法令
解説 昭和金融恐慌と平成不況の類似点 鈴木正俊

ルワンダ中央銀行総裁日記 増補版(服部正也/中公新書)


物語というものにはいくつかの定型――テンプレート的なものがある。その中でも、ボロボロになった組織を立て直しハッピーエンドというものは色んな媒体で書かれている。一般的な中間小説もそうだし、オジサン向けの企業小説はおろかライトノベルでも(若干アレンジはされているけど)扱われている。
本書は名著として知られている一冊だ。だが、単純にそういった先入観で読むよりもむしろこういった「物語」の一つとして読む方が楽しめる。
本書で描かれているルワンダは、独立後の混乱からシッチャカメッチャカの状態だった。旧宗主国のベルギー人はタチ悪く振る舞い、ルワンダ人に偏見の目を向けながら暴利をむさぼる。政府の保有する外貨は底を尽き、中央銀行は業務をよく知らない連中ばっかり。挙句の果てに「主人公」である著者が赴任するときに援助の対価として通貨の切り下げまでIMFに要求される始末。ありていに言ってしまえばどん底の状態だ。
そんなどん底から「主人公」がどのように戦っていくのかは本書を是非読んでほしい。扱われている内容は中央銀行の業務を越えて、一国の経済を立て直す方策まで含まれており極めて小説的に楽しめる。内容もとても平易なものだ。「中央銀行のあるべき姿」という所について本書を通じて論考している向きもあるが、もちろんそれは否定しない。だけど一人の「主人公」が組織を立て直していくという「物語」としてとらえても十分に楽しめるものになっているとぼくは思う。
さて、この物語であるが決してハッピーエンドにはなっていない。皆様もご存じの通り、ルワンダにおける民族対立によって民族虐殺――ジェノサイドが行われ悲惨な状況に陥ったのだ。事実、本書の増補として著者本人によるこの紛争についての論考が載っており、本来「ハッピーエンド」で終わるはずの物語が苦いものになってしまった悲しみに満ち溢れていると言える。
だが、国というものは決して単なる物語によるものではなく、延々と続く現実の延長線上に存在する。そういった意味では、この苦い出来事も一つの現実であり受け入れなければならない。逆に言えば、この民族虐殺の出来事という点を延々と引きずることで塗炭の苦しみを続けるようなことがあってはならないのである。
ルワンダの紛争についてかつて宮嶋茂樹さんがルポルタージュしているのだが、彼はその中でルワンダについてボロクソに書いている。確かに当時のルワンダの現状の一つではあるのだろう。実際に現地で取材した人物の書いていることは、それはそれで一つの事実ではある。しかし、そこにある種の偏見が混じっていることは否定できない。本書の「主人公」である著者がその場に居たのなら――おそらく全身全霊をもって戦った敵の一つとなったであろう。
日本においてアフリカという地域は、どうしても後進国であるという偏見を持ってしまう。また、現実として経済的に発展途上の段階であるのは否定できない。しかし、その渦中に身を置いて戦った日本人が居たということは決して忘れてはならないし、ぼくらもその身になって考える習慣を持つ必要があると思う。
ここまでは、マジメな話でちょっと余談としてヨタ話を。
本書は1972年に初版が発行されて長らく絶版となっていた。ところが、2009年にその後の民族紛争を増補し再版された。この時に企画協力をしたところがふるっているのだ。
なんと、TRPGで有名な冒険企画局というところなのだ。ぼく自身、ここの「サタスペ」というゲームが凄い好きでここのイラストを多数提供している速水螺旋人さんを追っかけているわけなのだが、まさか関わっているとは全く知らなかった。こんな比較的お堅いテーマの本にあの「サタスペ」のところが! というのは何とも痛快ではないか。この事実を知ったとき、思わず爆笑してしまった。
そういう意味ではTRPGのゲーマーも一つのゲームのリプレイ――そうだな、バナナ共和国を立て直すなんてゲームなんかどうだろう――を見る感覚で読んでいただければ、大変によろしいかと思う次第。

まえがき
Ⅰ 国際通貨基金からの誘い
Ⅱ ヨーロッパと隣国と
Ⅲ 経済の応急処置
Ⅳ 経済再建計画の答申
Ⅴ 通貨改革実施の準備
Ⅵ 通貨改革の実施とその成果
Ⅶ 安定から発展へ
Ⅷ ルワンダを去る
<増補1> ルワンダ動乱は正しく伝えられているか
<増補2> 「現場の人」の開発援助哲学 大西義久
関係略年表

世紀の空売り(マイケル・ルイス、東江一紀 訳/文春文庫)


リーマンショックというと、ぼくにとってはなにげに感慨深いものがある。いってみれば、ぼくが諸事情により傘貼り浪人のようなマネをしているとき、ちょうどリアルタイムで起きている現象を見ていたのだ。正直、やることもなく不遇をかこっていたが故に朝から晩までCNBCを見ているという今となってはなんとなく羨ましい生活だった。株式は大暴落し為替は荒れ狂い、カタストロフという印象を受けていた。
だが、そんな狂乱の原因がなんだったのか? というのはあまり真面目に検証されていない。「強欲資本主義」とカリカチュアライズされた言葉だけが飛び交っていて、そこで扱われていた怪しげなシロモノ――サブプライムローンとCDOは言葉だけ消費されて実際どのようにロクデモナイしろものだったのか検証されてない気がする。
本書はそんなサブプライムローンに対し真っ向からショート(空売り)した3組のヘッジファンドについて述べたノンフィクションだ。著者自身もかつて投資銀行のソロモンブラザーズに勤務していた経験もあり、このロクデモナイ世界の語り手としてはうってつけと言えよう。
このサブプライムローン証券化商品はどんなに取り繕っても上品な説明ができないシロモノだ。ありていに直截的に語ってしまうならば、クソを溶いたものをミソと混ぜて売るようなものだ。そしてそのクソには時限式の毒薬が仕込んである――信じられないかもしれないが、これが真実なのである。そのからくりに気づいた3組のヘッジファンドの戦いについては本書を読んでもらうとして、実際その狂乱の中で踊っていたアメリカという国は、結局この後始末に物凄い労力を払い続けている。
本書に描かれているウォール街の関係者はそろいもそろってまともなヤツが一人たりとて居ない。正直、かつて金融業界を志した人間としてはとてつもなくげんなりするし、テレビ東京の大江アナウンサーが無事にやっていけるのか(NY支局に栄転なさってしまったのだ……)正直心配な気分になるのだが、まあ、著者に言わせれば昔からそうだったらしい。実際先述したような「強欲資本主義」という言葉もあながち間違ってはいないのかもしれない。それではこの仕組みに真っ向から立ち向かった3組のヘッジファンドの関係者がまともかというと、それもさにあらず。正直に言って、こちらも大概なお人だったりするあたり頭が痛くなる。アメリカの金融業界、こんなのばっかかよ!
実際、読んでいて吐き気を催す邪悪に気力を奪われること間違いない一冊である。だが、それがアメリカの――そして世界の金融業界の現実である以上それを直視しなきゃいけない。その上で、歪んだプロフェッショナルどもの首根っこを押さえるために、われわれがどうしていかなきゃいけないか考える――そのきっかけとなる最良の一冊であると思う。

序章  カジノを倒産させる
第一章 そもそもの始まり
第二章 隻眼の相場師
第三章 トリプルBをトリプルA
第四章 格つけ機関は張り子の虎である
第五章 ブラック=ショールズ方程式の盲点
第六章 遭遇のラスヴェガス
第七章 偉大なる宝探し
第八章 長い静寂
第九章 沈没する投資銀行
第十章 ノアの方舟から洪水を観る
終章  すべては相関する
謝辞
訳者あとがき 『ライアーズ・ポーカー』からの道程

すべての経済はバブルに通じる(小幡績/光文社新書)


個人投資家としても有名な慶應大学准教授である著者による、近年発生している「バブル」についてそのメカニズムを分析した一冊。実務者寄りというよりかはかなり理論的な本で、ちょっと内容は難しめだ。それでも新書として出ている本だし、それほど人を選ぶレベルではない。
「資本(投資家)と頭脳(運用者)の分離」という着目点は結構目からウロコで、確かに殆どの大口投資家がファンドに出資することで運用を行っている現状からすると、極めて重要な示唆だ。また、そこからバブルが発生するメカニズム(運用者は資金を引き上げられたくないから、リスキーな相場に突っ込まざるを得ない、よってバブルが加速する)もなかなか興味深い。それどころか、この枠組み自体がそれ自体一つのバブルを形成している(著者はこれを「キャンサーキャピタリズム」と呼んでいる)というあたりは、納得せざるを得ない内容だ。
本書では、このキャンサーキャピタリズムバブルも様々な要因によって(その内容は本書を読んで確かめてみて)弾け、この病的な状態を脱すると論じているが、ぼくはそこまで楽観的にはなれない。歴史は繰り返すというけども、恐らく手を替え品を替え相当長い期間同じようなことをやって、実体経済を振り回すことになるんだろう。なぜなら、本書でいう「資本と頭脳の分離」の枠組みが変わらない限り、頭脳すなわち運用者はちょっとでも高いリターンを求めてリスクを取りに行き、そしてバブルが形成されていくから。そしてこの枠組みはそう簡単に崩れることはないだろう。現実的に投資家が抱える資本が偏在する(これは金持ち批判じゃなくて、年金基金なんかも含めた話だ)以上、その資本を自分で運用することは現実的には難しいし、メリットも薄いから。より効率的にってことになると、どうしたって「プロ」をチョイスして成績を追っかける方がラクだからだ。
とまあ、ちょっと暗い話になってしまったけども、バブルに釈然としない向きには、理論を知ることで多少なりとも納得して、バブルに振り回されない為にはどうすべきか知って、より面白おかしく生きていこうじゃないか。ぼくはそう思う。